オボエテタンゴ

2017-11-01同級生

今年の私は生誕50周年なので、小中高のクラス会や同期会や

個人的での再会がどど~っと続いている。

不思議なことに50歳ともなると、記念の年に会っておかないと!

会えるうちに会っておかないと!なんて気持ちが

皆に芽生えるのだろうか?


これまた不思議なのは、何十年も音信不通の旧友なのに

会った途端にすっかり馴染んでしまうこと。

一緒に過ごした日々よりも、離れていた時間の方が

うんとうんと長いのに。

お互い、知らない人生を歩んできたのに。


自分と旧友との関係は、あの頃のまま凍結されていて

目が合った瞬間にレンジでチーン!と融けたようだった。

今の家族のこと、仕事のこと、親の介護のこと

何でもスラスラペラペラ話せて

相手の話もうんうんと親身に聞けて、場合によっては一緒に泣いた。


ほんの数年前まで、幼稚園の送迎で毎日会っていた

息子のママ友たちとは、今再会してもこんなに話せないだろう。

手のかかる時期の子育てを共にした戦友だけど

子供が繋いだ関係であって、私個人が繋いだ間柄ではないから。


で、先日も大学の同期C君から20年振り?くらいに電話があった。

彼は仕事で一か月札幌に滞在しているらしく

「lingさん、美味しいところ連れて行ってよ~」

てなお誘いだったのだけど、いやいやワタシが札幌に住んでたのは7年前だし!(そんなかっ!?)

もうすっかり東京のシティ派おされマダムだし!(誰がじゃっ!?)

と、変わらぬ彼のずっこけぶりに笑ったのだが

続く会話の内容で、私は動けなくなった。


私たちはテニス部の、正式には体育会硬式庭球部の同期だった。

当時流行りの華やかなテニスサークルとは一線を画し

白い無地のウェアを泥だらけにしながら、走り回っていた。

男女とも部員数が少なかったから、三年生になってもコート整備やボール拾いをしていた。

公式の試合や、新入生歓迎会、三年生引退などの飲み会では

男子は学ランにグレーのスラックスが正装だった。


その学ランが、一番似合っていた男子部主将のT君。

背が高くて、細くて、ヤクザ映画にもってこいの切れ長強面。

彼がどんぶりでお酒を一気飲みする姿の背景には

躍動する龍やら虎やらの姿が見えるようだった。

でも素顔はすごく真面目で物腰も柔らかで

同期なのに、女子には敬語で話していた。

見た目とは大違いで、いつも周囲をほっこり和ませてくれたT君が

3年前に病気で亡くなっていたという。


そういえば、少し身体が弱かった印象がある。

福島のご実家から、お母さんが心配してよく養命酒を送ってきてた。

「いや~、まずいっスよ~」

って、困りながらも飲んでいた。

卒業後は地元に帰り、公務員になったところまでは覚えている。

でもその後、一度も会っていない。


T君は、生涯独身だったそうだ。

彼が闘病中、先にお母さんが旅立ったらしい。

残されたお父さんのお気持ちを思うと、神様は残酷だと思う。

どうして良い人ばかりが、早くに逝ってしまうのだろう。


T君の死は、自分でも驚くくらいに私の心をえぐっていった。

料理をしてる時、洗濯物をたたむ時、カーテンを閉めた時

日常生活のなにげない場面でT君の顔が浮かび

ぽろぽろと涙がこぼれて止まらなくなる。


別に恋人だった訳でもないし、何十年も会ってないんだし。

でも、同期が亡くなるって、こんなにも辛いんだ。

これから歳を取ると、こんな思いを何十回もするのだろうか?


今月がT君の三回忌。

C君は毎年、同期や後輩を連れて福島まで行き

お参りの後にT君のお父さんと飲んでいるそうだ。

C君とT君はダブルスのペアだったよね。

私なんかより、C君の方がずっとずっと辛いよね。


T君、今年は私も会いに行くよ。

「lingさん、老けたましたねぇ」

なんて思われないように、あの頃の筋トレをしてから行くよ。


本日のオボエテタンゴ

面红耳赤

mian4hong2er3chi4

顔も耳も真っ赤になる

T君は照れ屋さんだった