オボエテタンゴ

2018-09-07祈り

我が家にとって第二の故郷

北海道が大変なことになってしまった。

友人、知人らにケガはなかったが

みんな不便で不安な思いをしている。


「周囲が暗いから、星空がなまら綺麗!流れ星も見えたよー!」


まだ停電が続く地域に住む友人から

メールの返信が来て、私は泣きそうになった。

貴重な携帯の電源、使わせてごめん。


少しでも早く、いつもの生活に戻れますように。

大きな余震や二次災害が起きませんように。


本日のオボエテタンゴはお休みします。

2018-09-06入院まで

私の病状は、一刻を争うものではないけれど

ガンだと分かった以上、早く事を進めたかった。

通常、ガンの告知を受けた人は

その事実を受け入れて落ち着くまで

2週間程度かかるらしいのだが

なにせ私の場合は3年前から疑っていたので

心の準備はすでに完了。

今までの迷いや悩みが嘘のように消え

スッキリさわやか清々しい~!


やっと白黒ハッキリしたぜ!

速攻手術で全部切っとくれ!

抗ガン剤、放射線、ホルモン治療のフルコースばっちこい!

ツルッ禿げになったら、XJAPANのHIDEちゃんみたいに

ピンクのウィッグにするんだい!

と、鼻息が荒すぎて夫に引かれつつ

週明け、K先生の紹介状とマンモとエコーのCDと

組織の検体(中身は見え~ず。当たり前?)を持って

いざ、某大学病院へ!


以前、ここでメスを握っていたK先生によると

紹介状の宛名はすべて乳腺外科部長になるが

初診は若手が担当し、術前検査の結果を全スタッフで検討する。

治療方針は患者を含むチーム体制で決めるようになっていた。

患者から主治医の希望を申し出ないと、空いている医師に振り分けられる。

乳ガンの治療は長いので、相性が悪かったら辛いよね。


今の医療って、主導権は患者にあり

医師に全てお任せ~という訳ではない。

自分の病気について、正しい知識を持っていないと

そして自分はどうしたいか?自ら意見を述べないと

どんどん流されてしまう。


こうして私も体験談をブログに書いておきながらナンだけど

ネットの情報というのは信憑性に欠けるものが多い。

特に告知前の不安MAX時は、悪い事ばかりに目がいって益々落ち込む。

もしくは新しい治療法とか、名医とか、神の手とか

何か特別なものに頼りたくなってしまい、客観的な判断を鈍らせる。

だから私は癌センターや、乳ガンの学会が公表しているサイトだけを参考にした。

そして第一の主治医であるK先生のアドバイスを、全面的に信じた。


で、初診。

受付を済ませて通された乳腺外科のフロアには

20代から70代くらいまで、各年代の女性が揃っていて

待合のソファはびっしりだった。

この人たちが全員乳ガンて訳ではないだろうけど

朝イチでこの人数って、古いがどんだけーーー!?


初診担当は小型犬みたいに可愛らしい女医さん。

このA先生、後に執刀医の助手としてずっとお世話になるのだが

若いのに腕が良く、説明も気遣いもしっかりしていた。

大学病院でここまでくるのに、大変な苦労をされてきたのだろうな~

きっとご両親にとって、自慢のお嬢さんなんだろうな~

と、いちいち想像してしまうところがおばはんである。


その日は再度エコー検査を受け

・手術が必要な乳ガンである

・現段階では、病巣の数と位置から見て全摘が望ましい

・乳頭・乳輪をどうするかは、執刀医と相談で決める

・リンパ節や他臓器への転移は、MRI検査でチェック

・手術で摘出した病巣を病理検査して、結果によってその後の治療を検討

・乳房再建を希望する場合は、別枠で形成外科の診察が必要

などなどの説明を受け、最後に執刀医の希望を聞かれた。


「I先生でお願いしますっ!!」


待ってましたとばかりに答えるワタクシ。

K先生とじっくり話し合って決めた、同年代の女医さんである。

自分のこれまでの病歴で、女医さんに良い思い出はないのだが

なんだかI先生は合う気がしたのだ。


I先生の診察日までに

尿、血液、胸部x線、心電図、MRI、心臓エコーとびっちり検査!

そして形成外科の予約も入った。

まだその時は、手術は9月か10月上旬だと思っていたのだけど

I先生の手術枠に急なキャンセルが出たらしく

8月頭にスルっと入れてしまった。

それからはドタバタだったけれど、これもきっとご縁。

私ついてる!


乳ガンに関しては、一通りの知識を備えていたが

形成外科による乳房再建については、イマイチ勉強不足であった。

自他ともに認める貧乳ですし、この歳だしねぇ。

そんなに拘りも喪失感もないかなぁと思いまして。

でも○姉妹のように爆乳の人が片方摘出すると

身体のバランスが崩れて背骨が歪んだり

肩こりがひどくなったりすることもあるんだって!

喪失感で、精神的に病んでしまう人もいるみたいだし

やはり身体に本来二つ備わっているものが

一つ失われるって、大変なことなんだな。


私は幸いにも二人の子供を授かり

二人とも完全母乳で育てることができた。

小さいながらも機能的には優秀だった私の乳房。

だからお疲れ様の意味も込めて、再建しようと思った。


乳房再建には、自分の組織(背中やお腹の筋肉)を移植するものと

シリコンのインプラントを入れる方法がある。

(ほかにもあります。詳しくは乳ガン学会のサイトへ)

出来上がりの良さは移植が上のようだが

手術は長時間、入院も長くかかる。

私は高校生の時に盲腸の開腹手術をしているので

腹部からの移植はできないそうだ。

背中の肉もほとんどないしな~

切り取られた部分、痛そうだな~

近年、シリコンの再建が保険適用になったようだし

回復の早さ優先で、シリコンに決めた。


ちなみにシリコンを使った同時再建手術というのは

①乳腺外科医が患部側の乳房を切開して、乳腺を削除

(肉まんの皮を残して、肉だけ取り除く感じ)

②脇の下のリンパ節に転移がないか?少し切除してその場で病理検査

③転移があればリンパ節を摘出。なければそのまま縫合

④形成外科医とバトンタッチ

⑤空洞となった部分にエキスパンダーを入れて縫合

(生理食塩水の入った風船のようなもの)

⑥完了


術後、患部の皮膚を伸ばすため

半年から8ケ月かけてエキスパンダーに数回注水する。

いい感じに伸びたら、エキスパンダーを取り除き

シリコンを入れて完成。

その再手術は、3泊くらいの入院でできるらしい。

更にその後、希望によって乳輪・乳頭の形成術もあり

これはもうすごい世界なので、今は割愛。


さて形成外科の初診日。

噂には聞いていたけど、、なにかのプレイでしょか?

スタッフ数名の前で半裸で立たされてね

身体の至る所を計測されるのですよ!

あんな所もこんな所もそんな所もミリ単位でね!

測るのは若い女医さんだったけれど

パソコンにデータを打ち込んだり、計測器を選んだり

胸の大きさとエキスパンダーの大きさを比較するのは

執刀する男性医師でね!

最後は3D画像も撮られてね!

色んな角度からぐる~んと自分の上半身を見て思ったね!


この1年、腹筋やっといて良かった、、、( ;∀;)


五十過ぎのおばはんの身体など、興味ないのは重々承知!

お医者さんなのだから、見慣れているのも承知ノ助!

だからこれは自分自身の問題なの~

3D画像で、腹直筋のラインが見れて嬉しかったの~


形成外科医の先生というのは、これまた超偏見だけど

女性は美人でピッとしている人が多くて

男性は大人しくてプラモデルが上手そうな人が多い。

美への探求心や、手先の器用さが必要な分野なのだろうか。

執刀医のU先生、ガンダム好きそうだわ。


一通りの検査を終えて、数日後ついにI先生の診察へ。

I先生の説明は、K先生を更にフラットにしたような

むっちゃ親身!って感じでもないが、分かりやすかった。

MRIの結果では、脇への転移は認められないが、100%確定とは言えない。

採取した細胞の病理結果は繁殖力が弱めのタイプだったが

手術で摘出した病巣の病理結果と異なることもある。

つまり開けてみなければ、何事も確定はできないという訳だ。

だから今できることに集中しましょう。

乳輪・乳頭に関しては、病巣が真下にあるので残さない方が良いでしょうと言われた。

どうしてもという場合は、他の医師と再検討します、とのこと。


「先生ご自身でしたら、どうしますか?」

「再発を避けるため、摘出します」

「では取ってください!」

即決。

迷いはなかった。


それよりも困ったのは、再建でエキスパンダーを入れると

金属の部品があるため放射線治療ができないということ。

乳房を全摘出しても、脇リンパ節への転移があった場合は

放射線治療が必要なこともある。

再建は先送りにして放射線治療をすると

皮膚が伸びにくいのでエキスパンダーは使えない=移植再建が望ましい。


え~~、そんなーーーっ


脇リンパ節への転移があった場合

通常は先に抗がん剤治療で、その間にエキスパンダーで皮膚を伸ばし

シリコンに入れ替えてから放射線治療になるらしいのだが、、

何だかタイムロスがあるような気がして不安になった。

再建が治療の妨げにならないのか?

再建のタイミングは、今なのか?

そもそも私に再建が必要なのか?

これが自分で決める医療ってやつ!?


「脇リンパ節への転移が認められたら、再建はしない、ということもできます」


悩む私にI先生が助け舟。

おお!そんな手があるのね!

開けてみないと分からないから、身体に決めてもらうってやつね!

という訳で手術の同意書に、その旨が手書きで追加された。


うむむ、でもこれでいいのかな?

再建には拘らないつもりだったけど

いざ出来ないかも、となると揺れる女心~(@_@)


「手術前日まで、ゆっくり考えてください。どちらでも対応できるようにしますから」


だばーーーーー(心中号泣二回目)


再建すべきか?否か?

私は手術前日まで悶々と悩むことになるのだけど

後日、入院中に仲良くなった同室の方に聞いたら

エキスパンダーを取り除くのは、日帰り外来でできるほど簡単なんだって!

でも入れるのは大変だから、乳腺外科手術の時にやるらしい。

とりあえず入れておけばいいのよ~と言われ

安心するやら、何だよーーーと思うやら。

そんな情報、どこにもなかったよーーー!

形成の先生に詳しく聞けば良かったのかな?

ヲタクっぽいとか

秋葉原行ってそうとか

いらんことばっかり考えてた自分を反省。


まだ続く!

本日のオボエテタンゴ

自怨自艾

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くよくよする

この1か月で一生分くよくよした。もうしません。飽きました。

2018-08-293年目の当たり

6月末に受けた検診で、乳ガンが見つかった。

疑いでもなく、グレーでもなく、完全なる黒の当たりだ。

3年前の検診でひっかかってから

ずっとずっと不安で怯えていた右胸。

今回やっと止めを刺された感じで

私はむしろ清々しくスッキリした。


それからは怒涛の勢いで事が進み

通常は数か月待ちの手術が

キャンセルが入ったため1か月後となり

ついでに乳房再建の手術もセットで行われ

2週間入院の予定が、回復が早くて10日で退院となった。

↑今ココ


おしまい('ω')ノ



では余りにも短すぎるので、順を追って忘備録。


3年前、娘を産んだ総合病院での検診で

触診で分かるか?分からないか?

くらいの小さなしこりが見つかった。

乳腺外科の世界では、なかなかの地位にいる医師が

画像を見ただけで私の顔は見ず

「教科書でいえばガンだね」

と、冷たく言った。

でも細胞と組織の精密検査では、良性だった。

半年後に再検査をしても良性だった。


だけどその医師の態度は、常に私を不安にさせた。

患者の容態よりも、自分のキャリアを優先しているように感じられたからだ。

これ以上、この人には任せたくない。

私の本能が拒否していた。

愛してやまない病院だったのに

死ぬならココと思っていたのに

昔好きだった男性と久々に会ったら

世間に揉まれて人が変わっちゃったみたいなショックだった。


その後で息子のママ友に紹介されたのは、小さな個人のクリニック。

院長のK先生はまだ若かったけど、クリニック全体がやさしかった。

総合病院でのいきさつを話すと、前述の医師とは面識があるらしく


「あ~、そ、そうですか、、、○○先生でしたか、、う~ん、、、」


返答に困るK先生。

医学界、いろいろありそうねぇ。


そのクリニックは小さいながらも最新の検査機があり

当日に結果を教えてくれた。

そしてなんと、以前にあった小さなしこりが消滅!?

触診でも、画像上でもなくなっていた。


「次は1年後でいいですよ。ご不安でしたよね」


ありがとうございますぅぅ~(涙)

しかし米粒ほどの小さなしこりは、どこへ行ったのだろう?

またいつか、出てくるのだろうか?

不安が100%消えた訳じゃなかった。

でもK先生に出会えたことで、私の心はかなり落ち着いた。


で、1年後の今年。

触診では分からないが、前回なかった影がはっきりと

マンモにもエコーにも映っていた。

エコーでピピッとなぞられる度に、心臓と胃がきゅう~って縮む。

蘇る3年前の不安と恐怖。

K先生がエコーを見ながら、太い鍼で組織を抜いた時

私はガンなんだな、と思った。


「検査結果が出るまでの1週間、ドキドキしちゃうけど、ちゃんと調べておきましょうね!」


K先生の声が、頭を通りすぎてゆく。

クリニックから自宅まで、15分足らずだったけど

どうやって帰って来たのか分からないほど

私は放心状態だった。


それからの1週間は、白なのか?黒なのか?

またまたグレーで先送りなのか?

覚悟と諦めと期待とが、ジェットコースターのように駆け巡った。

人にとって一番怖いのは、不安なのだと私は思う。

早くハッキリさせたい自分と

このまま知らずに逃げたい自分。

気持ちはグルグル日替わりどころか

分替わりで変わってゆく。


白だとしても、きっとまた半年後に再検査。

その間ずっと不安で、ずっと辛い。

待ちの期間、不安で押し潰されそうになるから

もう黒にしてくれ!と思った。

でも黒だったら、それで終わりという訳ではない。

転移、再発という新たな不安が生まれ

それは私だけでなく、家族にも襲いかかるだろう。

ならば私一人で我慢した方がいい。

子どもたちの心が少しでも成長するまで

せめて娘の高校受験が終わるまで、時間を稼ぎたい。

できることなら、ずっと白でいたい。


結婚して初めて、夫の肩で少し泣いた。

以前に胃ガンの手術をした旧友のM子が

毎日メールで力づけてくれた。

あぁ、情けなや。

私ってこんなに弱かったっけ?


いや、待てよ。

まだまだ学生にすぎないけれど

私は心理士になるんじゃなかったか?

自分の気持ちのコントロールができなくてどうする!?

これまで勉強してきた知識、活かさないでどうする!?


てな訳で、セルフカウンセリングしてみました。

◎カウンセラーと△クライアント、1人二役の小劇場。

◎lingさん、今日はどうされましたか?

△乳ガンかもしれなくて、不安なんです、、

◎そうなんですね。具体的にどんなことが不安ですか?

△この先のこと、子どものこと、、、それと、、、

アホみたいだが、これが私にはすごく効いた。

自分の気持ちを具体的に言葉にして

その不安な感情を客観的に見直して

思い悩むことで、何か変わるのか?

現実的な解決策は、何があるのか?

頭では分かっていても、心が追い付いていかない時

他者から何て言って欲しいのか?

カウンセラーとクライアント、両者の気持ちと立場が分かって

こりゃお得!!とまでに切り替えることができた。

私、大丈夫だわ。


そして運命の1週間後。7月始め。

K先生から正式に乳ガンの告知を受けた。

K先生の説明は、余計な期待も不安も持たせないような

とてもフラットで、でも温かみのある口調だった。

だからやっぱりガンなんだな、とは思ったけどそんなにショックではなくて

それよりも医師の対応によって、患者が受ける衝撃はこんなにも違うものかと

総合病院との差に、ホントぉぉぉに驚いた。


更にK先生の神対応は続く。

私のしこりは小さいけれど複数あるので

全摘出にした方が良いだろう、とのこと。

乳ガンには色々なタイプがあって

手術で取り除いた病巣を詳しく検査しなければ

その後の治療方針が立てられないこと。

乳ガンの手術と、乳房再建手術が同時にできること。

紹介する大学病院の医療方針やスタッフについて。

医師との相性について。

初診時の裏技?!について。

一つ一つ、丁寧に教えてくださった。


「もしね、担当医と合わない場合は、変えることもできますから」

「直接は言いにくいでしょうから、僕に連絡してください。なんとかします」

「患者さんはね、余計な我慢はしないでいいんですよ」


だば------------っ(心中ド号泣)


この先生に見つけてもらって良かった

この先生に告知してもらって良かった

もしあのまま総合病院にかかっていたら

あの医師に告げられていたら

私は壊れていたかもしれないと思った。


K先生、ありがとうございました!

長い治療になりそうだけど、がんばります!


続く~


本日のオボエテタンゴ

开门红

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幸先がいい

K先生との出会いが、ラッキーの始まり

2018-05-21新生活

今月から、予備校生になったワタクシ。

週二回、英語と心理の授業を個別で受けております。

この先、心理系の大学院を受験してみちゃおうかしら~なんて

ちょいと調子に乗っておりましてね。

そしたら試験科目に英文和訳がドーーン!

ひーーっ!( ゚Д゚)

高校時代、英語が苦手だったから大学では中国語に逃げたのに

この歳になってまた英語に苦しめられるとは!


百万年ぶりに英語の問題を解いてゆくと

次々に蘇る苦い記憶のあれこれそれ。

動詞が現在・過去・過去完了で変わるのが面倒くさい!

それが何種類もパターンがあって面倒くさい!

とにかく時制が面倒くさい!

have gone to とか have been to とかさ!

これだから嫌いなんだよ、英語はよ!


ついでに言うと、英文科の女子大生も嫌いだった。

彼女らは皆コンサバな服を着て、ブランドのショルダーバックを持って

遊んでばっかりのテニスサークルに入っていて、コンパではカルピス割りを飲んでいた。

(超偏見な記憶)

そんな彼女たちにワタシは何度も


「えぇ~、中国語やってるの?難しそぉぉ。全部漢字で分かんなぁ~い」


などと鼻で笑われたこと数知れず。

ま、確かにワタシが所属していた中国文学科の学生は

地味で冴えなくてヲタクっぽくて暗かったけどね。

(これまた超偏見)

ワタシ自身も大学構内では、大半をテニス用のジャージで過ごしていたし

体育会の飲み会では、小どんぶりでビールを飲むのが常だったから

華やかなキャンパスライフとは、全くもって無縁でしたけども!


でも女子大生のワタシは、中国語が楽しくて仕方がなかった。

四字熟語に秘められた歴史や、美しい発音の響きがたまらなかった。

中国文学のややこしいけれど奥深い表現も好きだった。


なんでもかんでも、英語にすれば格好いいと思うなよ!

英語ができるのと、頭がいいのとは違うからな!

いつか英語の辞書よりも、中国語の辞書を抱えて歩く女子大生の方が

イケてる世の中にしてやるーーっ!!

と、鼻息荒く何かに誓った記憶がある。

何に?自分にか?


あれから30年近く経ち、今でもアンチ英語派のワタシが

また英語の辞書を引くなんて不本意だわ!

志に反するわ!

とにかく嫌だわ!

蕁麻疹でそう!

と、思っておりましたらば


なにこれ、超楽~!

英単語って、ローマ字のまま引けばいいの?

(当たり前)

部首を見極めて、画数を数えなくていいの?

(これまた当たり前)

ら、楽勝~!!


意外や意外。

これは嬉しい誤算てやつ?

もうじゃんじゃんバリバリ引きまくりですよ。

知りたい単語に、あっという間にたどり着くよ。

まさか中国語での苦労が、こんな形で報われるとは!


そしてすでに翻訳の道から外れて久しいけれど

外国語を和訳することは、そんなに苦ではなかった。

さびついていた国語力も、この二年間のレポート書きで

少しは勘が戻ってきていた。

しかし、翻訳と試験で点数を取る和訳とは基準が違うらしく

ワタシは主語の省略癖や、意訳が強いことを先生から指摘された。

しょぼぼ~ん


で、余談だけど

ワープロではなく、手書きで日本語の文章を書く時に

つい簡体字を書いてしまうのは、中国語関係者のあるあるではないでしょ~か!?

「習」とかさ、「习」で済むから楽で早いものね。

でも試験の答案で書いてしまうと、エライことになってしまうわ~



それにしても予備校の講師というのは、

良い意味での叩き上げ感がすごい。

大学の先生は、自身がその学問好きで、ずっと研究していたくて

授業はそのおすそ分け~みたいな方が多かったけど

予備校講師は生徒に1点でも多く取らせるため

合格させるためのノウハウを、次々と畳みかけてくる。

いや~、受験勉強って大変ねぇ(+o+)

でも心理担当の先生曰く、受験勉強は「無味乾燥な暗記作業」ではなく

「将来の自分のための投資」なんだって!


ワタシはいろんな状況によっては

大学院受験が夢で終わってしまうかもしれないけれど

自分の知識として欲しいから学ぶのだ。

そのオマケで、サクラが咲くといいなぁ。


本日のオボエテタンゴ

开小差

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うわの空

勉強に疲れると、妄想に逃げる癖がやめられん

2018-03-24卒業式

二年間の通信課程を修了し、本日無事に心理学部を卒業しました。

応援してくれた家族に感謝です。

自分の体力、気力、脳力もさることながら

親の介護、子供の状態などなど、常に不安と並走だった二年間。

しかし、やってみるものです。

走り出したら何とかなるものです。

スタートの合図を聞くまでの方が怖くて辛かった。


心理学を学んで得たものはたくさんあるけれど

一番の収穫は、私自身が無駄に傷つかなくなったこと。

それは精神的に図太くなったというのではなく

(もともと図太かったけど)

これまで本能と感覚重視だった私の人生に

初めて論理的な、科学的な思考が植え付けられた成果です。

齢五十にして初理系。

そうなの奥さん。

心理学って理系なのよ。


とはいえ、やっとこれでベースができただけ。

この先に進むため、ワタクシ100万年ぶりに英語を勉強します!

ひやーーー(+o+)


本日のオボエテタンゴ

派対

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パーティ

職員よりも年長者が多い卒業生の祝賀会は、管理職の慰安会みたいだった