オボエテタンゴ

2018-08-293年目の当たり

6月末に受けた検診で、乳ガンが見つかった。

疑いでもなく、グレーでもなく、完全なる黒の当たりだ。

3年前の検診でひっかかってから

ずっとずっと不安で怯えていた右胸。

今回やっと止めを刺された感じで

私はむしろ清々しくスッキリした。


それからは怒涛の勢いで事が進み

通常は数か月待ちの手術が

キャンセルが入ったため1か月後となり

ついでに乳房再建の手術もセットで行われ

2週間入院の予定が、回復が早くて10日で退院となった。

↑今ココ


おしまい('ω')ノ



では余りにも短すぎるので、順を追って忘備録。


3年前、娘を産んだ総合病院での検診で

触診で分かるか?分からないか?

くらいの小さなしこりが見つかった。

乳腺外科の世界では、なかなかの地位にいる医師が

画像を見ただけで私の顔は見ず

「教科書でいえばガンだね」

と、冷たく言った。

でも細胞と組織の精密検査では、良性だった。

半年後に再検査をしても良性だった。


だけどその医師の態度は、常に私を不安にさせた。

患者の容態よりも、自分のキャリアを優先しているように感じられたからだ。

これ以上、この人には任せたくない。

私の本能が拒否していた。

愛してやまない病院だったのに

死ぬならココと思っていたのに

昔好きだった男性と久々に会ったら

世間に揉まれて人が変わっちゃったみたいなショックだった。


その後で息子のママ友に紹介されたのは、小さな個人のクリニック。

院長のK先生はまだ若かったけど、クリニック全体がやさしかった。

総合病院でのいきさつを話すと、前述の医師とは面識があるらしく


「あ~、そ、そうですか、、、○○先生でしたか、、う~ん、、、」


返答に困るK先生。

医学界、いろいろありそうねぇ。


そのクリニックは小さいながらも最新の検査機があり

当日に結果を教えてくれた。

そしてなんと、以前にあった小さなしこりが消滅!?

触診でも、画像上でもなくなっていた。


「次は1年後でいいですよ。ご不安でしたよね」


ありがとうございますぅぅ~(涙)

しかし米粒ほどの小さなしこりは、どこへ行ったのだろう?

またいつか、出てくるのだろうか?

不安が100%消えた訳じゃなかった。

でもK先生に出会えたことで、私の心はかなり落ち着いた。


で、1年後の今年。

触診では分からないが、前回なかった影がはっきりと

マンモにもエコーにも映っていた。

エコーでピピッとなぞられる度に、心臓と胃がきゅう~って縮む。

蘇る3年前の不安と恐怖。

K先生がエコーを見ながら、太い鍼で組織を抜いた時

私はガンなんだな、と思った。


「検査結果が出るまでの1週間、ドキドキしちゃうけど、ちゃんと調べておきましょうね!」


K先生の声が、頭を通りすぎてゆく。

クリニックから自宅まで、15分足らずだったけど

どうやって帰って来たのか分からないほど

私は放心状態だった。


それからの1週間は、白なのか?黒なのか?

またまたグレーで先送りなのか?

覚悟と諦めと期待とが、ジェットコースターのように駆け巡った。

人にとって一番怖いのは、不安なのだと私は思う。

早くハッキリさせたい自分と

このまま知らずに逃げたい自分。

気持ちはグルグル日替わりどころか

分替わりで変わってゆく。


白だとしても、きっとまた半年後に再検査。

その間ずっと不安で、ずっと辛い。

待ちの期間、不安で押し潰されそうになるから

もう黒にしてくれ!と思った。

でも黒だったら、それで終わりという訳ではない。

転移、再発という新たな不安が生まれ

それは私だけでなく、家族にも襲いかかるだろう。

ならば私一人で我慢した方がいい。

子どもたちの心が少しでも成長するまで

せめて娘の高校受験が終わるまで、時間を稼ぎたい。

できることなら、ずっと白でいたい。


結婚して初めて、夫の肩で少し泣いた。

以前に胃ガンの手術をした旧友のM子が

毎日メールで力づけてくれた。

あぁ、情けなや。

私ってこんなに弱かったっけ?


いや、待てよ。

まだまだ学生にすぎないけれど

私は心理士になるんじゃなかったか?

自分の気持ちのコントロールができなくてどうする!?

これまで勉強してきた知識、活かさないでどうする!?


てな訳で、セルフカウンセリングしてみました。

◎カウンセラーと△クライアント、1人二役の小劇場。

◎lingさん、今日はどうされましたか?

△乳ガンかもしれなくて、不安なんです、、

◎そうなんですね。具体的にどんなことが不安ですか?

△この先のこと、子どものこと、、、それと、、、

アホみたいだが、これが私にはすごく効いた。

自分の気持ちを具体的に言葉にして

その不安な感情を客観的に見直して

思い悩むことで、何か変わるのか?

現実的な解決策は、何があるのか?

頭では分かっていても、心が追い付いていかない時

他者から何て言って欲しいのか?

カウンセラーとクライアント、両者の気持ちと立場が分かって

こりゃお得!!とまでに切り替えることができた。

私、大丈夫だわ。


そして運命の1週間後。7月始め。

K先生から正式に乳ガンの告知を受けた。

K先生の説明は、余計な期待も不安も持たせないような

とてもフラットで、でも温かみのある口調だった。

だからやっぱりガンなんだな、とは思ったけどそんなにショックではなくて

それよりも医師の対応によって、患者が受ける衝撃はこんなにも違うものかと

総合病院との差に、ホントぉぉぉに驚いた。


更にK先生の神対応は続く。

私のしこりは小さいけれど複数あるので

全摘出にした方が良いだろう、とのこと。

乳ガンには色々なタイプがあって

手術で取り除いた病巣を詳しく検査しなければ

その後の治療方針が立てられないこと。

乳ガンの手術と、乳房再建手術が同時にできること。

紹介する大学病院の医療方針やスタッフについて。

医師との相性について。

初診時の裏技?!について。

一つ一つ、丁寧に教えてくださった。


「もしね、担当医と合わない場合は、変えることもできますから」

「直接は言いにくいでしょうから、僕に連絡してください。なんとかします」

「患者さんはね、余計な我慢はしないでいいんですよ」


だば------------っ(心中ド号泣)


この先生に見つけてもらって良かった

この先生に告知してもらって良かった

もしあのまま総合病院にかかっていたら

あの医師に告げられていたら

私は壊れていたかもしれないと思った。


K先生、ありがとうございました!

長い治療になりそうだけど、がんばります!


続く~


本日のオボエテタンゴ

开门红

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幸先がいい

K先生との出会いが、ラッキーの始まり

2018-05-21新生活

今月から、予備校生になったワタクシ。

週二回、英語と心理の授業を個別で受けております。

この先、心理系の大学院を受験してみちゃおうかしら~なんて

ちょいと調子に乗っておりましてね。

そしたら試験科目に英文和訳がドーーン!

ひーーっ!( ゚Д゚)

高校時代、英語が苦手だったから大学では中国語に逃げたのに

この歳になってまた英語に苦しめられるとは!


百万年ぶりに英語の問題を解いてゆくと

次々に蘇る苦い記憶のあれこれそれ。

動詞が現在・過去・過去完了で変わるのが面倒くさい!

それが何種類もパターンがあって面倒くさい!

とにかく時制が面倒くさい!

have gone to とか have been to とかさ!

これだから嫌いなんだよ、英語はよ!


ついでに言うと、英文科の女子大生も嫌いだった。

彼女らは皆コンサバな服を着て、ブランドのショルダーバックを持って

遊んでばっかりのテニスサークルに入っていて、コンパではカルピス割りを飲んでいた。

(超偏見な記憶)

そんな彼女たちにワタシは何度も


「えぇ~、中国語やってるの?難しそぉぉ。全部漢字で分かんなぁ~い」


などと鼻で笑われたこと数知れず。

ま、確かにワタシが所属していた中国文学科の学生は

地味で冴えなくてヲタクっぽくて暗かったけどね。

(これまた超偏見)

ワタシ自身も大学構内では、大半をテニス用のジャージで過ごしていたし

体育会の飲み会では、小どんぶりでビールを飲むのが常だったから

華やかなキャンパスライフとは、全くもって無縁でしたけども!


でも女子大生のワタシは、中国語が楽しくて仕方がなかった。

四字熟語に秘められた歴史や、美しい発音の響きがたまらなかった。

中国文学のややこしいけれど奥深い表現も好きだった。


なんでもかんでも、英語にすれば格好いいと思うなよ!

英語ができるのと、頭がいいのとは違うからな!

いつか英語の辞書よりも、中国語の辞書を抱えて歩く女子大生の方が

イケてる世の中にしてやるーーっ!!

と、鼻息荒く何かに誓った記憶がある。

何に?自分にか?


あれから30年近く経ち、今でもアンチ英語派のワタシが

また英語の辞書を引くなんて不本意だわ!

志に反するわ!

とにかく嫌だわ!

蕁麻疹でそう!

と、思っておりましたらば


なにこれ、超楽~!

英単語って、ローマ字のまま引けばいいの?

(当たり前)

部首を見極めて、画数を数えなくていいの?

(これまた当たり前)

ら、楽勝~!!


意外や意外。

これは嬉しい誤算てやつ?

もうじゃんじゃんバリバリ引きまくりですよ。

知りたい単語に、あっという間にたどり着くよ。

まさか中国語での苦労が、こんな形で報われるとは!


そしてすでに翻訳の道から外れて久しいけれど

外国語を和訳することは、そんなに苦ではなかった。

さびついていた国語力も、この二年間のレポート書きで

少しは勘が戻ってきていた。

しかし、翻訳と試験で点数を取る和訳とは基準が違うらしく

ワタシは主語の省略癖や、意訳が強いことを先生から指摘された。

しょぼぼ~ん


で、余談だけど

ワープロではなく、手書きで日本語の文章を書く時に

つい簡体字を書いてしまうのは、中国語関係者のあるあるではないでしょ~か!?

「習」とかさ、「习」で済むから楽で早いものね。

でも試験の答案で書いてしまうと、エライことになってしまうわ~



それにしても予備校の講師というのは、

良い意味での叩き上げ感がすごい。

大学の先生は、自身がその学問好きで、ずっと研究していたくて

授業はそのおすそ分け~みたいな方が多かったけど

予備校講師は生徒に1点でも多く取らせるため

合格させるためのノウハウを、次々と畳みかけてくる。

いや~、受験勉強って大変ねぇ(+o+)

でも心理担当の先生曰く、受験勉強は「無味乾燥な暗記作業」ではなく

「将来の自分のための投資」なんだって!


ワタシはいろんな状況によっては

大学院受験が夢で終わってしまうかもしれないけれど

自分の知識として欲しいから学ぶのだ。

そのオマケで、サクラが咲くといいなぁ。


本日のオボエテタンゴ

开小差

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うわの空

勉強に疲れると、妄想に逃げる癖がやめられん

2018-03-24卒業式

二年間の通信課程を修了し、本日無事に心理学部を卒業しました。

応援してくれた家族に感謝です。

自分の体力、気力、脳力もさることながら

親の介護、子供の状態などなど、常に不安と並走だった二年間。

しかし、やってみるものです。

走り出したら何とかなるものです。

スタートの合図を聞くまでの方が怖くて辛かった。


心理学を学んで得たものはたくさんあるけれど

一番の収穫は、私自身が無駄に傷つかなくなったこと。

それは精神的に図太くなったというのではなく

(もともと図太かったけど)

これまで本能と感覚重視だった私の人生に

初めて論理的な、科学的な思考が植え付けられた成果です。

齢五十にして初理系。

そうなの奥さん。

心理学って理系なのよ。


とはいえ、やっとこれでベースができただけ。

この先に進むため、ワタクシ100万年ぶりに英語を勉強します!

ひやーーー(+o+)


本日のオボエテタンゴ

派対

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パーティ

職員よりも年長者が多い卒業生の祝賀会は、管理職の慰安会みたいだった

2018-01-18将来の夢

なんともう1月中旬とな!?

昨年、夫の父が他界したため、喪中の我が家。

年賀状を出さないって、年末年始がこんなにも楽、、、モゴモゴ

いやはや、お正月感がありませんな~


で、今更ながら一年を振り返ってみると

50歳記念年にふさわしく、懐かしい面々とたくさん会えました。

だけど悲しいお別れもいくつかあって

これまでの人生、今後の生き方について

いろいろ考えさせられた2017年。


年末に高校のクラス会があり、恩師と32年振りに会いましてね。

ワタシは担任の先生にずっと聞きたかったこと

そして、今伝えたいことがあったのです。


当時はまだ新卒で、先生というより兄貴的存在だったS先生。

いつも飄々として、よく言えばおおらか。悪く言えば放任主義。

S先生から叱られたことも、褒められたことも記憶にないけど

常に見守られている安心感は、多分クラス全員が感じていたと思うなぁ。


そのS先生がワタシに対し、唯一熱心に、そりゃもう半ば強引に

進路指導で某大学への推薦入学を、ゴリゴリ推したのですよ!

それまでワタシは聞いたこともないその大学。

調べてみたらかなり自由で奔放で、今や絶滅に近い学生運動が超盛ん。

そのため大学周辺には、常に自衛隊が警備しているらしい。

つまらない授業や休講の多い教授は、学生の署名活動と暴動で辞めさせられたとか

それでもある教授は、テストの答案を紙飛行機にして飛距離で採点するとか

地下教室で、学生がAV映画を撮影してヒットしたとか

大学祭は連日オールナイトで飲み屋がメインとか

肩に猫を載せて通学する人がいるとか

スキンヘッドの女子が多いとか

とか!とか!


※これらは某大学の都市伝説と言われています。

真実、デマ、誇張縮小混在なり。

現在はごく普通の大学となったようです。つまんね、、、モゴモゴ


S先生はワタシの何を見て、この大学を推したのでしょうか!?

それにね、たまたま横に居た担任でもない地理の先生もね

「お!某大学か!?いい!オマエに向いてる!ばっちり!」

なんて大賛成だったのも何故!?

ワタシ、高校時代は地味に真面目にやってたつもりなんですけども!


32年の時間を経て、ついに明かされるS先生の真意!

と思ったら、その前にどえらい昔話をされて眩暈がしたワタシ。


三年生の夏休み、クラスで自主的にキャンプへ行きまして

受験生の夏に、二泊のキャンプとはどういうつもりか!?

と、当時S先生は学校側から相当叩かれたそうなんですが

「いや~、楽しそうだし」

と、S先生はどこ吹く風。

ワタシたち生徒も全員参加で、担任が担任なら生徒も生徒と校長は諦めたそうです。

でも後日談だけど、10クラスのうち進学率トップはウチのクラスだったんだって!

S先生クラス、やるときゃやるゼ!


キャンプ二日目の夜。

全員で車座になり、将来の夢について話したらしく

当初S先生は、年頃の子たちは恥ずかしがって教えてくれないかな?

シーンとしてしまうかな?

などなど、心配されていたそうなんですが

思いのほか生徒たちは熱く夢を語って、盛り上がったそう。

官僚になって天下りしたい男子。

専業主婦になって、女の子二人が欲しい女子。

バリバリのキャリアウーマンを目指す子。

バンドで成功したいロッカー。


ワタシはといえば、キャンプに行ったことはうっすら覚えているけれど

内容まではさっぱりで、将来の夢なんか話したっけ?という記憶のなさだったんですが


「その中で、一番覚えているのがlingなんだ。あれは衝撃だった」

とS先生。

な、なんですと!?

ワタシ、一体何を言ったんですかっ!?

覚えてない!全く覚えてないぃーーーっ!!


「lingはね、『私は綺麗なまま死にたいです』って言ったんだよ」


(゚д゚)!



(゚д゚)!!



(゚д゚)!!!


ザワつくクラス会現場@横浜居酒屋。

「そうだった!思い出した!」

「lingちゃん、そう言ってた~!」

との声が、男子からも女子からも上がって更に眩暈。

なんで皆、覚えているの!?

なんで自分は覚えてないの!?



「いや~、俺びっくりしちゃってさ」


言った本人もびっくりです。


「この子は将来どんな人生を送るんだろうって、ずっと心配だったんだよね」


お蔭様で二児の母となりました。


「だから今日会えて、幸せそうで嬉しいよ」


先生ぃぃ~~涙涙

で、どうしてあの大学を推したんですか?


「だってlingにピッタリだったでしょ」


えぇ、とても。

この上なく最高にドンズバでした。


今またワタシが大学生となり、心理学の道へ進んだことを話したら

S先生はとても喜んでくださった。

その笑顔を見て、ワタシもすごく嬉しかった。

卒業以来32年、一度もお会いしていないのに

S先生はずっとワタシたちの担任なのだ。


できることならあの日に戻って

18歳のワタシにカウンセリングしたい。

何が不満だったの?

何が不安だったの?

あなたの人生は確かに良いことばかりじゃないけれど

沢山の人たちが助けてくれるよ。

それはあなたの財産なんだよ。

年を取ることは、心が成長することだよ。

だから前を向いて、毎日に感謝して生きなさいね。


50歳のワタシはもうあちこちガタがきて

鏡を見るたび、がっくりしてしまうけど

将来、心は綺麗にして逝きたいと思う。

これまでの色んな恨み、嫉みをそぎ落として

魂を磨くことが今年の目標です!


今年初のオボエテタンゴ

班主任

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担任

大学の担当教授とは、一味違う何かがある

2017-11-01同級生

今年の私は生誕50周年なので、小中高のクラス会や同期会や

個人的での再会がどど~っと続いている。

不思議なことに50歳ともなると、記念の年に会っておかないと!

会えるうちに会っておかないと!なんて気持ちが

皆に芽生えるのだろうか?


これまた不思議なのは、何十年も音信不通の旧友なのに

会った途端にすっかり馴染んでしまうこと。

一緒に過ごした日々よりも、離れていた時間の方が

うんとうんと長いのに。

お互い、知らない人生を歩んできたのに。


自分と旧友との関係は、あの頃のまま凍結されていて

目が合った瞬間にレンジでチーン!と融けたようだった。

今の家族のこと、仕事のこと、親の介護のこと

何でもスラスラペラペラ話せて

相手の話もうんうんと親身に聞けて、場合によっては一緒に泣いた。


ほんの数年前まで、幼稚園の送迎で毎日会っていた

息子のママ友たちとは、今再会してもこんなに話せないだろう。

手のかかる時期の子育てを共にした戦友だけど

子供が繋いだ関係であって、私個人が繋いだ間柄ではないから。


で、先日も大学の同期C君から20年振り?くらいに電話があった。

彼は仕事で一か月札幌に滞在しているらしく

「lingさん、美味しいところ連れて行ってよ~」

てなお誘いだったのだけど、いやいやワタシが札幌に住んでたのは7年前だし!(そんなかっ!?)

もうすっかり東京のシティ派おされマダムだし!(誰がじゃっ!?)

と、変わらぬ彼のずっこけぶりに笑ったのだが

続く会話の内容で、私は動けなくなった。


私たちはテニス部の、正式には体育会硬式庭球部の同期だった。

当時流行りの華やかなテニスサークルとは一線を画し

白い無地のウェアを泥だらけにしながら、走り回っていた。

男女とも部員数が少なかったから、三年生になってもコート整備やボール拾いをしていた。

公式の試合や、新入生歓迎会、三年生引退などの飲み会では

男子は学ランにグレーのスラックスが正装だった。


その学ランが、一番似合っていた男子部主将のT君。

背が高くて、細くて、ヤクザ映画にもってこいの切れ長強面。

彼がどんぶりでお酒を一気飲みする姿の背景には

躍動する龍やら虎やらの姿が見えるようだった。

でも素顔はすごく真面目で物腰も柔らかで

同期なのに、女子には敬語で話していた。

見た目とは大違いで、いつも周囲をほっこり和ませてくれたT君が

3年前に病気で亡くなっていたという。


そういえば、少し身体が弱かった印象がある。

福島のご実家から、お母さんが心配してよく養命酒を送ってきてた。

「いや~、まずいっスよ~」

って、困りながらも飲んでいた。

卒業後は地元に帰り、公務員になったところまでは覚えている。

でもその後、一度も会っていない。


T君は、生涯独身だったそうだ。

彼が闘病中、先にお母さんが旅立ったらしい。

残されたお父さんのお気持ちを思うと、神様は残酷だと思う。

どうして良い人ばかりが、早くに逝ってしまうのだろう。


T君の死は、自分でも驚くくらいに私の心をえぐっていった。

料理をしてる時、洗濯物をたたむ時、カーテンを閉めた時

日常生活のなにげない場面でT君の顔が浮かび

ぽろぽろと涙がこぼれて止まらなくなる。


別に恋人だった訳でもないし、何十年も会ってないんだし。

でも、同期が亡くなるって、こんなにも辛いんだ。

これから歳を取ると、こんな思いを何十回もするのだろうか?


今月がT君の三回忌。

C君は毎年、同期や後輩を連れて福島まで行き

お参りの後にT君のお父さんと飲んでいるそうだ。

C君とT君はダブルスのペアだったよね。

私なんかより、C君の方がずっとずっと辛いよね。


T君、今年は私も会いに行くよ。

「lingさん、老けたましたねぇ」

なんて思われないように、あの頃の筋トレをしてから行くよ。


本日のオボエテタンゴ

面红耳赤

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顔も耳も真っ赤になる

T君は照れ屋さんだった