2006年1月25日水曜日
■ 「達人」は外来語じゃない! 意外な展開の巻 
これまで書いた大学入試に「Orz」の話題ですが、実は同じ問題で、「達人」という日本語からの不当な外来語も改正される対象でしたね(→24日参照)。
日本語の「達人」は、プロ・専門家・上達者という意味で、中国語では普段「專家」「大師」と言います。問題文は「星座達人」で書いてますので、日本語の意味で使われたので間違いだと認識されています。
しかし、今日こういう投稿がありました。
入試の国語問題は論争の的になり、火星語のほかに、「達人」という言葉も不当な外来語に考えられたが;これは古典で優雅な漢語語彙だと思う。
唐・王勃の〈滕王閣序〉には「君子安貧,達人知命(無責任訳:君子は貧乏に耐える・達人は命を知る)」という文があり、漢・賈誼の〈鵩鳥賦〉にも「達人大觀兮物無不可」が書かれた。もっと古い例もあり、《左傳・昭公・十七年》も「其後必有達人(無責任訳:その後必ず達人がいる)」という記載がある。唐・孔穎達疏曰く「謂知能通達之人(無責任訳:知能が通達した人なり)」。つまり現代語の中の「達人」は典籍の中の「達人」は明らかに血縁関係があると。
達人はおそらく漢語から日本語に流出し、また日本語から漢語に戻ってきた言葉で、語彙学ではこういう言葉を「回歸詞(回帰語)」と言い、「回帰語」の意味は本来の意味はいつも似たものでちょっと変わったものだ。現代漢語の中の回帰語は数えないほど多く、「經濟(経済)*1」「文化*2」「寫真(写真)*3」……などが該当している。我々はこういう言葉に受け入れやすい傾向があり、理由として、「そもそも漢語だった」からだ。語意も構造も典故もなぜか(歴史や文化に)繋がれる。こういう言葉を吸收することは語意活性化と語彙豊富化の重要ルートで、火星語とは格別違う。
(後略)
まあ、こういう投稿でしたね。
現代中国語には、上記の例だけではなく、「社会」「取締」など、たくさんの日本語語彙が散見しています。「外来語」自体も外来語ですね。
私自身の考え方としては、ドイツなどのところでも英語からの外来語彙を排除しようという動きがあるように(日本語外来語書き換え審議が何度かやりましたね)、中国語もある程度「必要のない」日本語の外来語を妥当な中国語に書き換えたほうがいいと思います。
しかし、中国語の場合はもっと難しいです。
外来語というより確かに「回帰語」が多い現状です。一旦使うようになったら、「これが中国語じゃない!」という感じがなくなります。日本語の外来語は少なくともカタカナで書きますが(笑)、回帰語の場合は漢字語だし、文化的にも語意が通じます。 たとえば、「たばこ*4」「背広*5」はもともと外来語だったことはあまり知られていないのでしょう。
「達人」の「上達者」としての意味はやはり最近から使うようになった外来語(回帰語)です。妥当か不当か別にして、まだちょっと違和感が持っています。
しかし「経済」のような数十年も使ってきた外来語(回帰語)はだれも違いだとは思わないのでしょう。
どれか使うべきものかどれが使うべきじゃないものを分けるのも難しくなる一方です。
ちょうどその問題文の中に、「便當」という言葉があります。これは日本語の「弁当」で(戦前の表記は「辨當」)、これは回帰語に該当しなく日本語の造語でした。中国語を使ってる地域には植民の経緯もあるだろう、台湾でしか使われていない模様です*6。「なるほど、達人はそのままでいい、改正すべき不当な外来語は便當のことか」という冗談もありました。 しかし、便當はすでに定着されていて、飯盒のほうが逆に違和感がしますが。
特に、最近コンビニのキャンペーンとか「定食」「和風祭」など大量の日本語の漢字語フレーズを使うのが流行っていて、これからどれか外来語(回帰語)かだんだん分かりにくくなる一方でしょう。
*1:古典漢語では「経済」は「経世済民」などの意味で使われ、世間と人民を統治・管理する、つまり現代語の「政治」という意味でした。なぜか日本語で資金流通の意味に転じ、回帰語として中国語に回流しました。
*2:古典漢語では「文治教化」の意味で、教育と礼儀の浸透度のような意味だと思います。現代語はそれを拡張してより広義に使っています。
*3:古典漢語では「人物の図像」の意味でした。中国語に「照片」という言葉があるので、この例はよくないと思います。写真のことは普段「照片」といい、「寫真」と言ったら外来語の違和感が働きます。しかし「写真集」は違和感なく言ったり聞いたりします。「照片集」は言わないね。
*5:語源未詳で、「背広」は当て字。フロックコートなどと違って、背幅が広いことからとも、civil clothes(市民服の意)またはSavile Row(ロンドンの洋服屋街の名)からなどともいわれている。 -大辞林から抜粋。