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2018-06-14中国の有名なお話(教材用現代中国語版) このエントリーを含むブックマーク

梁山伯与祝英台

从前有个姓祝的地主,人称祝员外,他的女儿祝英台不仅美丽大方,而且非常的聪明好学。但由于古时候女子不能进学堂读书,祝英台只好日日倚在窗栏上,望着大街上身背着书箱来来往往的读书人,心里羡慕极了!难道女子只能在家里绣花吗?为什么我不能去上学?她突然反问自己:对啊!我为什么就不能上学呢?

想到这儿,祝英台赶紧回到房间,鼓起勇气向父母要求:“爹,娘,我要到杭州去读书。我可以穿男人的衣服,扮成男人的样子,一定不让别人认出来,你们就答应我吧!”祝员外夫妇开始不同意,但经不住英台撒娇哀求,只好答应了。

第二天一清早,天刚蒙蒙亮,祝英台就和丫鬟扮成男装,辞别父母,带着书箱,兴高采烈地出发去杭州了。

到了学堂的第一天,祝英台遇见了一个叫梁山伯的男同学,学问出众,人品也十分优秀。她想:这么好的人,要是能天天在一起,一定会学到很多东西,也一定会很开心的。而梁山伯也觉得与她很投缘,有一种一见如故的感觉。于是,他们常常一起诗呀文呀谈得情投意合,冷呀热呀相互关心体贴,促膝并肩,两小无猜。后来,两人结拜为兄弟,更是时时刻刻,形影不离。

春去秋来,一晃三年过去了,学年期满,该是打点行装、拜别老师、返回家乡的时候了。同窗共烛整三载,祝英台已经深深爱上了她的梁兄,而梁山伯虽不知祝英台是女生,但也对她十分倾慕。他俩恋恋不舍地分了手,回到家后,都日夜思念着对方。几个月后,梁山伯前往祝家拜访,结果令他又惊又喜。原来这时,他见到的祝英台,已不再是那个清秀的小书生,而是一位年轻美貌的大姑娘。再见的那一刻,他们都明白了彼此之间的感情,早已是心心相印。

此后,梁山伯请人到祝家去求亲。可祝员外哪会看得上这穷书生呢,他早已把女儿许配给了有钱人家的少爷马公子。梁山伯顿觉万念俱灰,一病不起,没多久就死去了。

听到梁山伯去世的消息,一直在与父母抗争以反对包办婚姻的祝英台反而突然变得异常镇静。她套上红衣红裙,走进了迎亲的花轿。迎亲的队伍一路敲锣打鼓,好不热闹!路过梁山伯的坟前时,忽然间飞沙走石,花轿不得不停了下来。只见祝英台走出轿来,脱去红装,一身素服,缓缓地走到坟前,跪下来放声大哭,霎时间风雨飘摇,雷声大作,“轰”的一声,坟墓裂开了,祝英台似乎又见到了她的梁兄那温柔的面庞,她微笑着纵身跳了进去。接着又是一声巨响,坟墓合上了。这时风消云散,雨过天晴,各种野花在风中轻柔地摇曳,一对美丽的蝴蝶从坟头飞出来,在阳光下自由地翩翩起舞。

牛郎织女

牛郎只有一头老牛、一张犁,他每天刚亮就下地耕田,回家后还要自己做饭洗衣,日子过得十分辛苦。谁料有一天,奇迹发生了!牛郎干完活回到家,一进家门,就看见屋子里被打扫得干干净净,衣服被洗得清清爽爽,桌子上还摆着热腾腾、香喷喷的饭菜。牛郎吃惊得瞪大了眼睛,心想:这是怎么回事?神仙下凡了吗?不管了,先吃饭吧。

此后,一连几天,天天如此,牛郎耐不住性子了,他一定要弄个水落石出。这天,牛郎象往常一样,一大早就出了门,其实,他走了几步就转身回来了,没进家门,而是找了个隐蔽的地方躲了起来,偷偷地观察着。果然,没过多久,来了一位美若天仙的姑娘,一进门就忙着收拾屋子、做饭,甭提多勤劳了!牛郎实在忍不住了,站了出来道:“姑娘,请问你为什么要来帮我做家务呢?”那姑娘吃了一惊,脸红了,小声说道:“我叫织女,看你日子过得辛苦,就来帮帮你。”牛郎听得心花怒放,赶忙接着说:“那你就留下来吧,我们同甘共苦,一起用双手建设幸福的生活!”织女红着脸点了点头,他们就此结为夫妻,男耕女织,生活得很美满。

过了几年,他们生了一男一女两个孩子,一家人过得开心极了。一天,突然间天空乌云密布,狂风大作,雷电交加,织女不见了,两个孩子哭个不停,牛郎急得不知如何是好。正着急时,乌云又突然全散了,天气又变得风和日丽,织女也回到了家中,但她的脸上却满是愁云。只见她轻轻地拉住牛郎,又把两个孩子揽入怀中,说道:“其实我不是凡人,而是王母娘娘的外孙女,现在,天宫来人要把我接回去了,你们自己多多保重!”说罢,泪如雨下,腾云而去。

牛郎搂着两个年幼的孩子,欲哭无泪,呆呆地站了半天。不行,我不能让妻子就这样离我而去,我不能让孩子就这样失去母亲,我要去找她,我一定要把织女找回来!这时,那头老牛突然开口了:“别难过!你把我杀了,把我的皮披上,再编两个箩筐装着两个孩子,就可以上天宫去找织女了。”牛郎说什么也不愿意这样对待这个陪伴了自己数十年的伙伴,但拗不过它,又没有别的办法,只得忍着痛、含着泪照它的话去做了。

到了天宫,王母娘娘不愿认牛郎这个人间的外孙女婿,不让织女出来见他,而是找来七个蒙着面、高矮胖瘦一模一样的女子,对牛郎说:“你认吧,认对了就让你们见面。”牛郎一看傻了眼,怀中两个孩子却欢蹦乱跳地奔向自己的妈妈,原来,母子之间的血亲是什么也无法阻隔的!

王母娘娘没办法了,但她还是不甘心织女再回到人间,于是就下令把织女带走。牛郎急了,牵着两个孩子赶紧追上去。他们跑着跑着,累了也不肯停歇,跌倒了再爬起来,眼看着就快追上了,王母娘娘情急之下拔出头上的金簪一划,在他们中间划出了一道宽宽的银河。从此,牛郎和织女只能站在银河的两端,遥遥相望。而到了每年农历的七月初七,会有成千上万的喜鹊飞来,在银河上架起一座长长的鹊桥,让牛郎织女一家再次团聚。

白蛇传

清明时分,西湖岸边花红柳绿,断桥上面游人如梭,真是好一幅春光明媚的美丽画面。突然,从西湖底悄悄升上来两个如花似玉的姑娘,怎么回事?人怎么会从水里升出来呢?原来,她们是两条修炼成了人形的蛇精,虽然如此,但她们并无害人之心,只因羡慕世间的多彩人生,才一个化名叫白素贞,一个化名叫小青,来到西湖边游玩。

偏偏老天爷忽然发起脾气来,霎时间下起了倾盆大雨,白素贞和小青被淋得无处藏身,正发愁呢,突然只觉头顶多了一把伞,转身一看,只见一位温文尔雅、白净秀气的年轻书生撑着伞在为她们遮雨。白素贞和这小书生四目相交,都不约而同地红了红脸,相互产生了爱慕之情。小青看在眼里,忙说:“多谢!请问客官尊姓大名。”那小书生道:“我叫许仙,就住在这断桥边。”白素贞和小青也赶忙作了自我介绍。从此,他们三人常常见面,白素贞和许仙的感情越来越好,过了不久,他们就结为夫妻,并开了一间“保和堂”药店,小日子过得可美了!

由于“保和堂”治好了很多很多疑难病症,而且给穷人看病配药还分文不收,所以药店的生意越来越红火,远近来找白素贞治病的人越来越多,人们将白素贞亲切地称为白娘子。可是,“保和堂”的兴隆、许仙和白娘子的幸福生活却惹恼了一个人,谁呢?那就是金山寺的法海和尚。因为人们的病都被白娘子治好了,到金山寺烧香求菩萨的人就少多了,香火不旺,法海和尚自然就高兴不起来了。这天,他又来到“保和堂”前,看到白娘子正在给人治病,不禁心内妒火中烧,再定睛一瞧,哎呀!原来这白娘子不是凡人,而是条白蛇变的!

法海虽有点小法术,但他的心术却不正。看出了白娘子的身份后,他就整日想拆散许仙白娘子夫妇、搞垮“保和堂”。于是,他偷偷把许仙叫到寺中,对他说:“你娘子是蛇精变的,你快点和她分手吧,不然,她会吃掉你的!”许仙一听,非常气愤,他想:我娘子心地善良,对我的情意比海还深。就算她是蛇精,也不会害我,何况她如今已有了身孕,我怎能离弃她呢!法海见许仙不上他的当,恼羞成怒,便把许仙关在了寺里。

“保和堂”里,白娘子正焦急地等待许仙回来。一天、两天,左等、右等,白娘子心急如焚。终于打听到原来许仙被金山寺的法海和尚给“留”住了,白娘子赶紧带着小青来到金山寺,苦苦哀求,请法海放回许仙。法海见了白娘子,一阵冷笑,说道:“大胆妖蛇,我劝你还是快点离开人间,否则别怪我不客气了!”白娘子见法海拒不放人,无奈,只得拔下头上的金钗,迎风一摇,掀起滔滔大浪,向金山寺直逼过去。法海眼见水漫金山寺,连忙脱下袈裟,变成一道长堤,拦在寺门外。大水涨一尺,长堤就高一尺,大水涨一丈,长堤就高一丈,任凭波浪再大,也漫不过去。再加上白娘子有孕在身,实在斗不过法海,后来,法海使出欺诈的手法,将白娘子收进金钵,压在了雷峰塔下,把许仙和白娘子这对恩爱夫妻活生生地拆散了。

小青逃离金山寺后,数十载深山练功,最终打败了法海,将他逼进了螃蟹腹中,救出了白娘子,从此,她和许仙以及他们的孩子幸福地生活在一起,再也不分离了。


孟姜女哭长城

秦朝时候,有个善良美丽的女子,名叫孟姜女。一天,她正在自家的院子里做家务,突然发现葡萄架下藏了一个人,吓了她一大跳,正要叫喊,只见那个人连连摆手,恳求道:“别喊别喊,救救我吧!我叫范喜良,是来逃难的。”原来这时秦始皇为了造长城,正到处抓人做劳工,已经饿死、累死了不知多少人!孟姜女把范喜良救了下来,见他知书达理,眉清目秀,对他产生了爱慕之情,而范喜良也喜欢上了孟姜女。他俩儿心心相印,征得了父母的同意后,就准备结为夫妻。

成亲那天,孟家张灯结彩,宾客满堂,一派喜气洋洋的情景。眼看天快黑了,喝喜酒的人也都渐渐散了,新郎新娘正要入洞房,忽然只听见鸡飞狗叫,随后闯进来一队恶狠狠的官兵,不容分说,用铁链一锁,硬把范喜良抓到长城去做工了。好端端的喜事变成了一场空,孟姜女悲愤交加,日夜思念着丈夫。她想:我与其坐在家里干着急,还不如自己到长城去找他。对!就这么办!孟姜女立刻收拾收拾行装,上路了。

一路上,也不知经历了多少风霜雨雪,跋涉过多少险山恶水,孟姜女没有喊过一声苦,没有掉过一滴泪,终于,凭着顽强的毅力,凭着对丈夫深深的爱,她到达了长城。这时的长城已经是由一个个工地组成的一道很长很长的城墙了,孟姜女一个工地一个工地地找过来,却始终不见丈夫的踪影。最后,她鼓起勇气,向一队正要上工的民工询问:“你们这儿有个范喜良吗?”民工说:“有这么个人,新来的。”孟姜女一听,甭提多开心了!她连忙再问:“他在哪儿呢?”民工说:“已经死了,尸首都已经填了城脚了!”

猛地听到这个噩耗,真好似晴天霹雳一般,孟姜女只觉眼前一黑,一阵心酸,大哭起来。整整哭了三天三夜,哭得天昏地暗,连天地都感动了。天越来越阴沉,风越来越猛烈,只听“哗啦”一声,一段长城被哭倒了,露出来的正是范喜良的尸首,孟姜女的眼泪滴在了他血肉模糊的脸上。她终于见到了自己心爱的丈夫,但他却再也看不到她了,因为他已经被残暴的秦始皇害死了。

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2018-06-12酒虫/聊斎志異と芥川 このエントリーを含むブックマーク

酒虫

原文

长山刘氏,体肥嗜饮。每独酌,辄尽一瓮。负郭田三百亩,辄半种黍;而家豪富,不以饮为累也。一番僧见之,谓其身有异疾。刘答言:“无。”僧曰:“君饮尝不醉否?”曰:“有之。”曰:“此酒虫也。”刘愕然,便求医疗。曰:“易耳。”问:“需何药?”俱言不须。但令于日中俯卧,絷手足;去首半尺许,置良酝一器。   移时,燥渴,思饮为极。酒香入鼻,馋火上炽,而苦不得饮。忽觉咽中暴痒,哇有物出,直堕酒中。解缚视之,赤肉长三寸许,蠕动如游鱼,口眼悉备。刘惊谢。酬以金,不受,但乞其虫。问:“将何用?”曰:“此酒之精,瓮中贮水,入虫搅之,即成佳酿。”刘使试之,果然。刘自是恶酒如仇。体渐瘦,家亦日贫,后饮食至不能给。

异史氏曰:“日尽一石,无损其富;不饮一斗,适以益贫:岂饮啄固有数乎?或言:‘虫是刘之福,非刘之病,僧愚之以成其术。’然欤否欤?”

注释

[1]长山:今山东省旧县名。一九五六年并入邹平县。

[2〕负郭田:靠近城郭的田地,指膏腴之田。《史记·苏秦列传》:“使 吾有洛阳负郭田二顷,吾岂能佩六国相印乎?”

[3]番僧:西域来的僧人。番,旧时对西方边境各族的称呼。

[4]去:距离。

[5]哇:吐。

[6]石、斗:都是量酒的计量单位,十斗为石。《史记·滑稽列传》:“臣 饮一斗亦醉,一石亦醉。”

[7]饮啄有数:谓一饮一啄,皆有定数。饮啄,本指鸟类饮食,后泛指人 的饮食。《太平广记·贫妇》引《玉堂闲话》:“一饮一啄,系之于分。” 数,定数、命定的。

译文

山东长山的刘某,身体肥胖爱好饮酒,每当独饮,总要喝尽一瓮。他有靠近城郭的三百亩好地,常常只种一半庄稼;而家里非常富足,并没因为爱喝酒使家境受影响。

一个西域来的僧人见到刘某,说他身患奇异的病症。刘回答:“没有。”僧人问他:“您饮酒是不是不曾醉过?”刘某说:“是的。”僧人说:“这是肚里有酒虫。”刘某非常惊讶,便求他医治。僧人说:“很容易。”刘某问:“需用什么药?”僧人说什么药都不需要,只是让他在太阳底下俯卧,绑住手足;离头半尺多的地方,放置一盆好酒。过了一会儿,刘某感到又热又渴,非常想饮酒。鼻子闻到酒的香味,馋火往上烧,而苦于喝不到酒。忽然觉得咽喉中猛然发痒,哇的一下吐出一个东西,直落到酒盆里。解开手足一看,一条红肉三寸多长,像游鱼一样蠕动着,嘴、眼俱全。刘某很惊骇地向僧人致谢,拿银子报答他,僧人不收,只是请求要这个酒虫。刘某问他:“作什么用?”僧人回答:“它是酒之精,瓮中盛上水,把虫子放进去搅拌,就成了好酒。”刘某让僧人试验,果然是这样。

刘某从此厌恶酒如同仇人,身体渐渐地瘦下去,家境也日渐贫困,最后竟连饭都吃不上了。

异史氏说:每天喝一石酒,并不会损失他的财富;每天连一斗酒都不喝,反而更加贫穷:人的饮食难道都是有定数的吗?有人说:这酒虫是刘某的福星而不是刘某的病根,那个僧人只是想要得到那个酒虫而欺骗了他。是这样吗?不是这样吗?

酒虫

芥川龍之介

朗読

https://www.youtube.com/watch?v=h3gSSMbteas

       一

 近年にない暑さである。どこを見ても、泥で固めた家々の屋根瓦が、鉛のやうに鈍く日の光を反射して、その下に懸けてある燕《つばめ》の巣さへ、この塩梅《あんばい》では中にゐる雛や卵を、そのまゝ蒸殺《むしころ》してしまふかと思はれる。まして、畑と云ふ畑は、麻でも黍でも、皆、土いきれにぐつたりと頭をさげて、何一つ、青いなりに、萎《しほ》れてゐないものはない。その畑の上に見える空も、この頃の温気《うんき》に中《あ》てられたせいか、地上に近い大気は、晴れながら、どんよりと濁つて、その所々に、霰《あられ》を炮烙《ほうろく》で煎つたやうな、形ばかりの雲の峰が、つぶつぶ[#「つぶつぶ」に傍点]と浮かんでゐる。――「酒虫《しゆちう》」の話は、この陽気に、わざ/\炎天の打麦場《だばくぢやう》へ出てゐる、三人の男で始まるのである。

 不思議な事に、その中の一人は、素裸で、仰向けに地面《ぢびた》へ寝ころんでゐる。おまけに、どう云ふ訳だか、細引《ほそびき》で、手も足もぐる/\巻にされてゐる。が格別当人は、それを苦に病んでゐる容子もない。背《せい》の低い、血色の好い、どことなく鈍重と云ふ感じを起させる、豚のやうに肥つた男である。それから手ごろな素焼《すやき》の瓶が一つ、この男の枕もとに置いてあるが、これも中に何がはいつてゐるのだか、わからない。

 もう一人は、黄色い法衣《ころも》を着て、耳に小さな青銅《からかね》の環をさげた、一見、象貌《しやうばう》の奇古《きこ》な沙門《しやもん》である。皮膚の色が並はづれて黒い上に、髪や鬚《ひげ》の縮れてゐる所を見ると、どうも葱嶺《さうれい》の西からでも来た人間らしい。これはさつきから根気よく、朱柄《しゆえ》の麈尾《しゆび》をふりふり、裸の男にたからうとする虻《あぶ》や蠅を追つてゐたが、流石《さすが》に少しくたびれたと見えて、今では、例の素焼《すやき》の瓶の側へ来て、七面鳥のやうな恰好をしながら、勿体《もつたい》らしくしやがんでゐる。

 あとの一人は、この二人からずつと離れて、打麦場の隅にある草房の軒下に立つてゐる。この男は、頤《あご》の先に、鼠の尻尾のやうな髯《ひげ》を、申訳だけに生やして、踵が隠れる程長い 布衫《さうふさん》に、結目をだらしなく垂らした茶褐帯《さかつたい》と云ふ拵へである。白い鳥の羽で製《つく》つた団扇を、時々大事さうに使つてゐる容子では、多分、儒者か何かにちがひない。

 この三人が三人とも、云ひ合せたやうに、口を噤《つぐ》んでゐる。その上、碌に身動きさへもしない、何か、これから起らうとする事に、非常な興味でも持つてゐて、その為に、皆、息をひそめてゐるのではないかと思はれる。

 日は正に、亭午であらう。犬も午睡《ごすゐ》をしてゐるせいか、吠える声一つ聞えない。打麦場を囲んでゐる麻や黍も、青い葉を日に光らせて、ひつそりかんと静まつてゐる。それから、その末に見える空も、一面に、熱くるしく、炎靄をたゞよはせて、雲の峰さへもこの旱《ひでり》に、肩息をついてゐるのかと、疑はれる。見渡した所、息が通つてゐるらしいのは、この三人の男の外にない。さうして、その三人が又、関帝廟に安置してある、泥塑の像のやうに沈黙を守つてゐる。……

 勿論、日本の話ではない。――支那の長山《ちやうざん》と云ふ所にある劉《りう》氏の打麦場で、或年の夏、起つた出来事である。

       二

 裸で、炎天に寝ころんでゐるのは、この打麦場の主人で、姓は劉、名は大成と云ふ、長山では、屈指の素封家《そほうか》の一人である。この男の道楽は、酒を飲む一方で、朝から、殆、盃《さかづき》を離したと云ふ事がない。それも、「独酌する毎に輒《すなはち》、一甕《いちをう》を尽す」と云ふのだから、人並をはづれた酒量である。尤も前にも云つたやうに、「負郭《ふくわく》の田三百畝、半は黍《きび》を種《う》う」と云ふので、飲《いん》の為に家産が累《わづら》はされるやうな惧《おそれ》は、万々ない。

 それが、何故、裸で、炎天に寝ころんでゐるかと云ふと、それには、かう云ふ因縁がある。――その日、劉が、同じ飲仲間の孫先生《そんせんせい》と一しよに(これが、白羽扇《はくうせん》を持つてゐた儒者である。)風通しのいゝ室《へや》で、竹婦人《ちくふじん》に靠《もた》れながら、棋局を闘《たゝか》はせてゐると、召使ひの丫鬟《あくわん》が来て、「唯今、宝幢寺《はうどうじ》とかにゐると云ふ、坊さんが御見えになりまして、是非、御主人に御目にかゝりたいと申しますが、いかゞ致しませう。」と云ふ。

「なに、宝幢寺?」かう云つて、劉は小さな眼《め》を、まぶしさうに、しばたたいたが、やがて、暑さうに肥つた体を起しながら、「では、こゝへ御通し申せ。」と云ひつけた。それから、孫先生の顔をちよいと見て「大方あの坊主でせう。」とつけ加へた。

 宝幢寺にゐる坊主と云ふのは、西域《せいいき》から来た蛮僧である。これが、医療も加へれば、房術も施すと云ふので、この界隈では、評判が高い。たとへば、張三の黒内障が、忽、快方に向つたとか、李四の病閹《べうえん》が、即座に平癒したとか、殆、奇蹟に近い噂が盛に行はれてゐるのである。――この噂は、二人とも聞いてゐた。その蛮僧が、今、何の用で、わざわざ、劉の所へ出むいて来たのであらう。勿論、劉の方から、迎へにやつた覚えなどは、全然ない。

 序に云つて置くが、劉は、一体、来客を悦ぶやうな男ではない。が、他《た》に一人、来客がある場合に、新来の客が来たとなると、大抵ならば、快く会つてやる。客の手前、客のあるのを自慢するとでも云つたらよささうな、小供らしい虚栄心を持つてゐるからである。それに、今日の蛮僧は、この頃、どこででも評判になつてゐる。決して、会つて恥しいやうな客ではない。――劉が会はうと云ひ出した動機は、大体こんな所にあつたのである。

「何の用でせう。」

「まづ、物貰ひですな。信施《しんぜ》でもしてくれと云ふのでせう。」

 こんな事を、二人で話してゐる内に、やがて、丫鬟《あくわん》の案内で、はいつて来たのを見ると、背《せい》の高い、紫石稜《しせきれう》のやうな眼をした、異形《いぎやう》な沙門である。黄色い法衣《ころも》を着て、その肩に、縮れた髪の伸びたのを、うるささうに垂らしてゐる。それが、朱柄の麈尾《しゆび》を持つたまゝ、のつそり室《へや》のまん中に立つた。挨拶もしなければ、口もきかない。

 劉は、しばらく、ためらつてゐたが、その内に、それが何となく、不安になつて来たので「何か御用かな。」と訊いて見た。

 すると、蛮僧が云つた。「あなたでせうな、酒が好きなのは。」

「さやう。」劉は、あまり問が唐突《だしぬけ》なので、曖昧な返事をしながら、救を求めるやうに、孫先生の方を見た。孫先生は、すまして、独りで、盤面に石を下してゐる。まるで、取り合ふ容子はない。

「あなたは、珍しい病に罹つて御出になる。それを御存知ですかな。」蛮僧は念を押すやうに、かう云つた。劉は、病と聞いたので、けげんな顔をして、竹婦人を撫《な》でながら、

「病――ですかな。」

「さうです。」

「いや、幼少の時から……」劉が何か云はうとすると、蛮僧はそれを遮《さへぎ》つて、

「酒を飲まれても、酔ひますまいな。」

「……」劉は、ぢろぢろ、相手の顔を見ながら、口を噤《つぐ》んでしまつた。実際この男は、いくら酒を飲んでも、酔つた事がないのである。

「それが、病の証拠ですよ。」蛮僧は、うす笑《わらひ》をしながら、語をついで、「腹中に酒虫がゐる。それを除かないと、この病は癒《なほ》りません。貧道は、あなたの病を癒しに来たのです。」

「癒りますかな。」劉は思はず覚束《おぼつか》なさうな声を出した。さうして、自分でそれを恥ぢた。

「癒ればこそ、来ましたが。」

 すると、今まで、黙つて、問答を聞いてゐた孫先生が、急に語を挟んだ。

「何か、薬でも御用ひか。」

「いや、薬なぞは用ひるまでもありません。」蛮僧は不愛想《ぶあいさう》に、かう答へた。

 孫先生は、元来、道仏の二教を殆、無理由に軽蔑してゐる。だから、道士とか僧侶とかと一しよになつても、口をきいた事は滅多《めつた》にない。それが、今ふと口を出す気になつたのは、全く酒虫と云ふ語の興味に動かされたからで、酒の好きな先生は、これを聞くと、自分の腹の中にも、酒虫がゐはしないかと、聊《いささか》、不安になつて来たのである。所が、蛮僧の不承不承な答を聞くと、急に、自分が莫迦《ばか》にされたやうな気がしたので、先生はちよいと顔をしかめながら、又元の通り、黙々として棋子を下しはじめた。さうして、それと同時に、内心、こんな横柄な坊主に会つたり何ぞする主人の劉を、莫迦げてゐると思ひ出した。

 劉の方では、勿論そんな事には頓着《とんちやく》しない。

「では、針でも使ひますかな。」

「なに、もつと造作のない事です。」

「では呪《まじなひ》ですかな。」

「いや、呪でもありません。」

 かう云ふ会話を繰返した末に、蛮僧は、簡単に、その療法を説明して聞かせた。――それによるに、唯、裸になつて、日向《ひなた》にぢつとしてゐさへすればよいと云ふのである。劉には、それが、甚、容易な事のやうに思はれた。その位の事で癒るなら、癒して貰ふのに越した事はない。その上、意識してはゐなかつたが、蛮僧の治療を受けると云ふ点で、好奇心も少しは動いてゐた。

 そこでとうとう、劉も、こつちから頭を下げて、「では、どうか一つ、癒して頂きませう。」と云ふ事になつた。――劉が、裸で、炎天の打麦場にねころんでゐるのには、かう云ふ謂《いは》れが、あるのである。

 すると蛮僧は、身動きをしてはいけないと云ふので、劉の体を細引で、ぐるぐる巻にした。それから、僮僕《どうぼく》の一人に云ひつけて、酒を入れた素焼の瓶を一つ、劉の枕もとへ持つて来させた。当座の行きがかりで、糟邱《そうきう》の良友たる孫先生が、この不思議な療治に立合ふ事になつたのは云ふまでもない。

 酒虫と云ふ物が、どんな物だか、それが腹の中にゐなくなると、どうなるのだか、枕もとにある酒の瓶は、何にするつもりなのだか、それを知つてゐるのは、蛮僧の外に一人もない。かう云ふと、何も知らずに、炎天へ裸で出てゐる劉は、甚、迂濶《うくわつ》なやうに思はれるが、普通の人間が、学校の教育などをうけるのも、実は大抵、これと同じやうな事をしてゐるのである。

       三

 暑い。額へ汗がぢりぢりと湧いて来て、それが玉になつたかと思ふと、つうつと生暖《なまあつたか》く、眼の方へ流れて来る。生憎、細引でしばられてゐるから、手を出して拭ふ訳には、勿論行かない。そこで、首を動かして、汗の進路を変へやうとすると、その途端に、はげしく眩暈《めまひ》がしさうな気がしたので、残念ながら、この計画も亦、見合せる事にした。その中に、汗は遠慮なく、眶《まぶた》をぬらして、鼻の側から口許《くちもと》をまはりながら、頤の下まで流れて行く。気味が悪い事|夥《おびただ》しい。

 それまでは、眼を開《あ》いて、白く焦された空や、葉をたらした麻畑を、まじ/\と眺めてゐたが、汗が無暗《むやみ》に流れるやうになつてからは、それさへ断念しなければならなくなつた。劉は、この時、始めて、汗が眼にはいると、しみるものだと云ふ事を、知つたのである。そこで、屠所《としよ》の羊の様な顔をして、神妙に眼をつぶりながら、ぢつと日に照りつけられてゐると、今度は、顔と云はず体と云はず、上になつてゐる部分の皮膚が、次第に或痛みを感じるやうになつて来た。皮膚の全面に、あらゆる方向へ動かうとする力が働いてゐるが、皮膚自身は、それに対して、毫《がう》も弾力を持つてゐない。それでどこもかしこも、ぴり/\する――とでも説明したら、よからうと思ふ痛みである。これは、汗所《あせどころ》の苦しさではない。劉は、少し蛮僧の治療をうけたのが、忌々《いまいま》しくなつて来た。

 しかし、これは、後になつて考へて見ると、まだ苦しくない方の部だつたのである。――そのうちに、喉《のど》が渇いて来た。劉も、曹孟徳か誰かが、前路に梅林ありと云つて、軍士の渇を医《い》したと云ふ事は知つてゐる。が、今の場合、いくら、梅子の甘酸を念頭に浮べて見ても、喉の渇く事は、少しも前と変りがない。頤を動かして見たり、舌を噛んで見たりしたが、口の中《うち》は依然として熱を持つてゐる。それも、枕もとの素焼の瓶がなかつたら、まだ幾分でも、我慢がし易かつたのに違ひない。所が、瓶の口からは、芬々《ふんぷん》たる酒香が、間断なく、劉の鼻を襲つて来る。しかも、気のせいか、その酒香が、一分毎に、益々高くなつて来るやうな心もちさへする。劉は、せめて、瓶だけでも見ようと思つて、眼をあけた。上眼を使つて見ると、瓶の口と、応揚《おうやう》にふくれた胴の半分ばかりが、眼にはいる。眼にはいるのは、それだけであるが、同時に、劉の想像には、その瓶のうす暗い内部に、黄金《きん》のやうな色をした酒のなみ/\と湛《たた》へてゐる容子《ようす》が、浮んで来た。思はず、ひびの出来た唇を、乾いた舌で舐めまはして見たが、唾の湧く気色《けしき》は、更にない。汗さへ今では、日に干されて、前のやうには、流れなくなつてしまつた。

 すると、はげしい眩暈《めまひ》が、つづいて、二三度起つた。頭痛はさつきから、しつきりなしにしてゐる。劉は、心の中《うち》で愈、蛮僧を怨めしく思つた。それから又何故、自分ともあるものが、あんな人間の口車に乗つて、こんな莫迦げた苦しみをするのだらうとも思つた。そのうちに、喉は、益々、渇いて来る。胸は妙にむかついて来る。もう我慢にも、ぢつとしてはゐられない。そこで劉はとう/\思切つて、枕もとの蛮僧に、療治の中止を申込むつもりで、喘ぎながら、口を開いた。――

 すると、その途端である。劉は、何とも知れない塊《かたまり》が、少しづゝ胸から喉へ這ひ上つて来るのを感じ出した。それが或は蚯蚓《みゝず》のやうに、蠕動《ぜんどう》してゐるかと思ふと、或は守宮《やもり》のやうに、少しづゝ居ざつてゐるやうでもある。兎《と》に角《かく》或柔い物が、柔いなりに、むづりむづりと、食道を上へせり上つて来るのである。さうしてとうとうしまひに、それが、喉仏《のどぼとけ》の下を、無理にすりぬけたと思ふと、今度はいきなり、鰌《どぜう》か何かのやうにぬるりと暗い所をぬけ出して、勢よく外へとんで出た。

 と、その拍子に、例の素焼の瓶の方で、ぽちやりと、何か酒の中へ落ちるやうな音がした。

 すると、蛮僧が、急に落ちつけてゐた尻を持ち上げて、劉の体にかゝつてゐる、細引を解きはじめた。もう、酒虫が出たから、安心しろと云ふのである。

「出ましたかな。」劉は、呻《うめ》くやうにかう云つて、ふらふらする頭を起しながら、物珍しさの余り、喉の渇いたのも忘れて、裸のまま、瓶の側へ這ひよつた。それと見ると、孫先生も、白羽扇で日をよけながら、急いで、二人の方へやつて来る。さて、三人揃つて瓶の中を覗きこむと、肉の色が朱泥《しゆでい》に似た、小さな山椒魚《さんしやううを》のやうなものが、酒の中を泳いでゐる。長さは、三寸ばかりであらう。口もあれば、眼もある。どうやら、泳ぎながら、酒を飲んでゐるらしい。劉はこれを見ると、急に胸が悪くなつた。……

       四

 蛮僧の治療の効は、覿面《てきめん》に現れた。劉大成は、その日から、ぱつたり酒が飲めなくなつたのである。今は、匂を嗅ぐのも、嫌だと云ふ。所が、不思議な事に、劉の健康が、それから、少しづつ、衰へて来た。今年で、酒虫を吐いてから、三年になるが、往年の丸丸と肥つてゐた俤《おもかげ》は、何処にもない。色光沢《いろつや》の悪い皮膚が、脂じみたまま、険しい顔の骨を包んで、霜に侵された双髩《さうびん》が、纔《わづか》に、顳颥《こめかみ》の上に、残つてゐるばかり、一年の中に、何度、床につくか、わからない位ださうである。

 しかし、それ以来、衰へたのは、劉の健康ばかりではない。劉の家産も亦とんとん拍子に傾いて、今では、三百畝を以て数へた負郭《ふくわく》の田も、多くは人の手に渡つた。劉自身も、余儀なく、馴れない手に鋤《すき》を執つて、佗しいその日その日を送つてゐるのである。

 酒虫を吐いて以来、何故、劉の健康が衰へたか。何故、家産が傾いたか――酒虫を吐いたと云ふ事と、劉のその後の零落とを、因果の関係に並べて見る以上、これは、誰にでも起りやすい疑問である。現にこの疑問は、長山に住んでゐる、あらゆる職業の人人によつて繰返され、且、それらの人人の口から、あらゆる種類の答を与へられた。今、ここに挙げる三つの答も、実はその中から、最、代表的なものを選んだのに過ぎない。

 第一の答。酒虫は、劉の福であつて、劉の病ではない。偶《たま/\》、暗愚《あんぐ》の蛮僧に遇つた為に、好んで、この天与の福を失ふやうな事になつたのである。

 第二の答。酒虫は、劉の病であつて、劉の福ではない。何故と云へば、一飲一甕を尽すなどと云ふ事は、到底、常人の考へられない所だからである。そこで、もし酒虫を除かなかつたなら、劉は必久しからずして、死んだのに相違ない。して見ると、貧病、迭《かたみ》に至るのも、寧《むしろ》劉にとつては、幸福と云ふべきである。

 第三の答。酒虫は、劉の病でもなければ、劉の福でもない。劉は、昔から酒ばかり飲んでゐた。劉の一生から酒を除けば、後には、何も残らない。して見ると、劉は即《そく》酒虫、酒虫は即劉である。だから、劉が酒虫を去つたのは自ら己を殺したのも同前である。つまり、酒が飲めなくなつた日から、劉は劉にして、劉ではない。劉自身が既になくなつてゐたとしたら、昔日《せきじつ》の劉の健康なり家産なりが、失はれたのも、至極、当然な話であらう。

 これらの答の中で、どれが、最よく、当を得てゐるか、それは自分にもわからない。自分は、唯、支那の小説家の Didacticism に倣《なら》つて、かう云ふ道徳的な判断を、この話の最後に、列挙して見たまでゝある。

――五年四月――

底本:「芥川龍之介全集 第一巻」岩波書店

   1995(平成7)年11月8日発行

親本:「鼻」春陽堂

   1918(大正7)年7月8日発行

入力:earthian

校正:林めぐみ

1998年11月13日公開

2004年3月9日修正

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2018-05-20聊斎志異 偷桃 このエントリーを含むブックマーク

以下の現代中国語訳を参考にして、日本語現代語訳を完成させなさい。

聊斎志異 偷桃

◆忽有一人率披髪童,荷擔而上,似有所白;萬聲洶動,亦不聞其爲何語,但視堂上作笑聲。

●忽ち有一人(いちにん)の披髪(ひはつ)の童(わらべ)を率(ひき)いるあり。荷擔(かたん)して上り、白(もう)する所有るがごとし。萬聲(ばんせい)洶動(きょうどう)し、亦た其れ何(いず)れの語たるかを聞かず、但だ堂上に作笑聲を作(な)すを視る。

◇忽然有個人上台了,挑着擔子,還帶個小孩,小孩沒有梳髪髻,披頭散髪的。此人站在官員面前不知在說什麼,周圍嘈雜也聽不清,隻能看到那些官員聽了此人自我介紹之後,哈哈大笑。

Hūrán yǒu gerén shàngtáile, tiāozhe dànzi, hái dài ge xiǎohái, xiǎohái méiyǒu shū fā jì, pītóusànfà de. Cǐ rén zhàn zài guānyuán miànqián bùzhī zài shuō shénme, zhōuwéi cáozá yě tīng bù qīng, zhī néng kàn dào nàxiē guānyuán tīng liǎo cǐ rén zìwǒ jièshào zhīhòu, hāhā dà xiào.

◆即有青衣人大聲命作劇。其人應命方興,問:“作何劇?”堂上相顧數語,吏下宣問所長。答言:“能顛倒生物。”吏以白官。小頃複下,命取桃子。

●即ち青衣の人の大聲にて劇を作(な)せと命ずる有り。其の人命に應じて方(まさ)に興(お)きて問う、何(いず)れの劇を作すかと。堂上相顧(かえり)みて數語、吏は下りて所長ずるところを宣問す。答えて言う、能(よ)く生物を顛倒すと。吏は以て官に白(もう)す、小頃(しょうけい)にして複(ま)た下り、桃子(とうし)を取るを命ず。

◇於是命令這人開始表演,此時圍觀的人們漸漸安靜下來,隻聽到這個人問官員:“請出個表演題目吧。”官員們感到很奇怪,就問他:“你擅長表演什麼啊?”這人回答到:“我是個方士,顛倒生物時令是我的看家本事。”官員想了想,讓他取一枚鮮桃來。

Yúshì mìnglìng zhè rén kāishǐ biǎoyǎn, cǐ shí wéiguān de rénmen jiànjiàn ānjìng xiàlái, zhī tīngdào zhège rén wèn guānyuán:“Qǐng chū ge biǎoyǎn tímù ba.” Guānyuánmen gǎndào hěn qíguài, jiù wèn tā:“Nǐ shàncháng biǎoyǎn shénme a?” Zhè rén huídá dào:“Wǒ shìge fāngshì, diāndǎo shēngwù shí lìng shì wǒ de kān jiā běnshì.” Guānyuán xiǎngle xiǎng, ràng tā qǔ yī méi xiān táo lái.

◆術人應諾, 解衣覆笥上,故作怨狀,曰:“官長殊不了了!堅冰未解,安所得桃?不取,又恐爲南面者怒,奈何!”

●術人は應諾(おうだく)し、衣(ころも)を解きて笥上を覆(おお)い、故(ことさら)に怨状(えんじょう)を作して曰く、官長は殊に了了たらず、堅冰未だ解けざるに安(いず)くにか桃を得(う)る所ぞ、取らざれば又南面者(なんめんしゃ)の怒(いか)る所と為るを恐る、奈何(いかん)せんと。

◇春節正是隆冬季節,連蔬菜都少見,更不用說鮮桃了。這個方士歎了口氣,放下擔子,將外衣蓋在筐上,抱怨道:“這題目也太難了,冰還沒化,去哪里找鮮桃啊。不去取吧,又沒法交代,這可怎麼辦啊。”

Chūnjié zhèng shì lóngdōng jìjié, lián shūcài dōu shǎojiàn, gèng bùyòng shuō xiān táole. Zhège fāngshì tànle kǒuqì, fàngxià dànzi, jiāng wàiyī gài zài kuāng shàng, bàoyuàn dào:“Zhè tímù yě tài nánle, bīng hái méi huà, qù nǎlǐ zhǎo xiān táo a. Bù qù qǔ ba, yòu méi fǎ jiāodài, zhè kě zěnme bàn a.”

◆其子曰:“父已諾之,又焉辭?”術人惆悵良久,乃曰:“我籌之爛熟:春初雪積,人間何處可覓?惟王母園中四時常不凋謝,或有之。必竊之天上乃可。”

●其の子曰く、父は已に之を諾す、又焉(いずく)んぞ辭せんや、と。術人惆悵(ちゅうちょう)すること良(やや)久しくして乃(すなわ)ち曰う、我が籌(ちゅう)の爛熟(らんじゅく)せり。春初雪積もるに、人間(じんかん)何處(いずく)にか覓(もと)むべけんや。惟だ王母の園中のみ、四時常に凋謝(ちょうしゃ)せず、或いは之(これ)有らん。必ず之を天上に竊(ぬす)めば乃(すなわ)ち可ならん、と。

◇那個小孩說:“爹啊,你已經吹牛吹出去了,怎地又想反悔?”方士惆悵半晌,怔怔的說:“我想了很久,春天未至,人間看來是無法找到桃子,隻好上王母娘娘的果園去,那里四季如春,應該有桃。”

Nàge xiǎohái shuō:“Diē a, nǐ yǐjīng chuīniú chuī chūqùle, zěndi yòu xiǎng fǎnhuǐ?” Fāngshì chóuchàng bànshǎng, zhèngzhèng de shuō:“Wǒ xiǎngle hěnjiǔ, chūntiān wèi zhì, rénjiān kàn lái shì wúfǎ zhǎodào táozi, zhīhǎo shàng wángmǔniángniáng de guǒyuán qù, nàlǐ sìjì rú chūn, yīnggāi yǒu táo.”

◆子曰:“嘻!天可階而升乎?”曰:“有術在。”乃啟笥,出繩一團約數十丈,理其端,望空中擲去;繩即懸立空際,若有物以掛之。未幾愈擲愈高,渺入雲中,手中繩亦盡。

●子曰く、嘻(ああ)、天は階(はしご)して升(のぼ)るべけんや、と。曰く、有の術在る有り。乃ち笥を啓(ひら)きて繩の一團を出(いだ)すこと約數十丈、其の端を理(おさ)めて、空中を望みて擲去(てききょ)す。繩即ち空際(くうさい)に懸立(けんりつ)し、物有りて以て之を掛くるが若(ごと)し。未だ幾(いくば)くならずして愈(いよいよ)擲(なげう)ち愈(いよいよ)高く、渺(はる)か雲中に入り、手中の繩も亦た盡(つ)く。

◇他兒子又笑道:“爹爹又說瘋話,天又沒有台階,怎麼上去?”方士說:“看爹的。”於是從擔子的筐里取出一捆繩子,看樣子有數十丈長。方士理了理繩子,找出端頭,向天上抛去。繩子果然懸在了半空中,好像有東西掛着一樣。方士抓着剩下的繩子連續上抛,繩頭越抛越高,漸漸進入雲朵里邊,看不清了,而垂下來的也已經抛完,剩了一個另一個繩頭垂在那里。

Tā érzi yòu xiào dào:“Diēdiē yòu shuō fēnghuà, tiān yòu méiyǒu táijiē, zěnme shàngqù?” Fāngshì shuō:“Kàn diē de.” Yúshì cóng dànzi de kuāng lǐ qǔchū yī kǔn shéngzi, kàn yàngzi yǒu shù shí zhàng zhǎng. Fāngshì lǐle lǐ shéngzi, zhǎo chū duān tóu, xiàng tiānshàng pāo qù. Shéngzi guǒrán xuán zàile bànkōng zhōng, hǎoxiàng yǒu dōngxī guàzhe yīyàng. Fāngshì zhuāzhe shèng xià de shéngzi liánxù shàng pāo, shéng tóu yuè pāo yuè gāo, jiànjiàn jìnrù yúnduǒ lǐbiān, kàn bù qīngle, ér chuí xiàlái de yě yǐjīng pāo wán, shèngle yīge lìng yīge shéng tóu chuí zài nàlǐ.

◆乃呼子曰:“兒來!余老憊,體重拙,不能行,得汝一往。”遂以繩授子,曰:“持此可登。”子受繩有難色,怨曰:“阿翁亦大憒憒!如此一線之繩,欲我附之以登萬仞之高天,倘中道斷絕,骸骨何存矣!”

●乃ち子を呼びて曰く、兒(こ)來たれ、余は老憊(ろうはい)し體(からだ)重く拙(つたな)し、行くこと能(あたわ)ず、汝をして一たび往(ゆ)かしむることを得んや、と。遂に繩を以て子に授けて曰く、此を持ちて登るべし、と。子は繩を受けて難色あり、怨(うら)みて曰く、阿翁も亦(ま)た大いに憒憒(かいかい)たり、此(かく)の如き一線の繩、我に之を附して以て登萬仞(ばんじん)の高天に登らしめんと欲す、倘(も)し中道に斷絕(だんぜつ)すれば、骸骨(がいこつ)何ぞ存せんや、と。

◇方士喊他兒子過來:“兒啊,爹老了,爬不動了,此番上天路程遙遠,得你跑一趟了。”說着把繩頭塞到孩子手里。小孩面露怯色,說:“爹爹真是讓我爲難,這麼細的繩子,爬上萬仞之天,要是中途繩子斷了摔下來,連屍骨都找不到。”

Fāngshì hǎn tā érzi guòlái:“Er a, diē lǎole, pá bùdòngle, cǐ fān shàngtiān lùchéng yáoyuǎn, dé nǐ pǎo yī tàngle.” Shuōzhe bǎ shéng tóu sāi dào háizi shǒu lǐ. Xiǎohái miàn lòuqiè sè, shuō:“Diēdiē zhēnshi ràng wǒ wèinán, zhème xì de shéngzi, pá shàng wàn rèn zhī tiān, yàoshi zhōngtú shéngzi duànle shuāi xiàlái, lián shīgǔ dōu zhǎo bù dào.”

◆父又強嗚拍之,曰:“我已失口,追悔無及,煩兒一行。倘竊得來,必有百金賞,當爲兒娶一美婦。”子乃持索,盤鏇而上,手移足隨,如蛛趁絲,漸入雲霄,不可複見。

●父又強いて之を嗚拍(めいはく)して曰く、我已に口を失う、追悔(ついかい)すれど及ぶ無し、兒を煩(わずら)わして一たび行(ゆ)かしめん、倘(も)し竊み得て來たらば必ず百金の賞有り、當(まさ)に兒の爲に一美婦を娶(めと)るべし、と。子は乃ち索を持ち、盤鏇(ばんせん)にして上り、手移り足隨(したが)い、蛛の絲を趁(お)うが如く、漸(ようや)く雲霄(うんしょう)に入り、複(ま)た見るべからず。

◇方士眼里含着淚,拍拍小孩的頭,說:“兒啊,爹已經吹出去了,後悔也晚了,還得連累你。如果這次你偷來桃子,或許官老爺們會賞金百兩,我一定給你娶一房漂亮媳婦。”小孩眼睛轉了轉,就拽着繩子開始網上爬了,手拉腳撑,就像蜘蛛攀絲一樣,漸漸爬到雲彩里邊,隱約已經不見人影。

Fāngshì yǎn lǐ hánzhe lèi, pāi pāi xiǎohái de tóu, shuō:“Er a, diē yǐjīng chuī chūqùle, hòuhuǐ yě wǎnle, hái dé liánlèi nǐ. Rúguǒ zhècì nǐ tōu lái táozi, huòxǔ guān lǎoyémen huì shǎngjīn bǎi liǎng, wǒ yīdìng gěi nǐ qǔ yī fáng piàoliang xífù.” Xiǎohái yǎnjīng zhuǎnle zhuǎn, jiù zhuāizhe shéngzi kāishǐ wǎng shàng pále, shǒu lā jiǎo chēng, jiù xiàng zhīzhū pān sī yīyàng, jiànjiàn pá dào yúncai lǐbiān, yǐnyuē yǐjīng bùjiàn rényǐng.

◆久之,墜一桃如碗大。術人喜,持獻公堂。堂上傳示良久,亦不知其真偽。忽而繩落地上,術人驚曰:“殆矣!上有人斷吾繩,兒將焉托!”

●之を久くして墜つること一桃、碗の大なるが如し。術人喜び、持ちて公堂に獻ず。堂上傳示(でんし)すること良(やや)久しくするも、亦た其の真偽を知らず。忽(たちま)ちにして繩地上に落ち、術人驚きて曰く、殆(あや)うきかな、上に人有りて吾が繩を斷つ、兒(こ)將(は)た焉(いず)くにか托せんや、と。

◇過了許久,從上面掉下一個碗口大小的桃子,方士大喜,連忙撿起來獻上。官員們傳閱審察了許久,也看不出是不是假桃子。這邊正在查驗桃子,那邊天上的繩子忽然就掉下來了,方士見狀大驚:“完蛋了,有人割斷了繩子,我兒子要掉下來了。”

Guòle xǔjiǔ, cóng shàngmiàn diào xià yīge wǎn kǒu dàxiǎo de táozi, fāngshì dàxǐ, liánmáng jiǎn qǐlái xiàn shàng. Guānyuánmen chuányuè shěnchále xǔjiǔ, yě kàn bù chū shì bùshì jiǎ táozi. Zhè biān zhèngzài cháyàn táozi, nà biān tiānshàng de shéngzi hūrán jiù diào xiàláile, fāngshì jiàn zhuàng dà jīng:“Wándànle, yǒurén gēduànle shéngzi, wǒ érzi yào diào xiàláile.”

◆移時一物墜,視之,其子首也。捧而泣曰:“是必偷桃爲監者所覺。吾兒休矣!”又移時一足落;無何,肢體紛墜,無複存者。

●時を移して一物(いちぶつ)墜(お)つ、之を視れば、其の子の首(こうべ)なり。捧(ささ)げて泣きて曰く、是れ必ず桃を偷(ぬす)みて、監者(かんじゃ)の覺(さと)るところと為(な)らん。吾が兒休せり、と。又時を移して一足落つ。何(いくば)くも無く、肢體(したい)紛(ふん)として墜ち、複た存する者無し。

◇正說着呢,又掉下一個東西,一看是小孩的腦袋。方士撲到在地,捧着小孩的頭大哭起來:“肯定是看院子的人發現了,我苦命的孩子啊~~~!”接着,手啊、腳啊什麼的紛紛掉了下來。

Zhèng shuō zhene, yòu diào xià yīge dōngxī, yī kàn shì xiǎohái de nǎodai. Fāngshì pū dào zài dì, pěngzhe xiǎohái de tóu dà kū qǐlái:“Kěndìng shì kàn yuànzi de rén fāxiànle, wǒ kǔmìng de háizi a ~~~!” Jiēzhe, shǒu a, jiǎo a shénme de fēnfēn diàole xiàlái.

◆術人大悲,一一拾置笥中而闔之,曰:“老夫止此兒,日從我南北游。今承嚴命,不意罹此奇慘!當負去瘞之。”乃升堂而跪,曰:“爲桃故,殺吾子矣!如憐小人而助之葬,當結草以圖報耳。”坐官駭詫,各有賜金。

●術人大いに悲しむ。一一拾いて笥中に置きて之を闔(と)じて曰く、老夫は止(た)だ此の兒のみ、日々(ひび)我に従いて南北に游ぶ。今嚴命を承り、此の奇慘(きさん)に罹(かか)るとは意(おも)わざりき。當(まさ)に負い去りて之を瘞(うず)むべし、と。乃ち堂に升りて跪(ひざまづ)きて曰く、桃の爲が故に吾子を殺(あや)めり。如(も)し小人を憐(あわれ)みて之を助けて葬(ほうむ)らしむれば、當(まさ)に草を結びて以て報を圖(はか)るべきのみ、と。坐官(ざかん)駭詫(がいた)して、各々(おのおの)金を賜うこと有り。

◇方士強忍悲痛,一個個撿起來,放到擔子的筐里,並且自言自語:“老夫唯一的骨肉啊,走南闖北這麼多年都是我兒子陪着,沒想到今天遭此大難……” 收拾好孩子的屍體之後,方士上前跪倒,對官員們說:“爲了取桃子,我兒子已經殞命,如果各位大人能可憐可憐我,給我出點喪葬費,我一定感激不盡……”在座的官員們正在驚詫,聞聽此言,紛紛不吝腰包,賜給方士不少金錢財物。

Fāngshì qiáng rěn bēitòng, yīgè gè jiǎn qǐlái, fàng dào dànzi de kuāng lǐ, bìngqiě zì yán zì yǔ:“Lǎofū wéiyī de gǔròu a, zǒunánchuǎngběi zhème duōnián dōu shì wǒ érzi péizhe, méi xiǎngdào jīntiān zāo cǐ dànàn……” shōushí hǎo háizi de shītǐ zhīhòu, fāngshì shàng qián guì dǎo, duì guānyuánmen shuō:“Wèile qǔ táozi, wǒ érzi yǐjīng yǔnmìng, rúguǒ gèwèi dàrén néng kělián kělián wǒ, gěi wǒ chū diǎn sāngzàng fèi, wǒ yīdìng gǎnjī bù jìn……” zàizuò de guānyuánmen zhèngzài jīngchà, wén tīng cǐ yán, fēnfēn bùlìn yāobāo, cì gěi fāngshì bù shǎo jīnqián cáiwù.

◆術人受而纏諸腰,乃扣笥而呼曰:“八八兒,不出謝賞將何待?”忽一蓬頭童首抵笥蓋而出,望北稽首,則其子也。以其術奇,故至今猶記之。後聞白蓮教能爲此術,意此其苗裔耶?

●術人受けて諸(これ)を腰に纏い、乃ち笥を扣(たた)きて呼びて曰く、八八兒(パパアル)、出(いで)て賞に謝せずして將(は)た何をか待つ、と。忽ち一蓬頭(ほうとう)の童(わらべ)の首(こうべ)笥の蓋に抵(あた)り出(いで)て、北を望みて稽首(けいしゅ)す、則ち其の子なり。其の術の奇なるを以てが故(ゆえ)に今に至るまで猶お之を記す。後に白蓮教(びゃくれんきょう)は能く此の術を爲すと聞く。意(おも)うに此れは其の苗裔(びょうえい)なるか。

◇方士領了錢物,放在腰包里,走到擔子旁邊,用手叩打籮筐,呼道:“八八兒,還不出來謝賞?”,然後隻見個披頭散髪的小孩頂開籮筐蓋子,朝着官員們拜去,仔細一看,果然是剛才上天偷桃那個小孩。這是我記憶中最深刻和神奇的方術了,後來聽說白蓮教的人也能做出如此神奇的法術……難道他們是苗族人後代?

Fāngshì lǐngle qián wù, fàng zài yāobāo lǐ, zǒu dào dànzi pángbiān, yòng shǒu kòudǎ luókuāng, hū dào:“Bābā er, hái bù chūlái xiè shǎng?”, Ránhòu zhī jiàn ge pītóusànfà de xiǎohái dǐng kāi luókuāng gàizi, cháozhe guānyuánmen bài qù, zǐxì yī kàn, guǒrán shì gāngcái shàngtiān tōu táo nàge xiǎohái. Zhè shì wǒ jìyì zhōng zuì shēnkè hé shénqí de fāng shùle, hòulái tīng shuō báilián jiào de rén yě néng zuò chū rúcǐ shénqí de fǎshù……nándào tāmen shì miáozú rén hòudài?

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2018-05-08紅楼夢あらすじ(授業用) このエントリーを含むブックマーク

紅楼夢あらすじ

 女媧(じょか:中国の伝説上の女神、頭は人間で体は蛇)が天を作ったとき、三万六千五百個の石を使ったという。最後に残った一個は修行によって魂を得た石で、天の一部としては使われなかった。ある日通りかかった道士によって「莫失莫忘、仙寿恒昌」の8文字を刻まれ、「通霊宝玉」として地上に降りることになった。紅楼夢の主人公、賈宝玉が生まれた時に口に含んでいた五色の透き通った美しい玉がこれである。

 賈宝玉(かほうぎょく)の生まれた賈府は裕福な貴族である金陵四大家族(賈・史・王・薛家を指し、賈府を頂点とする金陵省で権勢を誇った封建官僚集団)のひとつで、賈家の兄弟家族はそれぞれ栄国府と寧国府という二つの豪邸を構えており、宝玉は栄国府の貴公子であった。

 栄国府と寧国府には宝玉のいとこなどにあたる、年ごろが似通った美少女が多く暮らしている。賈宝玉は詩や恋愛には興味があるが、官職を得るための勉強を嫌い、「女の子は水で出来た体、男は泥で出来た体」と言って、もっぱら一族の美少女・美女たちを相手に遊びに興じ、風流な生活を送っていた。

 家庭の事情で賈家にやって来た林黛玉(りんたいぎょく)は、手を触れれば折れそうな華奢な美少女である。詩歌に秀で機知に富むが、病弱かつ繊細、神経質で、極めて感受性が強い。彼女は宝玉を愛するが、プライドの高さゆえに気持ちをうまく伝えられない。宝玉もまた林黛玉に惹かれながらも、ささいな嫉妬から大喧嘩をしてしまう。病弱な林黛玉は悲しみの中でこの世を去る。

 賈宝玉の従姉にあたる薛宝釵(せつほうさ)は黛玉とは対照的に豊満な肉体を持つ良妻賢母型の女性で、性格はおおらか、周りを明るくするような華やかな容姿である。しかし人当たりのよい彼女にも、人と距離を置き深くかかわろうとしない一面もあった。美しい金の髪飾り(宝釵)を持って生まれ宝釵と美しい玉(宝玉)を持って生まれた賈宝玉は「金と玉の縁」で結ばれているとして結婚することになる。

 このまま優雅な暮らしが続くかと見えた賈家だが、最後は権勢を嵩にきて民衆を苦しめた罪で家産を没収されて没落し、人々も離散していく。

 物語は、賈宝玉・林黛玉・薛宝釵の三人を中心に展開し、富貴な賈家一族と彼らに仕える侍女、遠戚の老女(劉ばあさん)などの人間関係が複雑に交錯しながら、封建時代の貴族の成立、日々の暮らし、そして没落までをきめ細やかな筆致で描いている。

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2018-05-07三国演義あらすじ(授業用) このエントリーを含むブックマーク

三国演義あらすじ

東漢(後漢)の末年、朝廷は腐敗し、毎年のように起こる災害のため庶民は飢饉にあえいでいた。乱世に乗じて張角を首領とする黄巾軍が謀反を起こし、朝廷は志願兵を募って黄巾の乱を平定することとした。

ある日、一人の男が志願兵募集の立て札を眺めていると、声をかける者があった。二人は互いの憂国の思いを確かめ、意気投合して私兵を募り朝廷のために働こうと決めた。この二人は漢王室の末裔でありながら今は草鞋や莚を売って細々と生計を立てて母を養っている劉備(玄徳)と、肉屋を営み財をなした張飛(翼徳)である。二人が酒屋で話し合っているところに見事な髭を蓄えた大男が通りかかり、意気投合して命運を共にすることになった。この男こそ関羽(雲長)である。三人は張飛の家の裏にある桃園で義兄弟の契りを結ぶ。まさに満開の桃の花の下で「同年同月同日に生まれることはできなかったが、同年同月同日に死のう」と誓った三人は、年齢の順に劉備を長兄とし、関羽がそれに続き、張飛が末弟となった。

彼らは兵や馬を集めて訓練し、またそれぞれの武器もあつらえた。劉備は「雌雄双剣(しゆうそうけん)」、関羽は「青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)」、張飛は「蛇矛(じゃぼう)」である。三人は各地を転戦して黄巾軍を破り、大いに戦功をあげたが朝廷は彼らを厚く遇せず、不遇の日々を送っていた。劉備は地方の警察署長を命じられ、民に慕われていたが、賄賂を要求する都の役人に陥れられ、関羽、張飛とともに任地を捨てて逃亡した。

朝廷では宦官と皇帝外戚の権力争いが頂点に達し、朝権は董卓のほしいままにされていた。董卓の暗殺に失敗した曹操は天下の諸侯にその誅滅を呼びかける。これに応じた諸侯のなかで、江南の地の利を得た孫権と、諸葛孔明を三顧の礼をもって参謀とした劉備とが頭角を現す。ここから蜀(漢)の劉備、呉の孫権、魏の曹操の三国鼎立の情勢が形成された。

なかなか優勢に立てない劉備であったが、呉と連合して赤壁で曹操の軍船を焼き討ちにし、曹操の軍は大敗を喫した。しかし呉と蜀は荊州の帰属をめぐって争いが絶えず、これがために関羽、張飛が相次いで死ぬに及び、劉備は孔明の反対を押し切って呉を討つべく大軍を起こすが惨敗を喫する。劉備は白帝城に病を得て動けなくなり、諸葛孔明に言った。「もし阿斗(劉備の息子、劉禅)が皇帝の器であれば補佐してやってほしい。そうでなければ息子を廃してあなた自身が皇帝となってくれ」と遺言した。

 孔明は劉備の子劉禅を帝位につけ、呉と和解し、中原の奪回を目ざしてしばしば打って出るが、ついに志を果たさぬまま五丈原で病没した。蜀はその30年後に魏に滅ぼされ、呉も、魏の禅譲を受けたかつての孔明の好敵手司馬懿(しばい)の子孫の建てた晋によって滅び、天下は晋によって統一された。

 三国演義では各地で繰り広げられる戦闘場面の描写、それぞれの軍師の知略による兵法や駆け引きが主な見どころとなっている。

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2018-05-06水滸伝あらすじ(授業用) このエントリーを含むブックマーク

◆『水滸伝』縁起

 およそ千年前、宋の四代皇帝仁宗の頃のことである。宋の都、東京では疫病が蔓延した。朝廷は疫病を鎮めるため道教の本山である龍虎山の法主、嗣漢天師(しかんてんし)に祈祷をさせることにし、洪信代将軍を使者として龍虎山に派遣した。洪信が迎えに来ると、嗣漢天師は一人で雲に乗り都に向かった。龍虎山に残された洪信は、唐の時代に百八人の魔王を封じ込めたと伝えられる伏魔殿という祠をどうしても見たくなり、道士たちに命じてその入り口を開けさせ、中にあった石碑をどけて穴を掘らせると、たちまち黒雲がわき上がって天罡星三十六柱、地煞星七十二柱の魔王たちが金の光となって四方八方へ飛び散った。やがてこの百八柱の魔王たちは何度か輪廻転生を繰り返し、ついに同じ時代に人間に生まれ変わり、数奇な運命に導かれて梁山泊に結集する。

◆英雄豪傑たちが梁山泊に結集するまで

 百八人の英雄豪傑が梁山泊に登ったいきさつは様々である。ある者は冤罪を着せられ、またある者はやむにやまれぬ事情で殺人を犯し、さらに戦いを好み自ら進んで仲間に入ったやくざ者、あるいは腕っぷしを見込まれて誘拐まがいに無理やり引き入れられた者、戦に敗れた官軍から寝返って梁山泊入りを決意した者など、一人一人が異なる事情を抱えている。物語の前半は彼らがいかにして梁山泊の仲間入りをすることになったかを登場人物紹介のように描いている。

◆百八人の結集、官軍との戦闘と朝廷への帰順

 百八人の英雄豪傑が梁山泊に結集した日、空から火の玉が落ちてきた。火の玉が落ちた場所に埋まっていた一枚の石版には、なんと天罡星三十六柱、地煞星七十二柱の星名と豪傑たちの姓名が記されていた。つまり、梁山泊に集まった百八人の豪傑たちは星に導かれ、運命によって結集したことがわかった。石版の一位に名の記されていた宋江が領袖となった。

 朝廷はならず者の集まる梁山泊に脅威を抱き、何度も討伐しようとするが、そのたびに撃退されてしまう。そこで朝廷は彼らに召安(官位や金銀を与えて国の軍隊として働くこと)を提案する。もともと朝廷への忠義心が厚かった宋江が朝廷の求めに応じて帰順を決意し、梁山泊の英雄豪傑たちは朝廷のために働く軍隊となった。

◆度重なる戦い、悲劇的な結末

 朝廷は梁山泊の英雄豪傑たちに命じ、休む間もなく彼らを戦場に送り込んだ。隣国である遼からの侵略、国内では田虎、王慶、方臘の謀反が相次ぎ、さしもの強者たちも次々に戦のために命を落としていく。それでも彼らは四度の苛酷な戦いの全てに勝利をおさめた。

 七十人ちかくの仲間を失って都に凱旋した彼らを迎えたのは、歓呼の声ではなく彼らを恐れ疎んじる朝廷の役人たちであった。皇帝は宋江に高い官爵を与え楚州の司令官に任命したが、これを不満に思った朝廷の悪臣たちは宋江を毒殺しようと企む。宋江は自らの死を察したとき、腹心の部下で最も凶暴だった李逵が復讐することを恐れ、彼を呼んで毒酒を飲ませた。毒を盛られたことを知った李逵は、「おれは死んでも兄貴のために働きます」と涙を流して死を受け入れた。軍師だった呉用と弓の名手だった花栄は宋江の死を夢に見て、宋江の墓を訪れてその場で二人一緒に首を吊って死んだ。

 生き残った者のうち、戦で片腕をなくした武松は出家して僧侶となり天寿を全うした。また、朝廷の与えた官位を辞退して故郷に戻った者たちもいた。

 こうして梁山泊に集まった百八星は再び散り散りになって、天に帰り、あるいは地上で残された人生を過ごすことになったのである。

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2018-05-05西遊記あらすじ(授業用) このエントリーを含むブックマーク

西遊記あらすじ

〇この世の始まり

 時の流れを数えるのに用いる一「元」は十二万九千六百年、一元は十二「会」、一会は一万八百年である。十二会はそれぞれ子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥と呼ばれる。

この世の始まりは大いなる混沌であった。最初の一会が終わる頃、世界は4つの部洲に分かれた。東勝神(とうしょうしん)洲、西牛貨(さいごけ)洲、南贍部(なんせんぶ)洲、北倶蘆(ほっくる)洲である。

〇石猿の誕生

 東勝神洲の海の東、傲来(ごうらい)国の国境にそびえる花果山の頂上に乗った仙石が卵を産み、その卵から石猿が産まれた。卵が割れ、子猿が両目を見開くと金色の目が放たれ、まっすぐに天上に届いた。不思議に思った天帝は千里眼と順風耳を偵察に行かせたが、ただの猿であるとして捨て置くことにした。

〇水簾洞の美猴王

 石猿は仲間の猿たちときままに遊んで暮らしていた。ある日、滝の裏に隠された広々とした石の屋敷「水簾洞」を見つけ、猿たちの王となって美猴(びこう)王と名乗った。美猴王の気ままな暮らしは三百年も続いたが、ある日ふと自分もいつかは死んでしまうのだと考えて涙を流した。臣下の年老いた猿が、仏と仙人と聖人は輪廻をまぬがれて不老長寿を得るのだと進言するのを聞き、美猴王は不老不死を求めて筏に乗りこみ大海に乗り出した。

〇仙人修行

 南贍部洲を経て西牛貨洲に至った美猴王はついに霊台方寸山の洞窟に住む須菩提(しゅぼだい)祖師という仙人に出会って弟子入りし、師匠から「孫」の姓と「悟空(空を悟る)」という法名を与えられる。悟空は修行を経て不老長寿の術、七十二変化の術、觔斗雲を操って空を飛ぶ術を会得した。ある日、悟空は他の弟子たちに自分の仙術を見せびらかしているところを師匠に見られ、仙山から地上に戻されることになった。悟空は觔斗雲に乗って二十年ぶりに水簾洞に戻った。

〇混世魔王との戦い

 久しぶりに帰った水簾洞は混世魔王という妖魔に襲われて荒れはてていた。悟空は分身の術(身外身(しんがいしん)の法)で魔王を倒す。

〇如意金箍棒を手に入れる

 悟空は混世魔王から奪った武器を使って傲来国の宮殿の武器庫から大量の武器をかっぱらい、部下の猿たちを訓練して猿軍団を作る。自分にふさわしい武器が欲しくなった悟空は東海龍王から武器を得るため、龍宮(水晶宮)に出向いた。宝物庫にある天の川の底を突き固めたという神珍鉄で作った如意金箍棒と鎧兜一式を手に入れて帰った。

〇悟空、天界にのぼる

 龍宮から帰った悟空は以前に増して傍若無人に大暴れし、豪傑たちとも交流して牛魔王ら六人の王と義兄弟の契りを交わす。

 ある日、悟空は自分の寿命が尽きた夢を見た。怒った悟空が幽冥界にいる閻羅(閻魔)王ら十人の十代冥王のもとにおしかけて自分の生死簿を点検すると三百四十二年の寿命と書いてある。そこで墨で自分の名前ばかりか仲間の猿の名前まで消して幽冥界から飛び出したところで目が覚めた。

 一方、悟空に武器を持ち去られて虫がおさまらない龍王は玉帝(天帝)に悟空の所業を訴えることにした。玉帝のもとには冥界からも悟空討伐の上奏文が届いた。しかし玉帝は臣下である太白金星の「悟空を配下に置く」という提案を受け入れ、太白金星を迎えに行かせた。悟空は天界に上り弼馬温(ひつばおん)という役職に就くことを承諾する。

〇悟空、地上に戻り斉天大聖を名乗る

 悟空は天界で天馬たちの世話をしていたが弼馬温は下っ端の馬番だと知って激怒し、天界を去って水簾洞に戻った。悟空が帰って来たと知った独角鬼王が家来にしてほしいとやってきて、悟空に斉天(天に斉(ひと)しい)大聖を名乗るよう勧める。悟空は喜んで「斉天大聖」と書いた大きな旗を作らせて洞の入口に掲げた。

〇悟空、天界に戻る

 天界は悟空を捕らえるため、托塔李天王(たくとうりてんおう・毘沙門天)とその第三子である哪吒(なた)三太子を花果山に向かわせた。哪吒は悟空との戦いで腕を負傷し敗走し、天界に戻った。太白金星は悟空を懐柔するため斉天大聖に封ずることを玉帝に進言した。玉帝はふたたび太白金星の意見を入れ、太白金星を使わして悟空を再び天界に迎えた。

 悟空は天界で蟠桃園をとりしきる仕事が与えられたが、こっそり仙桃を食べてしまう。さらに西王母の宴会に忍び込み、宴会の準備をしていた者たちを仙術で眠らせて、存分に飲み食いして眠り込んでしまった。目が覚めて帰る途中で酔って道を間違え、太上老人の住まいに迷い込み、老君の金丹を見つけて全部食べてしまう。さすがの悟空も自分のしたことが恐ろしくなり、下界に逃げ帰ることにした。

〇天兵との戦いの末、悟空は捕らえられる

 玉帝は今度こそ悟空の仕業に我慢ならなくなり、天兵を総動員して悟空をとらえて処罰せよと命じた。十万の天兵が花果山を包囲し、激しい戦いが繰り広げられる。

 玉帝の甥である顕聖二郎真君(けんせいじろうしんくん)と悟空は変身の術を使いながら激しく渡り合う。天界から玉帝、老君、観音、西王母らが戦いの様子を見に南天門にやって来て、真君と悟空がやりあっているところだった。老君が左腕からひとつの輪(金剛琢・こんこうたく)を外し、悟空目がけてほうり投げると、狙いどおり脳天に当たって悟空は倒れる。何とか逃げようとするが、結局は捕まってしまい、天上へ護送され、斬妖台でこま切れの刑に処されることになった。

〇悟空、如来によって五行山に封じられる。

 しかし悟空は太上老君の仙丹を食べて不老不死となっていたおかげで、いくら殺そうとしても死なない。玉帝はとうとう如来(南無阿弥陀仏)に退治を頼むことにした。話を聞いた如来はすぐさま天界へ行き、自分の術に自信を持つ悟空に、わたしの右の手のひらから出られたら天宮を譲ろうと言う。悟空はさっそく觔斗雲に乗って遥か彼方の空へ飛んだ。やがて五本の柱が蒼天を支えているのが目に入り、ここが行き止まりだと思い、ここまで来た証拠にまんなかの柱に一筆書き、1本目の柱の根元に小便をひっかけて、もとの場所へと戻ってきた。天の尽きるところまで行ってきたという悟空に、如来は自分の右の手を見せると、その中指には悟空が書いた文字、そして親指のつけ根には猿の小便のにおいが残っていた。如来は掌を下に向けて悟空を押さえつけた。五本の指は木火土金水の五連山に変わり、「五行山」となった。こうして悟空は五行山に封じ込められてしまった。

 玉帝たちに別れを告げたあと、如来は慈悲心をもよおして土地神を呼び、悟空が餓えたときには鉄の団子を食わせ、 のどがかわいたときは溶かした銅のスープを飲ませるようにと命じた。罪業が消える日に誰かが現れ、救ってくれるまで、悟空は囚われの身になったのである。

〇沙悟浄、猪八戒、白龍

 観音たちはこの世の乱れを治めるための真経を取りに行く信者「三蔵法師」を探す旅をしていた。

観音たちがある日、流沙河(るさが)を通りかかると一匹の醜い妖魔に襲われた。妖魔は旅人が観音であるとわかると身の上話を始めた。もとは玉帝の車に従っていた捲簾(けんれん)大将であったが、蟠桃会で手をすべらせ玻璃の杯を壊してしまったため、下界に落とされた。餓えを満たすためにここを通る取経者を食べていたが、九人の取経者(玄奘の前世)の頭蓋骨だけが水に浮かんだので、それを紐に通して持っていると言う。

 観音は仏門に帰依することを勧め、その九つの頭蓋骨を首にかけ、取経者を待つように告げ、沙悟浄という法号を与えた。仏門に入った悟浄は、二度と殺生をせず、取経者が来るのをひたすら待つことになった。

 福陵山という高い山にも豚のような姿をした妖魔が一匹住んでいた。妖魔も観音に身の上を語った。もとは天の川の天蓬元帥だったが、酒に酔って嫦娥(じょうが、月に住む女神)にいたずらしたため下界に追放されることになった。ところが、地上に生まれ変わる時に間違って牝豚の胎内に投胎してしまい、こんな姿になってしまったとのこと。観音は罪をつぐなうために取経者の弟子になることを勧め、猪悟能という法号を与えた。こうして彼も取経者が来ることを待つことになった。

 さらに東に進むと、空中で一匹の龍が泣いているのが目に入った。この龍は西海龍王敖潤の息子であったが、火事をおこして宮殿の明珠を燃やしてしまったので死刑になるとのこと。これを聞いた観音は玉帝のもとへ行き、取経者の乗りものとしたいので彼を下賜してほしいと願い出る。玉帝は願いを聞き入れ、命を救われた龍太子は取経者がくるのを待つことになった。

 さらに東に進んで五行山に来ると、閉じ込められている悟空に出会った。悟空も観音の言うとおり仏門に帰依することを決め、取経者が来るのを待つことになった。

〇長安で玄奘が取経者に選ばれる

 観音は、十万八千里西方にある天竺国の大雷音寺にある大乗経典を持ち帰れば亡者は救われ、行った者は証果を求めて金身(仏)となるという。皇帝が取経者を求めたところ、玄奘が進み出た。皇帝はよろこび、玄奘を義弟として取経の旅に出すことにした。洪福寺へ戻った玄奘は、西方への道は虎や妖魔が多いと心配する弟子たちに、山門の奥の松が東を向いたらじき帰ってくると言い残して、皇帝から下賜された衣裳を身につけ、皇帝から通行手形と托鉢用の紫金の鉢盂、それに従者2人と馬一頭を賜った。そして三蔵の経典にちなみ、「三蔵」の雅号をいただき、郷土の土をひとつまみいれた別れの酒を飲みほして吉日に旅立ったのであった。

◆このあとは、玄奘(三蔵法師)と悟空、沙悟浄、猪八戒、白龍との出会いがあり、そして数々の妖魔との戦いが主な内容となる。

〇師弟は証果を得て、悟りに達する

 玄奘ら師弟四人は唐の都、長安に帰って来た。山門の奥の松が東に向いたのを見て弟子の僧たちも玄奘が帰任したことを知った。

 宮殿で経巻を皇帝に捧げ、三蔵は皇帝に経巻を手にいれるまでのいきさつを説明した。また、皇帝に悟空、沙悟浄、猪八戒、白龍を引き合わせた。通行手形を返し、日が暮れるころに三蔵一行は洪福寺に帰った。あくる朝、真経を誦してほしいとの皇帝の言葉に、三蔵は長安で最も清浄な寺院である鴈塔寺に赴いた。三蔵が真経を誦そうとしたとき、空中に八大金剛が姿をあらわして、西天に帰るよう厳かに告げると、三蔵と四人の弟子は空中に跳びあがり天の彼方へと飛び去った。

 彼らが霊山に着くと、如来は三蔵を栴檀功徳仏とし、悟空を闘戦勝仏、八戒を浄壇使者、悟浄を金身羅漢、白馬を八部天龍馬とした。白馬は金鱗の龍となり、悟空が頭をさわるとあの頭を締め付ける金箍が消えていた。

 三蔵たちは証果を得て悟りに達し、白馬もまた本来の姿に戻った。如来の説法を聞きに集まっていた諸神はみなみな合掌し、仏への帰依を願って「諸尊菩薩摩訶薩 摩訶般若波羅密」(この世に存在するものはすべて『空』であるという悟りに達した境地)と唱えるのであった。

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2018-04-18台灣醫院名稱 このエントリーを含むブックマーク

Linkou Chang Gung Memorial Hospital 林口長庚紀念醫院

Mackay Memorial Hospital 馬偕紀念醫院

Hualien Tzu Chi Hospital 花蓮慈濟醫院

Taipei Chang Gung Memorial Hospital 台北長庚紀念醫院

Tri-Service General Hospital 三軍總醫院

Chung Shan Medical University Hospital 中山醫學大學附屬醫院

Changhua Christian Hospital 彰化基督教醫院

China Medical University Hospital 中國醫藥大學附設醫院

taipei veterans general hospital 台北榮民總醫院

Kaohsiung Chang Gung Memorial Hospital 高雄長庚醫院

Kaohsiung Medical University Chung-Ho Memorial Hospital 高雄醫學大學附設中和紀念醫院

Taoyuan Chang Gung Memorial Hospital 桃園長庚紀念醫院

Keelung Chang Gung Memorial Hospital 基隆長庚紀念醫院

Keelung Chang Gung Memorial Hospital LoversLake branch 基隆長庚紀念醫院 情人湖院區

Hsinchu Mackay Memorial Hospital 新竹馬偕紀念醫院

Tansui Mackay Memorial Hospital 淡水馬偕紀念醫院

Cardinal Tien Hospital 耕莘醫院

Cardinal Tien Hospital -An-kang Distrct 耕莘醫院 安康院區

CHENG HSIN GENERAL HOSPITAL 振興醫院

Tao-Yuan General Hospital,Ministry of Health and Welfare 衛生福利部桃園醫院

En Chu Kong Hospital 恩主公醫院

Fu Jen Catholic University Hospital 天主教輔仁大學附設醫院

CHENG CHING HOSPITAL 澄清醫院

Taipei Show Chwan Hospital 秀傳醫院

Tungs' Taichung MetroHarbor Hospital 童綜合醫院

LINSHIN Hospital 林新醫院

Asia University Hospital 亞洲大學附屬醫院

Taichung Hospital, Ministry of Health and Welfare 衛生福利部臺中醫院

Chiayi Chang Gung Memorial Hospital 嘉義長庚醫院

China Medical University Beigang Hospital 中國醫藥大學北港附設醫院

Chia-Yi Christian Hospital 嘉義基督教醫院

Taichung Veterans General Hospital 臺中榮民總醫院

St. MARTIN DE PORRES Hospital (Chia yi branch) 天主教聖馬爾定醫院 嘉義院區

E-da Hospital 義大醫院

E-da Cancer Hospital 義大癌治療醫院

E-da Dachang Hospital 義大大昌醫院

Kaohsiung Municipal Hsiaokang Hospital 高雄市立小港醫院

Pingtung General Hospital, Ministry of Health and Welfare 衛生福利部屏東醫院

Antai Hospital 安泰醫院

National Taiwan University Hospital 國立臺灣大學醫學院附設醫院

Shin Kong Wu Ho-Su Memorial Hospital 新光吳火獅紀念醫院

Taipei Medical University Hospital 臺北醫學大學附設醫院

Shuang Ho Hospital, Ministry of Health and Welfare 衛生福利部雙和醫院

Wanfang Hospital 台北市立萬芳醫院

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2017-04-08猫の惑星8 このエントリーを含むブックマーク

お待ちください。

  “当然捣乱,抢迷叶的便是他们;快走!他们久已派下人看着你的行迹,只要你离开迷林远了,他们便要抢;他们死了人,抢我的迷叶作为报复,快走!”

  “人和迷叶的价值恰相等,啊?”

  “死了便是死了,活着的总得吃迷叶!快走!”

  我忽然想起来,也许因为我受了猫人的传染,也许因为他这两句话打动了我的心,我一定得和他要些国魂。假如有朝一日我离开大蝎——我们俩不是好朋友——我拿什么吃饭呢?他请人参观我洗澡得钱,我有分润一些的权利。设若不是在这种环境之下,自然我不会想到这个,但是环境既是如此,我不能不作个准备——死了便是死了,活着的总得吃迷叶!有理!

  离迷林不远了,我站住了。“大蝎,你这两天的工夫一共收了多少钱?”

  大蝎愣了,一转圆眼珠:“五十块国魂,还有两块假的;快走!”

  我向后转,开步走。他追上来:“一百,一百!”我还是往前走。他一直添到一千。我知道这两天参观的人一共不下几百,决不能只收入一千,但是谁有那么大的工夫作这种把戏。“好吧,大蝎,分给我五百。不然,咱们再见!”大蝎准知道:多和我争执一分钟,他便多丢一些迷叶;他随着一对眼泪答应了个“好!”

  “以后再有不告诉我而拿我生财的事,我放火烧你的迷林。”我拿出火柴盒拍了拍!

  他也答应了。

  到了迷林,一个人也没有,大概我来到了之前,他们早有侦探报告,全跑了。迷林外边上的那二三十棵树,已差不多全光了。大蝎喊了声,倒在树下。

  迷林很好看了:叶已长得比手掌还大一些,厚,深绿,叶缘上镶着一圈金红的边;那最肥美的叶起了些花斑,象一林各色的大花。日光由银灰的空中透过,使这些花叶的颜色更深厚静美一些,没有照眼的光泽,而是使人越看越爱看,越看心中越觉得舒适,好象是看一张旧的图画,颜色还很鲜明,可是纸上那层浮光已被年代给减除了去。

  迷林的外边一天到晚站着许多许多参观的人。不,不是参观的,因为他们全闭着眼;鼻子支出多远,闻着那点浓美的叶味;嘴张着,流涎最短的也有二尺来长。稍微有点风的时候,大家全不转身,只用脖子追那股小风,以便吸取风中所含着的香味,好象些雨后的蜗牛轻慢的作着项部运动。偶尔落下一片熟透的大叶,大家虽然闭着眼,可是似乎能用鼻子闻到响声——一片叶子落地的那点响声——立刻全睁开眼,嘴唇一齐吧唧起来;但是大蝎在他们决定过来拾起那片宝贝之前,总是一团毛似的赶到将它捡起来;四围一声怨鬼似的叹息!

  大蝎调了五百名兵来保护迷林,可是兵们全驻扎在二里以外,因为他们要是离近了迷林,他们便先下手抢劫。但是不能不调来他们,猫国的风俗以收获迷叶为最重大的事,必须调兵保护;兵们不替任何人保护任何东西是人人知道的,可是不调他们来作不负保护责任的保护是公然污辱将士,大蝎是个漂亮人物,自然不愿被人指摘,所以调兵是当然的事,可是安置在二里以外以免兵馋自乱。风稍微大一点,而且是往兵营那面刮,大蝎立刻便令后退半里或一里,以免兵们随风而至,抢劫一空。兵们为何服从他的命令,还是因为有我在那里;没有我,兵早就哗变了。“外国人咳嗽一声,吓倒猫国五百兵”是个谚语。

  五百名兵之外,真正保护迷林的是大蝎的二十名家将。这二十位都是深明大义,忠诚可靠的人;但是有时候一高兴,也许把大蝎捆起来,而把迷林抢了。到底还是因为我在那里,他们因此不敢高兴,所以能保持着忠诚可靠。

  大蝎真要忙死了:看着家将,不许偷食一片迷叶;看着风向,好下令退兵;看着林外参观的,以免丢失一个半个的落叶。他现在已经一气吃到三十片迷叶了。据说,一气吃过四十片迷叶,便可以三天不睡,可是第四天便要呜呼哀哉。迷叶这种东西是吃少了有精神而不愿干事;吃多了能干事而不久便死。大蝎无法,多吃迷叶,明知必死,但是不能因为怕死而少吃;虽然他极怕死,可怜的大蝎!

  我的晚饭减少了。晚上少吃,夜间可以警醒,大蝎以对猫人的方法来对待我了。迷林只仗着我一人保护,所以我得夜间警醒着,所以我得少吃晚饭,功高者受下赏,这又是猫人的逻辑。我把一份饭和家伙全摔了,第二天我的饭食又照常丰满了,我现在算知道怎样对待猫人了,虽然我心中觉得很不安。

  刮了一天的小风,这是我经验中的第一次。我初到此地的时候,一点风没有;迷叶变红的时候,不过偶然有阵小风;继续的刮一天,这是头一回。迷叶带着各种颜色轻轻的摆动,十分好看。大蝎和家将们,在迷林的中心一夜间赶造成一个大木架,至少有四五丈高。这原来是为我预备的。这小风是猫国有名的迷风,迷风一到,天气便要变了。猫国的节气只有两个,上半年是静季,没风。下半年是动季,有风也有雨。

  早晨我在梦中听见一片响声,正在我的小屋外边。爬出来一看,大蝎在前。二十名家将在后,排成一队。大蝎的耳上插着一根鹰尾翎,手中拿着一根长木棍。二十名家将手中都拿着一些东西,似乎是乐器。见我出来,他将木棍往地上一戳,二十名家将一齐把乐器举起。木棍在空中一摇,乐器响了。有的吹,有的打,二十件乐器放出不同的声音,吹的是谁也没有和谁调和的趋向,尖的与粗的一样难听,而且一样的拉长,直到家将的眼珠几乎弩出来,才换一口气;换气后再吹,身子前后俯仰了几次,可是不肯换气,直到快憋死为止,有两名居然憋得倒在地上,可是还吹。猫国的音乐是讲究声音长而大的。打的都是象梆子的木器,一劲的打,没有拍节,没有停顿。吹的声音越尖,打的声音越紧,好象是随着吹打而丧了命是最痛快而光荣的事。吹打了三通,大蝎的木棍一扬,音乐停止。二十名家将全蹲在地上喘气。大蝎将耳上的翎毛拔下,很恭敬的向我走来说:“时间已到,请你上台,替神明监视着收迷叶。”我似乎被那阵音乐给催眠过去,或者更正确的说是被震晕了,心中本要笑,可是不由的随着大蝎走去。他把翎毛插在我的耳上,在前领路,我随着他,二十名音乐家又在我的后面。到了迷林中心的高架子,大蝎爬上去,向天祷告了一会儿,下面的音乐又作起来。他爬下来,请我上去。我仿佛忘了我是成人,象个贪玩的小孩被一件玩物给迷住,小猴似的爬了上去。大蝎看我上到了最高处,将木棍一挥,二十名音乐家全四下散开,在林边隔着相当的距离站好,面向着树。大蝎跑了。好大半天,他带来不少的兵。他们每个人拿着一根大棍,耳上插着一个鸟毛。走到林外,大队站住,大蝎往高架上一指,兵们把棍举起,大概是向我致敬。事后我才明白,我原来是在高架上作大神的代表,来替大蝎——他一定是大神所宠爱的贵人了——保护迷叶,兵们摘叶的时候,若私藏或偷吃一片,大蝎告诉他们,我便会用张手雷霹了他们。张手雷便是那把“艺术”。那二十名音乐家原来便是监视员,有人作弊,便吹打乐器,大蝎听到音乐便好请我放张手雷。

  敬完了神,大蝎下令叫兵们两人一组散开,一人上树去摘,一人在下面等着把摘下来的整理好。离我最近的那些株树没有人摘,因为大蝎告诉他们:这些株离大神的代表太近,代表的鼻子一出气,他们便要瘫软在地上,一辈子不能再起来,所以这必须留着大蝎自己来摘。猫兵似乎也都被大蝎催眠过去,全分头去工作。大蝎大概又一气吃了三十片带花斑的上等迷叶,穿梭似的来回巡视,木棍老预备着往兵们的头上捶。听说每次收迷叶,地主必须捶死一两个猫兵;把死猫兵埋在树下,来年便可丰收。有时候,地主没预备好外国人作大神的代表,兵们便把地主埋在树下,抢了树叶,把树刨了都作成军器——就是木棍;用这种军器的是猫人视为最厉害的军队。

  我大鹦鹉似的在架上拳着身,未免要发笑,我算干什么的呢?但是我不愿破坏了猫国的风俗,我来是为看他们的一切,不能不逢场作戏,必须加入他们的团体,不管他们的行为是怎样的可笑。好在有些小风,不至十分热,况且我还叫大蝎给我送来个我自己编的盖饭食的草盖暂当草帽,我总不致被阳光给晒晕过去。

  猫兵与普通的猫人一点分别也没有,设若他们没那根木棍与耳上的鸟翎。这木棍与鸟翎自然会使他们比普通人的地位优越,可是在受了大蝎的催眠时,他们大概还比普通人要多受一点苦。象眠后的蚕吃桑叶,不大的工夫,我在上面已能看见原来被密叶遮住的树干。再过了一刻,猫兵已全在树尖上了。较比离我近一些的,全一手摘叶,一手遮着眼,大概是怕看见我而有害于他们的。

  原来猫人并不是不能干事,我心中想,假如有个好的领袖,禁止了吃迷叶,这群人也可以很有用的。假如我把大蝎赶跑,替他作地主,作将领……但这只是空想,我不敢决定什么,我到底还不深知猫人。我正在这么想,我看见(因为树叶稀薄了我很能看清下面)大蝎的木棍照着一个猫兵的头去了。我知道就是我跳下去不致受伤,也来不及止住他的棍子了;但是我必须跳下去,在我眼中大蝎是比那群兵还可恶的,就是来不及救那个兵,我也得给大蝎个厉害。我爬到离地两丈多高的地方,跳了下去。跑过去,那个兵已躺在地上,大蝎正下令,把他埋在地下。一个不深明白他四围人们的心理的,是往往由善意而有害于人的。我这一跳,在猫兵们以为我是下来放张手雷,我跳在地上,只听霹咚噗咚四下里许多兵全掉下树来,大概跌伤的不在少数,因为四面全悲苦的叫着。我顾不得看他们,便一手捉住大蝎。他呢,也以为我是看他责罚猫兵而来帮助他,因为我这一早晨处处顺从着他,他自然的想到我完全是他的爪牙了。我捉住了他,他莫名其妙了,大概他一点也不觉得打死猫兵是不对的事。我问大蝎,“为什么打死人?”

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2017-04-07猫の惑星7 このエントリーを含むブックマーク

お待ちください。

  使半死的猫人说话,向个外国人说话,是天下最难的事;我知道,一定叫他出声是等于杀人的,他必会不久的也被吓死。可怜的猫人!我放了他。再看,那几个倒着的,身上当然都受了伤,都在地上爬呢,爬得很快。我没去追他们。有两个是完全不动了。

 arakawa今にも死にそうなネコ人間に話させることは、外国人に話させることは、この世で最も難しいことだった。僕はわかっていた。彼に声を出させることは殺人と同等であり、彼は間も無くショックのあまり死ぬに決まっているのだと。可哀想なネコ人間!僕は彼を放してやった。再度見てみると、倒れている何人かはもちろん怪我をしていて、皆地上を這っている。とても速く這っている。僕は彼らを追わなかった。2人は完全に動かなかった。

  危险我是不怕的:不过,这确是惹了祸。知道猫人的法律是什么样的怪东西?吓死人和杀死人纵然在法律上有分别,从良心上看还不是一样?我想不出主意来。找大蝎去,解铃还是系铃人,他必定有办法。但是,大蝎决不会说实话,设若我去求他;等他来找我吧。假如我乘此机会去找那只飞机,看看我的亡友的尸骨,大蝎的迷林或者会有危险,他必定会找我去;那时我再审问他,他不说实话,我就不回来!要挟?对这不讲信用,不以扯谎为可耻的人,还有什么别的好办法呢?

 僕は危険を恐れない。しかし、これが災いを招いた。ネコ人間の法律を知ることはどんなに怪しいものなのだろう?たとえ人を驚かせて殺すことと、人を殺すことが法律上区別されていたとしても、良心から見ればやはり一緒ではないか?僕はどうすればいいか思いつかない。ダーシエを訪ねて行く。問題を引き起こした人がその問題を解決すべきである。彼にはきっと手段があるに違いない。しかし、ダーシエは決して本当のことを話さない。もしも僕が彼に頼みに行っても。彼が僕を探しに来るのを待とう。もしも僕がこの機会にロケットを探しに行き、亡き友の遺骨を見れば、ダーシエの迷いの森はもしかしたら危険な目に遭うかもしれない。彼はきっと僕を探しに来るだろう。その時僕が再び尋問しても、彼が本当のことを話さなければ、僕は戻ってこない!脅迫か?この信用を重視せず、嘘をつくことを恥ずかしいこととしない人に対して、何か他にいい方法はあるだろうか?

  把手枪带好,我便垂头丧气的沿着河岸走。太阳很热了,我知道我缺乏东西,妈的迷叶!没它我不能抵抗太阳光与这河上的毒雾。

 拳銃をしっかり持ち、僕は肩を落としながら川岸に沿って歩いた。太陽は暑く、僕はものが不足していることに気付いた。ちくしょう迷いの葉だ!それがないと僕は太陽の光とこの川の毒霧を防げない。

  猫国里不会出圣人,我只好咒骂猫人来解除我自己的不光荣吧。我居然想去由那两个死猫人手里搜取迷叶了!回到迷林,谁能拦住我去折下一大枝子呢?懒得跑那几步路!果然,他们手中还拿着迷叶,有一片是已咬去一半的。我全掳了过来。吃了一片,沿着河岸走下去。

 ネコの国に聖人はいない。僕はネコ人間を罵ることで、自分自身の不名誉を忘れるしかなかった。僕は思いがけなくも、2人の死んだネコ人間の手から迷いの葉を探し出すことを思いついた!迷いの森に戻り、僕が大きな枝を折りに行くことを誰が止めることができるだろう?あの道を走るのは怠い!案の定彼らの手にはまだ迷いの葉が握られていたが、1枚はすでに半分噛み切られていた。僕は全て奪ってきた。1枚食べ、川岸に沿って歩き続けた。

  走了许久,我看见了那深灰色的小山。我知道这离飞机坠落的地方不远了,可是我不知道那里离河岸有几里,和在河的哪一边上。真热,我又吃了两片迷叶还觉不出凉快来。没有树,找不到个有阴凉的地方休息一会儿。但是我决定前进,非找到那飞机不可。

 長い間歩くと、濃い灰色の小山が見えた。僕はここがロケットが墜落した場所から遠くないことがわかったが、そこが川岸からどれほどあり、川のどちら側にあるのかは知らなかった。本当に暑い。僕はまた迷いの葉を2枚食べたが、涼しさは感じなかった。木はなく、少し休憩する日陰の涼しい場所は探し出せなかった。しかし僕は前に進むことに決めた。あのロケットを絶対に探さなくてはいけない。

  正在这个当儿,后面喊了一声,我听得出来,大蝎的声儿。我不理他,还往前走。跑路的本事他比我强,被他追上了。我想抓住他的头皮把他的实话摇晃出来,但是我一看他那个样子,不好意思动手了。他的猪嘴肿着,头上破了一块,身上许多抓伤,遍体象是水洗过的,细毛全粘在皮肤上,不十分不象个成精的水老鼠。我吓死了人,他挨了打,我想想猫人不敢欺侮外人,可是对他们自己是勇于争斗的。他们的谁是谁非与我无关,不过对吓死的受伤的和挨打的大蝎,我一视同仁的起了同情心。大蝎张了几次嘴才说出一句话来:快回去,迷林被抢了!

 まさにその時、後ろから叫び声が聞こえた。ダーシエの声だ。僕は気にせずまた歩き出したが、彼は僕よりも走ることに長けているため、追いつかれてしまった。僕は彼の頭を掴み、本当の話を揺さぶり出したかったが、彼の様子を一目見ると無下に手を出すことはできなかった。彼の口は腫れていて、頭は割れている。体には沢山の引っ掻き傷があり、全身水洗いしたように毛は全て皮膚にくっついている。妖怪になった水ネズミのようだった。僕が人を驚かせて殺したから、彼は殴られた。僕はネコ人間には外国人を欺く勇気はないと思ったが、彼らは自分たちに対して戦う争いには勇敢であった。彼らの誰が合っていて誰が間違っているのかは僕とは無関係であるが、ショック死した者や怪我をした者と殴られたダーシエに対しては、僕は全て平等に同情した。ダーシエは何回か口を開きやっと一言話し出した。早く戻れ、迷いの森が奪われた!

  我笑了,同情心被这一句话给驱逐得净尽。他要是因挨打而请我给他报仇,虽然也不是什么好事,可是从一个中国人的心理看,我一定立刻随他回去。迷林被抢了,谁愿当这资本家走狗呢!抢了便抢了,与我有什么关系。“快回去,迷林被抢了!”大蝎的眼珠差一点弩出来。迷林似乎是一切,他的命分文不值。

 僕は笑った。同情心はこの一言によってすっかりなくなった。彼がもし殴られたことで僕.に彼の仇を討つように頼んだなら、いいこととは言えないが、1人の中国人の心理から見て、僕はすぐに彼について戻っただろう。迷いの森が奪われた。誰がこの資本家の手先になるものか!奪うなら奪えばいい。僕には何も関係ない。「早く戻れ、迷いの森が奪われた!」ダーシエの目はもう少しで飛び出そうだった。迷いの森がすべてで、彼の命は少しの値打ちもないようであった。

  “先告诉我早晨的事,我便随你回去。”我说。

 「まず朝のことを話してくれたら君について戻ろう」。と僕は言った。

  大蝎几乎气死过去,脖子伸了几伸,咽下一大团气去:“迷林被抢了!”他要有那个胆子,他一定会登时把我掐死!我也打定了主意:他不说实话,我便不动。

 ダーシエは怒りのあまり、首をいくらか伸ばして、大きく息を吸って「迷いの森が奪われた!」彼に度胸があれば、彼はたちまち僕を絞め殺しただろう!僕も考えを決めた。彼が本当のことを話さないのなら、僕は動かない。

  结果还是各自得到一半的胜利:登时跟他回去,在路上他诉说一切。

 結果はやはり各自が半分の勝利を得た。すぐに彼と戻り、道中彼は全てを打ち明けた。

  大蝎说了实话:那些参观的人是他由城里请来的,都是上等社会的人。上等社会的人当然不能起得那么早,可是看洗澡是太稀罕的事,况且大蝎允许供给他们最肥美的迷叶。每人给他十块“国魂”——猫国的一种钱名——作为参观费,迷叶每人两片——上等肥美多浆的迷叶——不另算钱。

ダーシエは本当のことを話した。あの見物していた人は彼が城から招いた人で、皆上級社会の人である。上級社会の人は当然それほど早く起きることはできないが、入浴するのを見るのはごく珍しいことである。その上ダーシエが彼らに最もよく肥えた迷いの葉を提供するのを許したのである。1人ずつ彼に「国魂」(ネコの国の貨幣の名称)を10枚見学費用として支払えば、迷いの葉を1人2枚、しかも高級でよく肥えていて液体が多い迷いの葉をもらえる。他に代金はいらない。

  好小子,我心里说,你拿我当作私产去陈列呀!但是大蝎还没等我发作,便很委婉的说明:“你看,国魂是国魂,把别人家的国魂弄在自己的手里,高尚的行为!我虽然没有和你商议过,”他走得很快,但是并不妨碍他委曲婉转的陈说,“可是我这点高尚的行为,你一定不会反对的。你照常的洗澡,我借此得些国魂,他们得以开眼,面面有益的事,有益的事!”“那吓死的人谁负责任?”

 こいつめ、僕は心の中で言った。お前は僕を私有財産として陳列するのか!しかしダーシエは僕が怒り出す前に遠回しに説明をした。「ほら、国魂は国魂だ、他人の国魂を手に入れるのは高尚な行為である!君には相談しなかったが」。彼は歩くのが速いが、彼の遠回しな述懐を妨げてはいなかった。「しかし、私がこの高尚な行為に君は反対するはずがない。君はいつも通りに風呂に入り、私はその時に国魂を手に入れる。彼らは見聞を広めることができる。誰にとっても有益なことである。有益なことなのだ!」「あのショック死した人は誰が責任を負うんだ?」

  “你吓死的,没事!我要是打死人,”大蝎喘着说,“我只须损失一些迷叶,迷叶是一切,法律不过是几行刻在石头上的字;有迷叶,打死人也不算一回事。你打死人,没人管,猫国的法律管不着外国人,连‘一’个迷叶也不用费;我自恨不是个外国人。你要是在乡下打死人,放在那儿不用管,给那白尾巴鹰一些点心;要是在城里打死人,只须到法厅报告一声,法官还要很客气的给你道谢。”大蝎似乎非常的羡慕我,眼中好象含着点泪。我的眼中也要落泪,可怜的猫人,生命何在?公理何在?

 「君が驚かせて死なせたのなら問題はない!もし私が殺したら」ダーシエは息を切らしながら言った。「私はいくつか迷いの葉を失わなければならない。迷いの葉は全てだ。法律はただ石に刻まれた数行の字にすぎない。迷いの葉があれば人を殺しても問題にはならない。君が人を殺しても取り締まる者はいない。ネコの国の法律は外国人には適用されない。1枚の迷いの葉も必要ない。私は外国人でないことを恨む。君がもし田舎で人を殺したら、そこに放ってかまう必要はない。あの白い尾の鷹に少し餌をやる。もし市内で人を殺したら、ただ裁判所に一言報告するだけでいい。それでも裁判官は君に礼儀正しく礼を言うだろう」。ダーシエは僕をとても羨んでいるようで、まるで涙を浮かべているようだった。僕も涙がこぼれそうだった。可哀想なネコ人間、命はどこにあるのだろう?道理はどこにあるのだろう?

  “那两个死去的也是有势力的人。他们的家属不和你捣乱吗?”

 「あの死んだ2人も勢力がある人だった。彼らの家族は騒いだりはしなかったのか?」

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