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2019-05-19人工知能用語集 このエントリーを含むブックマーク

人工智能 人工知能 AI artificial intelligence

档案管理员 アーキビスト Archivist

阿西莫夫 アシモフ Asimov

价值预测 値の予測 Value prediction

阿法狗 アルファ碁 Alpha Go

专家系统 エキスパートシステム Expert system

回归问题 回帰問題 Regression problem

概念学习 概念の学習 Concept learning

可视化 可視化 Visualization

图像识别 画像認識 Image recognition

机器学习 機械学習 Machine learning

技术奇点 技術的特異点 Technical singularity

监督学习 教師あり学習 Supervised learning

无监督学习 教師なし学習 Unsupervised learning

形态分析 形態素解析 Morphological analysis

博弈树 ゲーム木 Game tree

结构化数据 構造化データ Structured data

误差反向传播法 誤差逆伝播法 Error back propagation method

递归类型 再帰型 Recursive type

自编码器 自己符号化器 Self coder

自然语言 自然言語 Natural language

突触 シナプス Synapse

奇点 シンギュラリティ Singularity

人工神经元 人工ニューロン Artificial neuron

深度学习 深層学習 Deep learning

传感器网络 センサーネットワーク Sensor network

软件定义的汽车 ソフトウェアディファインドカー Software defined car

多层神经网络 多層ニューラルネットワーク Multilayer neural network

卷积 畳み込み Convolution

探索性控制 探索的制御 Exploratory control

强人工智能 強いAI Strong AI

深度学习 ディープラーニング Deep learning

数据挖掘 データマイニング Data mining

匿名处理 匿名化処理 Anonymization processing

自顶向下 トップダウン top down

诺伊曼型 ノイマン型 Neumann type

感知器 パーセプトロン perceptron

私人助理 パーソナルアシスタント Personal assistant

模式识别 パターン認識 Pattern recognition

通用人工智能 汎用人工知能 General-purpose artificial intelligence

非结构化数据 非構造化データ Unstructured data

大数据 ビッグデータ big data

非诺依曼型 非ノイマン型 Non neumann type

未经授权的访问禁止法 不正アクセス禁止法 Unauthorized access prohibition law

闪烁 フリッカー Flicker

银翼杀手 ブレードランナー Blade runner

分布式取样器 分散型サンプラー Distributed sampler

矢量 ベクトル vector

自下而上 ボトムアップ Bottom up

矩阵 マトリックス matrix

元数据 メタデータ Metadata

蒙特卡罗法 モンテカルロ法 Monte Carlo method

物联网 物のインターネット Internet of things

弱人工智能 弱いAI Weak AI

图书馆 ライブラリ Library

量子计算机 量子コンピュータ Quantum computer

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2019-01-05高野豆腐 このエントリーを含むブックマーク

高野豆腐(乾燥時6×7公分的長方形,先泡水備用)…6片,

高湯600cc,薄口醬油2大匙,味醂…50cc,酒…50cc,白砂糖…4〜5大匙,鹽巴…1/2小匙

1.高野豆腐泡水10分鐘左右,瀝乾水分後再在清水裡洗一下。洗乾淨後,把裡面的多餘的水分擠壓出去。

2.將所有的調味料放進高湯裡煮開。

3.將高野豆腐平攤在鍋中,以小火煮7-8分鐘後熄火放涼(注意煮得太久,高野豆腐都會爛掉)。

味道比較甜的高野豆腐涼了以後也很好吃。但如果要吃熱乎乎的,可以根據自己口味酌情減少白砂糖的量。

食用時配豆莢,香菇等更美觀。

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2019-01-03黒豆、田作り、昆布巻、伊達巻 このエントリーを含むブックマーク

日本的過年菜每一道都有不同的寓意。

裝菜的方形木製盒子叫做“重箱”:一層一層地好事疊加。

黑豆的”豆“日語的讀音為“まめ”:是勤奮工作的意思。

昆布卷和伊達卷(蛋卷):開卷讀書。

田作り(沙丁魚乾):五穀豐登(因為過去把小沙丁魚作為田地的肥料用)。

紅白魚糕:紅色驅邪,白色清淨。

其他還有;彎腰的蝦代表老人(長壽),有很多孔的蓮藕表示一路暢通,魚子象徵子孫繁榮等等。

● 黒豆

黒豆200g,白砂糖200g,水800ml

1.把黑豆洗好了以後放入壓力鍋煮30分鐘(不加壓)後熄火。

2.等裡面的溫度下降到室溫再開火加壓煮30分鐘,不要馬上打開鍋蓋,等鍋裡的氣壓降下來以後打開蓋子看看豆子是否變軟,如果豆子不夠軟的話再用小火煮一會。

3.最後加白砂糖,砂糖完全溶化後熄火,這樣放一個晚上就可以吃了!

●田作り

小魚乾30公克,核桃仁適量。

醬油2大匙,清酒1大匙,白砂糖2至2.5大匙(攪拌好)

1.用平底鍋煎小魚乾(鍋裡不要放油或水)

2.加核桃仁,煎到聞到香味為止。

3.加入調味料使其均勻包覆小魚乾和核桃仁,用小火炒一下稍微收下水分即可。

●昆布巻

材料:乾昆布45g,瓠瓜乾(泡水20分鐘後用熱水燙過)

水550ml,清酒550ml,砂糖1.5大匙,醬油1/2大匙,味醂1小匙

1.乾昆布用A(水和酒)泡軟(泡8小時左右)。別把水和酒倒掉!

2.將昆布捲起來,用瓠瓜乾捆好。

3.將捆好的昆布放在鍋裡,用碟子蓋起來(以防昆布浮上來),再把A倒入鍋裡。

4.開始用大火煮,等水開了之後用中~小火煮,煮到昆布完全變軟為止。

5.先加砂糖煮5~6分鐘。

6.再加醬油煮10分鐘左右。

7.最後加味醂,湯汁幾乎收乾了就可以了。

●伊達巻

【食材】

雞蛋 5顆,豆腐 400g

【調味料】

清酒1大匙,鹽巴1/3小匙,白砂糖100g,醬油 1/2小匙

1.豆腐用開水煮1分鐘,放在竹篩上瀝乾後,用乾淨的紗布擠一下,除去水分,把豆腐的重量減至一半(200g)。

2.烘焙紙外加鋁箔紙做25*25公分的方形烤模。

3.將全部的材料都放入果汁機打半分鐘。

4.把打好的蛋汁放入烤模,烤箱預熱190度,放入烤箱,烤18分鐘。烤到表面的顏色呈咖啡色。

5.從烤箱拿出來後,倒蓋在卷簾上,然後在蛋皮上,輕輕用刀在蛋皮深1/3處,上到下橫劃出幾條線。

6.捲起來後用橡皮筋左右各1條綁緊,放涼後放進冰箱。

7.冰鎮一天後,打開切成約1.5公分寬,即可食用。

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2018-12-29《中国味道》王磊 このエントリーを含むブックマーク

https://www.youtube.com/watch?v=KDthqkul33E

作为一个历史老师 歴史の教師として

今天要和大家聊聊 今日皆さんにお話することは

我国历史上一个始终被追赶 却曾未被超越的领域 我が国の歴史において最も優れた分野

那就是 吃 すなわち「食」についてです。

孙中山先生在他的《建国方略》一书中说到 孫文は『建国方略』という著書にこう書いています

我中国近代文明事业 事事皆落后于人后 中国の近代化はどの分野も立ち遅れている

惟饮食之道之进步 至今尚为各国所不及 ただ飲食だけはどの国にも引けを取らない

也就是说 在中华民族 民心士气低谷的那个近代 中華民族が最も士気を失っていた二十世紀初頭でさえ

我们依然可以说一句 我々は胸をはってこう言えました

不好意思 提到吃 在座的各位 都是垃圾 申し訳ないが食については我が国以外(諸君)はゴミだ

吃 这件事对于中国人究竟有多麽重要呢 食べることが中国人にとってどれほど重要か

《礼记》中说过 饮食男女 人之大欲存焉 『礼記』に「飲食男女 人の大欲の存するところ」とあり

也就是说 一个族群最重要的两件事 すなわち民族にとって最重要事は

吃饭 繁衍 飲食と子孫繁栄です

而吃饭还要排在繁衍之前 しかも飲食のほうが先に来ています

那我们这个族群 中华民族传说的始祖 三皇五帝 さて我々の伝説上の祖先である三皇五帝は

有一种说法 三皇就是 燧人 伏羲 神农 一説に三皇は燧人(すいじん) 伏羲(ふっき) 神農(しんのう)と言われます 

那 王老师在这里 可以很负责任地告诉大家 私はここで責任を持って皆さんにお教えしましょう

他们之所以能成为三皇 かれらが三皇とされるゆえんは

多多少少都和吃有一点关系 大なり小なり食と関係があります

比如 燧人氏钻木取火 创造了烹饪 たとえば燧人は火起こしと調理を発明しました

很多原来生的东西 我们可以煮熟了再吃 なま物も加熱によって飲食が可能になります

伏羲 结绳为网 发明了渔猎 伏羲は縄を編んで漁網を作った

原来那些我们看得见抓不到的东西 目に見えても捕まえられなかった獲物を

我们可以逮住了再吃 捕らえて食べられるようになりました

至于神农氏做了什么 神農氏は何をしたでしょう

五个字 神农尝百草 百草を食べたと言います

日遇七十二毒 但还要接着吃 一日に七十二回も中毒してもやめなかった

因为没有什么能够阻挡 我对食物的向往 何物も食への探究心に勝てなかったからです

他不但丰富了先民的菜篮子工程呢 彼は我々の祖先の食材を豊かにし

还创造了今天丰富多彩 又一脉相传的中国味道 今日の豊富で多彩な中国の味を作り出しました

那你说这一脉相传的中国味道 中国伝統の味と言いますが

那古人是怎么吃的 我们怎么知道啊 古代の人の飲食を知るにはどうすればよいでしょう

其实很简单 簡単なことです

你看 我们现在不也是吃很多好吃的时候 現代では美味しい食事を前にしたとき

我们都要拍一张照片 然后发个微博吗 カメラで撮影してSNSに投稿しますね

那 古人其实也是这样 昔の人も同じことをしました

你只要翻开唐诗宋词 古典文学をひもとくと

那妥妥的就是一个吃货的朋友圈 美食家や健啖家が大勢います

比如 我们来看一条 たとえばこんな詩の一節があります

夜半酣酒江月下 美人纤手炙鱼头 「夜半江月のもと酒を楽しむ 美人細き指にて魚頭を炙る」

夜空里 明月下 吹着江风 喝着酒 月明かりのもと川風に吹かれて酒を飲み

漂亮妹子给你烤鱼头 美しい娘が魚を焼いてくれる

就这画面 就能多干两碗米饭 この光景だけでご飯が二膳よけいに食べられますね

那刚才提到了喝酒 さきほど酒の話がでました

其实喝酒也不是 感情深一口闷 感情铁喝出血 同じ酒でも接待や付き合いで勢いにまかせて

拿起瓶子来 敦敦敦敦敦 一気飲みでグビグビと飲みほすのは

朋友 你那不是喝酒 いい酒の飲み方ではない

怎么着 你也得 ではどうしたらいい?

葡萄美酒夜光杯 欲饮琵琶马上催 「葡萄の美酒 夜光の杯 飲まんと欲(ほっ)すれば琵琶馬上に催す」

或者 あるいは

兰陵美酒郁金香 玉碗盛来琥珀光 「蘭陵(らんりょう)の美酒 鬱金香(うっこんこう) 玉碗(ぎょくわん)盛り来たる琥珀(こはく)の光」

你得有点格调 格調高くいきましょう

当然了 也不是说就一定要吃得多么名贵多么稀罕 もちろん高級な物や珍しい物でなくてもいいのです

滟滟村醪君勿辞 橙椒香美白鹅肥 「灩灩(えんえん)たる村醪(そんろう)君辞するなかれ 橙椒(とうしょう)は香美(こうび)にして白鵝(はくが)は肥ゆ」

村里酿的土酒 自家的铁锅炖大鹅 村で醸(かも)した濁り酒(どぶろく) 鉄鍋で煮たガチョウの肉

顶天儿是个农家乐 那又怎么样呢 田舎料理ですが それで十分です

酒逢知己千杯少 一定能够主客尽欢颜 酒は知己に逢えば千杯も少なし 主客が歓を尽くすのが重要です

所以啊 吃什么从来不是关键 ですから 何を食べるかは問題ではなく

关键是和谁一起吃 誰と食べるかが大事です

那清代著名的文学家 也是美食家的袁枚曾经说过 清代の著名な文学者で食通の袁枚(えんばい)は言いました

中国的美食艺术 中国の美食の芸術は

其实是一门 饮食 美器 礼仪的综合艺术 飲食と器と礼儀作法の総合芸術であり

它更是一门深刻的学问之道 奥深い学問の道であると

你要说光论吃货的话 其实古代也是一抓一大把 美食家だけを見ても古代には実に大勢います

你比如说那个 爱吃荔枝的杨贵妃 たとえばライチを好んだ楊貴妃

嗜蟹如命的李渔 还有无肉不欢的纪晓岚 無類のカニ好きだった李漁 肉が欠かせない紀暁嵐(きぎょうらん)

当然了 我们古代的小吃界 もちろん古代の軽食分野でも

还有三位重量级的代言达人 他们分别是 三人のビッグネームが名を連ねています

私访的康熙 迷路的乾隆 和 逃难的慈禧 お忍びの康熙(こうき)帝 道に迷った乾隆(けんりゅう)帝 難を逃れた西太后です

不信你到各大旅游城市的小吃街去看一看 観光都市の美食街に行ってみれば

都是这三位的传说 必ずこの三人の足跡があります

但是如果你要找一个 しかし一人だけ挙げるとすれば

能承载饮食之味背后的学问之道的人 飲食にまつわる学問もある人物として

我心目中唯一的人选 就是苏东坡 私の考える唯一の人選は蘇東坡(蘇軾)です

他简直就是在用整个生命 为我们的中国味道代言 彼は自分の人生をかけて中国の味を表現しました

北宋元丰二年 苏东坡被贬湖北黄州 北宋の元豊二年 蘇東坡は湖北黄州に左遷され

他就写了一篇《猪肉颂》 『猪肉(ちょにく)を頌(しょう)す』という詩を書きました

黄州好猪肉 价贱如泥土 「黄州のよき猪肉 値(あたい)賎にして泥土(でいど)の如し」

贵者不肯吃 贫者不解煮 「貴者は肯(あ)えて喫せず 貧者は煮るを解(かい)せず」

早晨起来打两碗 饱得自家君莫管 「早晨(そうしん)起き来たり両碗を打つ 自家飽かし得れば君 管(かん)する莫(なか)れ」

从此之后 普通人也能吃到了美味又廉价的猪肉 こうして一般の人も美味しくて安い豚肉を食べられるようになりました

这道菜就是今天的东坡肉 この料理こそ現在の東坡肉(トンポーロー)、豚の角煮です

再贬 广东惠州 他又写了 また左遷され広東省恵州に行ったとき

竹外桃花三两枝 春江水暖鸭先知 「 竹外(ちくがい)桃花(とうか) 三両枝(さんりょうし) 春江(しゅんこう) 水暖かなるは 鴨 先(ま)ず知る」

蒌蒿满地芦芽短 正是河豚欲上时 「 蔞蒿(ろうこう)は地に満ち  蘆芽(ろが)短し まさにこれ河豚(かとん)上らんと欲するの時

春天了 竹笋 好吃 肥鸭 好吃 春が来た タケノコが旨い 肥えたアヒルも旨い

不吃到淋漓尽致不痛快 思う存分に食べないでどうする

再贬 海南儋州 到那儿吃什么呢 また左遷され海南儋州(だんしゅう)で食べたものは

老鼠 蝙蝠 蛤蟆 这些全吃了 ネズミ コウモリ ヒキガエル 何でも食べました

就这生存能力 このサバイバル能力は

可以直接跟着贝尔格里尔斯去参加 ベア・グリルスのドキュメンタリー番組 『サバイバルゲーム』

《荒野求生》的真人秀了 に出演できるほどです

到最后真的是什么都没得吃了 最後に本当に食べる物がなくなると

他又写下了一部千古名篇 《菜羹赋》 千古の名作『菜羹賦』(さいかんふ)を書きました

忘口腹之为累 不杀生以成仁 「口腹の累となるを忘れ 殺生(せっしょう)せざるを以て仁を成す」

你可以想象一下 想像してみてください

一个老头 煮着一锅咕咚咕咚冒着绿泡的野菜糊 一人の老人が鍋でぐつぐつと青菜のスープを煮ている

他心里想的却还是 彼の心中の思いはむしろ

我终于可以做一个不为口腹之欲所拖累的人 ようやく食欲の煩悩に振り回されることもなくなった

成为一个不残害生灵的仁爱之人了 生命を奪うことのない仁愛の人となったと言うのです

我的天呐 なんということでしょう

这是一种怎样的豁达与情怀啊 どれほど達観した心境でしょうか

所以说 一个终极吃货的自我修养 ですから究極の食通の修養とは

从来就不是一张刁钻的嘴 而是一颗强大的心 もともと舌先の快楽ではなく 強靭な精神なのです

黄州猪肉之味是智慧之道 黄州の豚肉は智慧の道

惠州河豚之味是勇敢之道 恵州のフグは勇気の道

儋州菜羹之味是仁爱之道 儋州の青菜汁は仁愛の道です

苏东坡把他一生的被贬路线 蘇東坡の左遷の旅をたどると

活活地走出了一幅充满着诗意和哲理的美食地图 詩情と哲学に満ちた美食の地図が描かれます

因为 竹杖芒鞋轻胜马 竹杖(ちくじょう)芒靴(ぼうか)軽(かろ)きこと 馬に勝(まさ)る

谁怕 一蓑烟雨任平生 誰か怕(おそ)れん 一蓑(すい)煙雨(えんう)平生(へいぜい)に任す

所以 试问岭南应不好 却道 此心安处是吾乡 試みに問う 嶺南(れいなん)まさに好(よ)からざるべし かえって道(い)う 心安んじる処これ吾が郷なりと

只有世间百味皆尝遍 才知人间正道是沧桑 この世の美味を食べつくしてこそこの世の無常がわかります

其实在这里呢 我又不禁想起了一道 台湾的美食 ここで私は台湾の美食について思い出しました

就是眷村牛肉面 眷村(けんそん)の牛肉麺です

眷村 顾名思义 就是眷属居住的村落 眷村というのは大陸出身軍人の村落で

这里当年呢 曾经住着上百万 かつて百万人を超える

从大陆来到台湾的老兵和家眷 大陸出身の老兵と家族が住んでいました

因为思念故土 故郷への思い断ちがたく

他们试图重现记忆中那熟悉的味道 懐かしい味を再現しようとしましたが

又因为远离故土 遠く離れた土地では

他们不得不在现实中融入当地的风味 どうしても現地の味に合わせなければなりません

当老一辈自知回乡无望的时候 もはや故郷に帰れないことを知ったとき

他们让自己的儿孙记住那记忆中的故乡 年老いた軍人は子や孫に故郷の味を伝え

和从未谋面的亲人 まだ会ったことのない家族のためにも

他们保留自己的乡音和饮食习惯 お国訛りと食習慣を守ってきました

每到节庆 他们都要隔海遥祭大陆的祖先 祝日には海を隔てた大陸の祖先を祭り

他们是在用味道提醒自己 味の記憶で自覚を促し

根在哪里 心向何处 自らのルーツと心のあり様を確認しました

原来这才是这碗面真正的味道 これこそが牛肉麺の味なのです

是浊酒一杯家万里的潇洒吗 「濁酒(だくしゅ)一杯 家万里(ばんり)」の風流でしょう

不是一种酸楚味 決して悲しみの味ではない

是每逢佳节倍思亲的 一种人情味 「佳節に逢うごとにますます親を思う」人情の味です

这是乡愁的味道 これは郷愁の味であり

这是中国的味道 中国の味です

白菜青盐糙米饭 瓦壶天水菊花茶 「白菜青塩(せいえん) 糙米(くろごめ)の飯. 瓦壺(がこ-素焼きの急須) 天水(雨水で淹れた)菊花の茶」

这是我们安贫乐道的淡然之味 これが貧しくとも穏やかな生活の味わいです

玉破鲈鱼霜破柑 垂虹秋色满东南 「玉破(ぎょくは)の鱸魚(ろぎょ) 霜破(そうは)の柑 垂虹秋色(すいこうしゅうしょく) 東南に満つ」

这是我们去国怀乡的思念之味 これは我々の国と故郷を懐かしむ味です

天子呼来不上船 自称臣是酒中仙 「天子呼び来たれども船に上らず 自(みずか)ら臣(しん)これ酒中の仙と称す」

这是我们豪放纵意的洒脱之味 これは豪放磊落と洒脱の味です

这就是中国味 これこそが中国の味なのです

这是我们这个民族独特的表达 私たち民族独自の表現であり

这是我们看待世界的方式 私たちが世界を見るときのやりかたであり

也是我们和世界相处的方式 私たちと世界が共に存在する方法です

因为中国味道 最讲究的就是一个和字 なぜなら中国の味が最もこだわるのは「和」だからです

煎炒烹炸 水火相济 調理とは水と火の調和です

这是我们中和之美的诉求 バランスの美を追究するということです

顺应时令 属性调和 季節に合わせて 性質の調和を求める

这是我们天人合一的哲学 これこそ天人合一の哲学です

商彝周鼎 秦樽汉爵 古代の祭祀(さいし)に用いた様々な器は

是我们家国社稷的传承 我が国土の神々を継承するものです

这就是今天我想跟大家分享的 私が今日 皆さんにお話したことは

不只是舌尖上的历史 たんなる美食の歴史ではなく

更使我们每个人血脉中流淌的中国味道 我々の血の中に流れ続けている中国の味についてです

谢谢 ありがとうございました

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2018-12-28《听奶奶的话》罗天 このエントリーを含むブックマーク

https://www.youtube.com/watch?v=KDthqkul33E

我的奶奶出生在江西省的农村 私の祖母は江西省の農村で生まれ

她在那个小村庄当中 その小さな村の塾で学び

读私塾 中稻米 成家育子 度过了一生 田植えをし子育てして一生を過ごしました

我的童年可能像在座的人都一样 私は幼少期 みなさんと同様に

我是被我奶奶带大的 祖母に育てられました

我六岁的时候 私が六歳のとき

我奶奶就给我规划职业生涯 祖母は私の仕事をどうするか考え

她希望我以后做一个老师 教師にしたいと思ったようです

但是这个目标 过于的长远 しかし遠い将来のことですから

首先她做了一件事情 まず祖母がしたことは

就是强迫我练习书法 強制的に習字をさせることでした

但是她教我的东西 跟学校学的有点不太一样 祖母の教え方は学校とは少し違います

首先学的是尊重 最初に尊重することを習いました

那个时候 家里但凡有一张写着文字的纸 そのころ家に文字の書いた紙があると

是不能够随意去丢弃的 勝手に捨てることはできません

你不能踩在脚底 也不能置于胯下 足で踏んでも床においてもいけない

如果这么做的话 我奶奶会对我说 そんなことをすれば祖母は

孩子啊 你这样做 是在有辱斯文 文化人のすることではないと叱ります

于是乎呢 在我们家中 总会有一个固定的时间 そんなわけで我が家では時間を決めて

我们会在我们的后院当中 祖母と裏庭に行き

拿一个盆子 把我们不需要的纸 统一的去烧毁 要らなくなった紙を焼却しました

当化作一缕青烟的时候 紙を焼く煙が立ち昇ると

奶奶会对着炭灰 作一个揖 告诉我五个字 祖母は灰になった紙にお辞儀をし

叫做 字字通神明 文字は神明に通ず と唱えて私に教えました

第二件事情 学的就是仪式感 二つ目は礼儀作法です

比如说 磨墨吧 たとえば墨を磨るのは

现在看来是一个 培养心境的一个好的方法 現在でも精神修養のよい方法ですが

我奶奶总会说 而且用家乡话对我说 祖母はいつも故郷の訛りで言いました

叫做 孩子 它不是人磨墨 而是墨磨人 人が墨を磨るのではなく 墨が人を磨るのですよ

就算墨是你自己磨出来的 也不要去挥霍它 自分が磨った墨でも大切に扱わなくてはいけません

要保持书面的整洁 常にきちんと整理しなさい と

她又告诉我四个字 そして教えてくれた言葉は

叫做 惜墨如金 「墨を惜しむこと金のごとし」です

磨完墨以后 我们就开始书写了 墨を磨ると習字を始めますが

但书写之前必须坐正 まず行儀よく座ることから始めます

我奶奶会说 因为身正才能字正 姿勢が正しければ字も正しい

因为字如其人 文字は人なりということです

在农村当中 我们的教师叫做先生 農村では教師を皆が先生と呼びます

我听我奶奶说 在我们那个小村落 祖母によるとその小さな村では

先生是非常具有崇高地位的 先生は非常に尊敬され

先生出门 才可以穿长衫和马甲 先生だけが中国式の礼服を着ていました

当年 书院的先生下乡授课的时候 書院の先生が田舎の寺子屋に来ると

他吃的是百家饭 食事は村で用意しました

家家户户都会把最好的饭菜留给先生 どの家もいちばんよい料理を先生に食べさせます

而且有钱人会为先生建立私塾 金持ちの家では先生のために私塾を開き

供那些大户人家的孩子去学习 自分たちの子供を学ばせます

那么一般人家的孩子怎么办呢 お金のない家の子にも

其实也有办法 実は他の方法があります

那个时候的农民 その頃の農家は

他会把自己仅有的一些土地 自分の所有する僅かな土地から

大家东拼西凑 变成一块完整的耕地 少しずつ融通してまとまった畑にし

由当时全村的壮年 去轮流地耕种 村の男たちが順番に耕作をしました

这块土地的收成 就是先生的薪水 この土地の作物が先生の給金となったのです

这样 更多的孩子就有读书的机会 こうして多くの子供たちが学習の機会を得ました

这块田 被称之为学田 この土地を学田と呼びます

这是一个从宋代以来 宋の時代から続く

就流传于我国农村的一个古老的制度 我が国農村の古い制度です

它的产量一般会高于其他土地 学田は他の田畑より収穫が豊かでした

家长们会精心地耕种 親たちは精魂込めて耕しました

因为他们自己明白 他们种下的是文明 なぜならその土地に植えたものは文明であり

而收获的是孩子们的未来 収穫は子どもたちの未来であり

对文化的尊重 文化に対する尊重だったのです

其实一代又一代的中国人 中国人は代々

就像奶奶跟我讲她的那些道理一样 私の祖母が私に教えてくれたように

我们的文化 就在我们血液当中 一点一点的传递 我々の文化を血脈を通じて伝承してきました

无数次的传递变成了 我们的文明 何世代にもわたる伝承が文明となり

成就了现在的我们 現在の私たちに繋がります

曾经在历史当中 有这么一个巧合 あるエピソードを紹介しましょう

1900年 二十世纪的第一年 西暦1900年

当时 八国联军开始攻打我们的首都 北京 八か国連合軍が首都北京に攻め込んだとき

但是北京的守将叫做 王懿荣 北京を守っていた王懿栄(おういえい)将軍は

他就是那个在历史上 发现甲骨文的那个人 歴史に名を知られた甲骨文の発見者でした

当八国联军的部队 攻破东直门的那一天 連合軍部隊が東直門を陥落した日

他带着所有家眷自尽了 彼は一族を率いて自ら命を絶ちました

他的书桌上留了一块又一块的龟甲 兽骨 書斎の机には亀甲や獣骨が残されていました

那些甲骨文告诉我们 それらの甲骨文が証明したのは

我们曾经有过一个非常灿烂的文明 叫做商代 絢爛たる文明の栄えた商の時代があったことです

就在八国联军的部队 攻入北方的第二天 また八か国連合軍が北部に攻め込んだ翌日

敦煌的藏经洞又被发现了 敦煌で経典を保存した洞穴が

它告诉我们 発見されました

我们曾经有个更加强大的时代 叫做唐代 これはより強大な唐の時代の文物です

这就像什么呢 これらが意味するのは

这就像 是一个英雄 他被人打败了 たとえば一人の英雄が戦いに敗れ

他躺在地上 他满身是血 他奄奄一息的时候 血まみれで横たわりまさに死を迎えようとしたとき

他突然听到了他童年时的歌谣 突然 幼い日に聞いた歌を耳にして

它变成了一股力量 その歌に力づけられ

让他有能力杵着棍子站起来了 棍棒にすがって立ち上がったようなものです

而这个英雄的名字 就叫做中华 その英雄の名は「中華」です 

在座的所有人 都是他的继承者 私たちは皆 彼の血を引く子孫なのです

在经济文化飞速发展的今天 経済と文化が急速に発展している今日

这个号称千年不败的英雄 千年無敗を誇る英雄も

正遭遇着我们自己人的挑战 我々自国の人間から挑戦を受けています

我们到底怎么了 我々はどうなってしまったのか

我们的孩子正盛装出席参加万圣节的派对 子どもたちは仮想してハロウィンパーティーへ

我们的父母正排队抚摸霍去病将军的雕像 親世代は霍去病の銅像を撫でて無病を祈るために

以祈求身体健康 行列を作っています

而我们自己呢 では私たち自身はどうなのか

想说的时候 我们词穷 話をするにも語彙が貧しく

提笔的时候 我们又遭遇书写危机 筆を執ってもうまく書けない

我们看不懂古人的墨宝 读不懂往圣的文章 古代の書家の文字を判読できず 聖賢の文章を読めない

我们的国粹 蜷缩在社会文化的角落里 伝統文化遺産は社会文化の片隅に追いやられ

我们的文化传承者 正在苦苦寻觅他的继承者 我が国の文化を継承する人を探すのに苦労しています

我们能够创造出 遨游宇宙的飞船 私たちは宇宙を飛ぶロケットを作り出し

建造出连接欧亚大陆的高铁 大陸横断鉄道を建設することができました

但是我们仿造不了 过去的一张纸 一块布 一把刀 しかし古代の紙や布や刀すら再現できません

过去的先生 是乡土社会的明星 受万人所敬仰 かつて先生は郷土の誰からも尊敬され

有一种 千金散去还复来的安全感 大金を費やしてもまた返ってくる安心感がありました

可是现在呢 しかし今は

那些在乡土社会当中 郷土社会において

供养先生的学田 现在到哪里去了 先生のために耕す学田は見られません

我们的文明当中 那些可贵的细节 我々の文明を形成する細やかな部分を

它不应该被遗忘 被流逝 忘れ去り失ってはなりません

如果一个完整的文明 在我们手中变得残缺的话 完全な形の文明が我々の手で不完全になったら

我们拿什么去教育后人 拿什么去启迪明智 私たちは何を後世に伝え教育すべきでしょうか

拿什么去捍卫我们内心的信念 どうやって自己の信念を守れるでしょうか

如果是这样 そうなれば

那么我们真的是在有辱斯文 まさに文化人としての恥になります

我们每一个人都有自己的故乡 誰もが故郷を持っています

大家不要小看它 その意味は小さくありません

乡土当中所蕴含的文化 郷土が育んできた文化が

终有一天 会变成我们生命当中的精气神 いつか自分の命を支える源泉になるのです

它会凝聚成精神 それが精神に凝縮し

变成推动这个时代发展的澎湃动力 この時代を動かし発展させる原動力となります

在这一个伟大的进程当中 この偉大な歩みのなかで

我们每一个人都不要去做看客 単なる観客となるべきではありません

我的奶奶做到了 私の祖母はそれを成し遂げました

我像她所期待的那样 变成了一位教师 祖母の期待に応え私は教師になりました

我不敢说我要启迪智慧 我要返本开新 啓蒙や古典哲学の復興などと言うつもりはなく

但是我今天站在这个舞台上 ただ今日このステージに立って

把她给我讲的道理 告诉给大家听 祖母の教えを皆さんに話そうと思ったのです

这就是一种使命 也是一种幸福 これが私の役割であり幸福だと感じます

希望我们每一个人 心中都有这么一块土地 一人一人の胸にひとつの土地を開墾し

我们用古老的种子 去播种文明 去收获未来 長い歴史を持つ種をまき文明を育て未来を収穫する

因为只有这样 こうしてこそ

我们才能拥有更美好的未来 私たちは美しい未来を手にすることができます

谢谢大家 ありがとうございました

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2018-12-27《直面你的焦虑》熊浩 このエントリーを含むブックマーク

https://www.youtube.com/watch?v=KDthqkul33E

大家好 三位老师好 会場の皆さん 先生方

今天我想讲两个问题 今日は二つの話をします

第一 我们在今天这个时代 私たちが生きている現代に

为什么会遭遇如此多的忧虑 これほどの不安感がある原因

第二 怎么办 そしてその解決方法です

我们先来说焦虑的原因 焦りや不安の原因について

我想不同的学科 可以从不同的角度 様々な分野で様々な角度から

去分析我们今天所身处的所感受到的各种焦虑 現代の我々が抱えている不安感を分析できるでしょう

但有一个维度是不可缺失的 しかし忘れてはならないことは

那就是精神性的维度 精神的な側面です

我想其中最关键的原因是那个曾经支撑我们的 つまり最も大事なことは かつて我々を支え

给我们以确定性和标准价值那个参照背景 人びとに確信と価値基準を与えていた拠り所が

逐渐逐渐在淡漠和消失 徐々に失われてきたということです

讲的有点抽象 我说具体一些 より具体的にお話すれば

如果我们假设 时间往回倒转两三百年 たとえば 歴史を数百年遡り中国の古典時代に

回到中国的古典时代 もどったとしましょう

在那个时代 关于一个人的人生将如何度过 当時は 人はどう人生を送るべきか

他的彼岸如何设定 他的生命如何成长 行き着くべき場所はどこか いかに成長するか

确实有一些 相对权威而共识性的标准 值得我们去依托 権威に裏付けられた基準に合わせることができました

大家看《论语》的时候 还记得吗 皆さんも『論語』を読まれたことがあるでしょう

打开《论语》 『論語』にいわく

子曰 吾十五而志于学 三十而立 四十不惑 われ十五にして学に志し 三十にして立つ 四十にして惑わず

五十而知天命 六十而耳顺 七十从心所欲不逾矩 五十にして天命を知る 六十にして耳順う 七十にして矩を越えず

如果你在古典社会的经典文本中看 古典に書かれたこうしたアドバイスは

你会发现 太多这样的建议 非常に多いことに気づかされます

让你的每一段光阴 都有沉淀下来的坐标 一生のどの時期にあってもそれが生き方の基準となり

每一段成长 都有扎扎实实的印记 成長段階ごとに明確な指標があるのです

大师们就好像生命的模板 聖人たちは生き方の型枠で

而我们就好像尘土 我々は土くれのようなものです

我们这一辈子 便是把水加到这个模板中 一生の間 水と自分自身を

把自己填进去 希望一点一点凿实 一点一点压迫 その型枠の中に入れて抑えつけ枠にはめていく

让自己和这个模板 尽可能无缝的衔接 自分をその型枠に隙間なく詰め込もうとする

当你真正和这个模板嵌合时 人生完满 完全に型にはまったときに完璧な人生となるのです

所以我说 在古代的社会 ですから 古代社会では

圣人像天上的太阳 我们围太阳旋转 不需自转 我々は聖人という太陽の周りをただ公転するだけでした

这种状态 也许让你不舒适 不自由 この状態に快適さも自由さもないかもしれない

但没有困扰 しかし悩みもありません

而今天 标准本身都可以再被选择 今日ではその基準にも選択肢があります

你个人在现代城市的当下 近代都市に住む人々は

你可以选吧 儒家 道家 还是 佛家 儒教 道教 仏教 どれも選べる

你可以选吧 个人主义 自由主义 还是社群主义 あるいは個人主義 自由主義 共同体主義でもかまいません

想想各位大学生朋友 现在身处的经历 大学生の皆さん 自分の経験を思い出してください

进大学的时候 你得选 哪个学校 哪个地域 何种专业 進学する大学・地域・専門を選びましたよね

你以为进了学校你就安心了吗 大学に入学すれば安心でしたか

进了学校还得选 入学後には

把主要的时间 到底是花在 学问 成长 恋爱 还是社团 自分の時間を学問・成長・恋愛・課外活動に配分する必要があり

到了高年级 走向社会 尝试与社会接触 还得选 上級性には社会との接触の機会を選びます

如果实习的话 是去国企 外企 私企 内企 インターンをするのは国営企業か外資か私営か国内資本か

毕业的时候 真正的选择才向你扎面而来 卒業となれば大きな選択が迫られます

你是就业 是择业 是创业 是考公务员 是出国 还是考研 就職・業界・独立・国家試験・海外留学・大学院進学などです

你想一想 各位 考えてみてください

背后支撑我们的背景在凋落 人生の指針がすでに失われたのに

而我们的选择 却被释放的越来越多 私たちの選択肢は増える一方です

面对此情此景 你怎么可能不焦虑 こんな状況で焦るなというほうが無理でしょう

这种慌 这种乱 让我们有时无所适从 焦り 混乱し ときには呆然と立ち止まる 

怎么办 どうすればよいのでしょう

一个简单的结论是 用尽你自己的一点点力气 簡単に言えば持てる力を振り絞って

和这个被称作焦虑的东西 この不安や焦燥と呼ばれるものと

完成第一个回合的碰撞与厮杀 正面から対峙して打ち勝つことです

我知道你没有把握全然能赢 勝てる自信はないかもしれない

我知道你没有看到问题的全景 問題を完全に把握していないかもしれない

试试看 抬起头 不要躲藏 でも逃げずにやってみてください

去迎击它 去面对它 去对话它 迎え撃ち 直面し 話し合ってみましょう

我平常没事的时候 私はふだん暇ができると

在我个人私人的微博上 经常回答网友们各种各样的提问 個人のブログに寄せられた相談に解答しています

很多问题是无厘头的 五花八门的 意味不明な質問も多く内容は多岐にわたり

奇怪的 让你啼笑皆非的 理解しがたいもの 困ったものもあります

你问我 有哪些书值得读 どんな本を読むべきですか?

我想问你 真的 该读的那些书 你连一本都不知道吗 読むべき本を本当に一冊も知らないのですか?

你问我 毕业了之后是不是应该出国 卒業後は海外に行くべきですか?

我想问你 打开电脑 敲击键盘 看一看百度 パソコンで検索してみましたか?

真的关于出国的利与弊 基本成本的计算 海外留学の長所短所 かかる費用など

最基本的信息 你真的无法搜集吗 基本的な情報を自分で収集できませんか?

你问我 偶像找到了女朋友 我该怎么办 好きなアイドルに恋人ができた どうすればいい?

我想问你 在你青春的日日夜夜当中 君は青春の日々を過ごしながら

每一个晚上 你当然 就没有花过一点点时间 毎晩ほんの少しの時間でもいいから

来和自己完成一个稍稍精进的对话吗 自分と向き合ったことはないのですか?

你自己到底是要活成偶像的样子 アイドルと同じように生きたいのか

为他去活 还是为你自己去活 その人のために生きるのか 

你问我 能不能讲一讲 それとも自分のために生きるのですか?

怎么样在陌生人面前讲话能侃侃而谈 どうしたら知らない人とも堂々と話せますか?

我想问你 你身边那些飘动的机会 君の身の回りにある数々のチャンスを

你有一次去争取过吗 一度でも捕まえたことはありますか?

比方说 老师提问的时候 你举起手 你来回答 教師の質問に対して手を挙げて答える

这不就是一个 损害非常非常小 これはまったくリスクがない

但你又可以把握的 锻炼自己在众人面前讲话的机会吗 しかも多くの人の前で話す願ってもない訓練の機会ですよね?

不要误会 我没有给年轻人太大的负担 誤解しないでください 無理をしろとは言いません

我没有说 你一定要懂这天底下关于所有问题的答案 あらゆる問題の解答を自分で見つけろということではなく

我也没有要求你 一定靠自己的力量就能整全回答 自分の力だけで完全に解決すべきだとも言いません

我只是好奇 这个问题 不就是握在你自己的手中 ただ不思議に思うのです 自分の抱える問題に対して

你真的没有做过一点点 力所能及的尝试去回答它吗 自分にできる範囲の努力で答えを見つけようとしなかったのか

我非常喜欢 德国大思想家费希特的一句话 私が好きなドイツの思想家フィヒテは言いました

他说 教育的目的乃是培养每一个人的自我决定能力 教育の目的は自己決定能力をやしなうことである

我非常喜欢 陆王心学的一个教诲 また陸象山と王陽明もいいことを言っています

它说 每一个人收拾起你的精神 自作主张 精神修養を行い自分自身で決断すること

当你把问题抛出来 扔给我 扔给你的家人 自分の問題を私や家族に丸投げし

扔给你的长辈 扔给他人 或者悬置而不愿回答 先輩や他人に答えを求めたり そのまま放置したり

躲藏而不愿面对的时候 問題から目をそらして逃げているとき

麻烦 告诉我 教えてほしいのですが

你到底是因为 这是你真正的问题 あなたはそのことで本当に悩み

你已经尝试解决 尝试面对 尝试努力而未果 それを解決しようと真っ向から努力してもだめで

确实需要别人的帮助 他人の助けを借りたいのか

还是你只是在逃脱 不愿面对 それとも問題から逃げているだけか

而如果是后者 もし後者であれば

作为老师的我 感到遗憾 乃至心痛 私は教育者として残念で悲しい

就是 我的学生们 学生のみなさん

你们的身体里 正在被一种力量占据 你毫不自觉 あなたはある力に支配されているが無自覚でいる

这种力量 叫畏缩 叫懒惰 叫愚蠢 その力は萎縮・怠惰・愚鈍というものです

支撑我们的标准 那些绝对的标准在晃动 我々を支えて来た絶対基準が揺らぎ

而我们面临的选择 越来越多 選択肢がますます多様化している

你在今天 二十一世纪的今天 そういう二十一世紀に生きていれば

遭遇迎面扑来的各种困惑 此事自然而然 様々な戸惑いを感じるのも当然です

但我想说的是 你有没有可能积攒一点点的力量和勇气 しかし私は言いたい 君はほんの少しの力と勇気もないのか

这种力量跟勇气根本不需多 一点点就好 力と勇気はほんの少しあればいいのです

用这一点点的力量 去支撑你去完成 その力を自分の支えとして

跟所谓的忧虑 困惑 第一个回合的厮杀 憂いや戸惑いに最初の戦いを挑みなさい

你当然不一定赢 勝てないかもしれない

当然可能结果是胜或是败 結果は勝つか負けるかの二つに一つです

但是 当你真正做这件事 しかし君が本当に挑戦すれば

你就会发现 你无意间居然推开了一扇门 きっと知らぬ間に扉が開いたことに気づくでしょう

这扇门叫 独立思考 独立思考という名の扉です

你无意间居然上了一条路 そして新たな道が開けます

这条路叫 自我决定 自己決定という名の道です

只有这两个 从你内身发出来的力量 この二つこそ君自身から出て来た力であり

才会赐予你所谓的 持续性的人格成长 君に継続的な人格形成をもたらすものです

最终你是靠人成长 最終的に自分を成長させることで

一个更伟大和更有力量的自己 跟所谓的焦虑去对话 より偉大で力強い自分が不安や焦燥と向きあうことになります

听完今天的演讲 没有人能承诺你说 今日の話を聞いたところで

此生和平 再不见焦虑 不安が払拭される保証はできません

但如果你听完今天的演讲 你真正有些许成长 しかし今日を境にちょっと成長して

走在自我决定和独立思考的大路上 自己決定と独立思考の道に進めると思います

相信我 私を信じてください

下一次 即使是在最澎湃的雨夜 次にひどい嵐の夜が来たとしても

你一个人跟所谓的焦虑 单独面对的时候 君がたったひとりで不安と向き合ったとき

有一束光 从你自己的生命中 生发而出 一筋の光が君の命の中から輝きを発し

你会拍拍自己的胸膛 君は自分の胸を叩いて

然后 非常淡定 自信的 跟那个所谓的焦虑说 落ち着いて自信を持ってその不安にこう言うでしょう

我 再不畏惧 ぼくはもう恐れたりはしない

谢谢各位 ありがとうございました

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2018-12-26《莫攀比》马丁 このエントリーを含むブックマーク

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《莫攀比》 马丁

大家好 みなさん

最近有一个词很火 最近流行している言葉

叫鄙视链 差別の連鎖って

你们听过没有 ご存知でしょうか

学历鄙视链 工作鄙视链 还有地域鄙视链 学歴、職業 それから地域で差別の連鎖がある

这个词什么意思呢 どういうことでしょう

我翻译成大白话 就是攀比 簡単以言えば見栄の張り合いです

正所谓攀比之心 人皆有之 虚栄心はだれにでもあります

他渗透在我们人的每一个生活的方方面面 人びとの暮らしの様々な面でみられるものです

大家别不信 在你没有出生之前 攀比就已经开始了 じつは見栄の張り合いは生まれる前から始まっています

你妈怀了你 大着肚子 お母さんのお腹が大きくなると

隔壁的王阿姨前来串门 となりのワンさんがやってきて

哎呀 这肚子这么大呀 あらずいぶん大きくなったわね

哎呀 真好 一看就是男孩儿 肯定是个男孩儿 おめでとう これは絶対に男の子よ 

我们家就是个男孩儿 うちは男の子だったのよ

请注意 重点在第二句 いいですか ポイントは最後の

我们家就是个男孩儿 うちは男の子だったのよ です

等你出生之后 王阿姨又来恭喜了 で 子供が生まれるとまたワンさんがきます

母子平安 恭喜恭喜 母子ともに健康そうね 

生的时候多少斤啊 生まれたときの体重は?

六斤半 不错不错不错 3250グラム いいじゃない いいじゃない

我们家儿子 八斤 うちの息子はね 4000グラム

大家听出来了没有 みなさん わかりますか

在这个生育攀比的鄙视链里面 出産でマウンティングを取るときには

八斤的大胖儿子就能占据顶端的位置 4キロの巨大な赤ん坊がいちばん偉い

但是转念一想 でも考えてみれば

中国的家长 全心全意 想把最好的都给孩子 中国の親は自分の子供にはいちばんよいものを与えたい

对吧 でしょ?

比一比就比一比吧 也正常 人と比べるなんて普通のことです

可惜你父母不知道的是 だが残念なことに

中国家长的攀比起跑线 从上了小学才正式开始 見栄の張り合いが本格化するのは小学校に上がってから

所有的中国孩子 都会有一样东西 子どもたちが親に取り上げられて

被家长提留出来跟别人攀比 那是什么 他人と比べられるものはなに?

成绩 通知表

对 成绩 そう 通知表です

这是你们家孩子啊 お宅のお子さん すごいわー

数学考了一百分 小小数学家 数学が百点なんて数学博士ね

我儿子 全国奥林匹克数学竞赛一等奖 うちの子? 全国数学オリンピックで一等賞

别告诉别人 我没跟别人说过 誰にも言わないで ここだけの話

这些比较 大家都听过了吧 こういうの 聞いたことがあるでしょう

接下来 咱们该高考了 さて 大学受験になりました

咱们好好说说高考 この大学受験というのは

高考面前 只要你努力学习 你是可以靠你自己 頑張って受験勉強をして 自分の力で

改变自己和家庭的命运的 自分や家族の運命を変えられる

这叫什么 这叫十八年攀比暗神伤 十八年めにやってきた大勝負です

一考成功把名扬 扬眉吐气 成功すれば意気揚々と胸をはれる

鼓掌的这些年轻人 不要太得意 拍手している若い人たち ちょっと待って

没完 まだ続きがある

我跟你说啊 いいですか

别说你孩子考上名校了 有名大学に合格したと言っても

我认为中国只有两所名校 中国には有名大学は二校しかない

就是北大和清华 郦老师那儿都不算 北京と清華だけ 酈先生のところもだめ 

什么 你女儿真考上北大了 え 娘さん本当に北京大に受かったの

哎哟 光宗耀祖啊 太棒了 必须放鞭炮 一族の自慢ね 爆竹を鳴らさなきゃ

必须请客 必须请客 お祝いにご馳走してよ

我儿子 哈佛 全额奖学金 うちの息子? ハーバード 学費免除

别告诉别人 别告诉别人啊 全额奖学金 絶対に誰にも言っちゃダメよ 学費全額免除

好吧 いいでしょう

我知道有些年轻人 听到这 听不下去了 もうそれ以上 言わないでくれ

太扎心了 对吧 胸が痛くなるから

我怎么了 我考一三本 地方の無名大学だが それがどうした

我考一专科 我怎么了 専門学校だからなんだ

我以后长大了 我不在家待着 卒業したら家を出て

我就去遥远的大城市 遠くの都会に行くんだ

我让隔壁家的王阿姨没机会在我们家叨叨叨叨比个没完 そうすればワンさんの自慢話を聞かされることもない

我必须说 年轻人 有志气 なかなか気骨がある

但是 Too young Too simple だが Too young Too simple

你走得再远 どんなに遠くに行っても

这春节马上到了 你不回家啊 旧正月には帰省しない訳にいかない

春节是什么 朋友们 旧正月とはなんでしょうか

春节是中国一年一度攀比大赛的年终总决选 旧正月は年に一度の見栄の張り合い最終決戦です

你一回家 所有的评委就扑上来了 家に帰ると審査委員が全員やってきます

哎呀 在北京工作 是吧 まあ北京でお仕事

一个月挣多少钱啊 在哪家公司啊 月給はいくら? なんて会社?

公司不是五百强啊 世界トップ500企業?

你在北京买房了吗 北京に家は買ったの?

你有女朋友没有 你结婚了吗 恋人は? 結婚は?

你二十八 你还没结婚 你连男朋友都没找着 二十八でまだ未婚? 相手も見つからないの?

我女儿都快生二胎了 家の娘なんて二人目よ

我说 你这这么大了不找对象 その年でお相手がいないなんて

是不是身体有什么问题 要不给你找人看看 体に問題でも? 相手を紹介しましょうか?

没问题 那好 問題ないって?

春节之后 阿姨给你介绍几个好小伙子 じゃあお見合い相手を何人か紹介するから

赶紧把婚事给结了 さっさと結婚しなさい

这时候大家什么感觉 皆さんどんな気持ちですか

想弄死她 首を絞めてやりたい

但是大家不能掀桌子 でもちゃぶ台返しもできない

毕竟是春节 对吗 お正月ですからね

你应该保持镇定 冷静を装って

站起来特别彬彬有礼地跟她说 立ち上がって礼儀正しくこう言いましょう

大姨 你儿子磕碜成那样都能结婚 おばさんちのあの息子だって結婚できたんだから

我一定能嫁出去 私は絶対に嫁にいけるわ

终于有一天 你找到对象了 そしてやっと相手が見つかる

婚宴办过吗 結婚式は?

他们家三十辆车的车队 彼らの家では三十台の

一水的劳斯莱斯 ロールスロイスを走らせ

而且婚礼司仪 请的是北京卫视最美的女主持 披露宴の司会は北京衛星テレビで一番美しい

春妮小姐 チュンニーさん

你只能请马丁 こっちの司会はマーティン

你说闹心不闹心 闹心不闹心 じつに癪にさわるじゃありませんか

终于 朋友们觉得 我婚都结完了 しかしやっと結婚もしたことだし

我这攀比之路总算到站了吧 これで見栄の張り合いも終わるだろう

NO NO NO NO

你媳妇大肚子 回了家 奥さんのお腹が大きくなって実家に帰ると

隔壁王阿姨的女儿 欢欢乐乐就来你们家了 となりのワンさんの娘さんがいそいそとやってきて

哎呀 大妹子 肚子这么大了 あらー ずいぶんお腹が大きくなって

一看就是男孩儿 きっと男の子よ

我们家生的也是男孩儿 うちも男の子なの

多少斤 七斤 体重は? 3500?

告诉你 我们家生了个九斤的大胖小子 うちの子は4500もあったのよ

这就是我们面临的人生 これが我々が直面している人生です

这就是我们面临的攀比 これが我々が直面する見栄の張り合いなんです

三十年 精彩轮回 持续不断 三十年巡り巡って決して終わらない

所谓生命不息 攀比不止 命の続く限り終わらない

攀比是个恶性循环 見栄の張り合いは悪循環です

他怼你 你怼他 やられたらやり返す

他跟你比 你跟他比 お互いに相手を見下す

最后你就陷入攀比里面了 最後は見栄の張り合いで

比比无尽头啊 引くに引けなくなる

没有胜利者 ここに勝者はいません

真正好的方法 いちばんいいのは

面对攀比之心 是置之不理 一笑了之 不理他 何を言われても相手にしないことです

其实我想送给大家一句话 人に自慢されて不愉快になった

受过攀比之害的人一句话 経験のある方に申し上げたい

叫做 前来攀比者 必是可怜人 見栄を張るのは憐れな人間だ

为什么这么说 どうしてでしょうか

为什么说他们可怜 なぜ憐れかといえば

攀比为了什么 見栄を張るというのは

不就两个字 面子吗 結局メンツのためですよね

对不对 でしょう?

什么人最好面子 メンツを気にするのは

可怜的人 空虚的人 憐れで空虚な人間です

大家想一想 考えてみてください

如果一个人工作很忙碌 目标很明确 仕事に忙しく 明確な目標があって

家庭很幸福 忙得不行 家庭が幸福で充実していれば

他那有时间跟你比这比那 人と比べる時間なんてないはず

对吗 でしょ?

只有那些生活无乐趣 感情无寄托的人 生きる楽しみがなく心の拠り所のない人が

才能靠攀比来满足自己 人と比べて満足感を得るのです

靠非常廉价的方式 获得非常廉价的虚荣心 安っぽいやり方で安っぽい虚栄心を満たし

来支撑起自己生活的框架 何とか生きる支えとしている

这些人不可怜吗 憐れじゃありませんか

你跟可怜的人较什么劲 憐れな人間と何を張り合うんですか

反过来 我想跟那些特别热衷于攀比的人说两句 逆に人と張り合うのが好きな人たちに言いたい

你累不累 你烦不烦哪 疲れませんか 面倒じゃないんですか

有些阿姨 你把孩子都送出国外 自分の子供を海外に留学させる親がいる

这其实是一个个人家庭的选择 それはその家庭で決めたことにすぎない

无可厚非 挺好的一件事情 对吧 何も問題ないし いいことですよね

但是这有什么可比的 对吗 でも それを人と比べなくてもいいでしょう

你想想万家灯火的时候 春节团聚的时候 旧正月の夜 家々に明かりが灯る頃

别人家都是一屋子人 儿女绕膝 天伦之乐 他の家では家族全員が久しぶりに一部屋に集まっている

你和你老两口 在冷冰冰的家里 あなたたち夫婦は寒々とした部屋で

对着冷冰冰的桌子 看着冷冰冰的手机屏幕 寒々としたテーブルにつき冷たいスマホの画面で

大洋彼岸的孩子给你送来的春节问候 海の向こうにいる子供が送信した挨拶を見ている

真的那么暖心吗 本当に幸せですか

你说你比什么比 何を人と比べているんですか

还有一些 それから

就是拼命送孩子上补习班的那些家长 必死に働いて子供を塾に通わせる親御さんたち

学完芭蕾 学钢琴 学完钢琴学冰球 バレーやピアノを習わせ ホッケーをやらせ

学完冰球 学高尔夫 学完高尔夫 学管弦乐 次はゴルフ その次は管弦楽ですか

你真的在陪伴孩子长大吗 子どもの成長を見守ることもなく

你的孩子的童年 是那些辅导班的老师培养他长大的 幼い頃から塾の先生方に子どもをまかせ

你只能趴在外面看着窗户看着自己的孩子在里面 教室の窓から先生方と一緒に子ども時代を過ごしているのを

和那些老师们一起度过童年 見ているしかないんです

我有孩子 うちにも子供がいます

我深刻地感觉到 子どもというのは

孩子一转眼就长大了 あっという間に大きくなる

你没有时间陪伴他 一緒にいる時間を作らないと

当你想陪伴他的时候 对不起 他不理你了 そのうち向こうが親から離れていってしまいます

你比什么比 人と比べなくていいんです

还有一些人 さらに

特别爱比 特に比べるのが好きな人は

甚至是大家攀比的目标和偶像 誰を目標にし誰に憧れるかといえば

就是所谓的成功人士 いわゆる成功者です

一些商人 ビジネスマンは

就比谁圈钱快 比谁泡沫大 比谁公司财富多 金集めのうまさ 派手な経営 資産の多さなどを

对不对 比べがちですが

到最后怎么样 その結末はどうでしょう

真正成功的商业是建立在商业道德和商业信誉之上的 ビジネスの真の成功は商業道徳と信用によって築かれます

不是谁泡沫吹越大谁就越能从攀比中获得快感 派手に打ち上げて優越感に浸ることではありません

我们经常大家都说 よくこんな言葉を聞きます

眼看你起高楼 眼看你宴宾客 眼看你楼塌了 高いビルを建て客をもてなしたが見る間に倒産した

这不是仇富 やっかみではなく

因为这样的高楼 这样的宾客 和这样的倒塌 本当にこういう派手なやり方ですぐに倒産する企業が

经常存在 よくあるのです

泡沫破灭以后 我们看到的是什么 バブル崩壊後に何が起こったでしょう

什么荣光都没有了 すべての輝きを失い

可能只留下点钱 残った金はわずか

有可能有家不能回 有国不能归 家にも国にも帰ることができず

你成了一个 天下最贫穷的有钱人 世の中で最も貧しい金持ちになってしまった

你有什么可比的 もう比べるものもない

咱们客观的说 客観的に言えば

攀比之心是人的本性 見栄を張るのは人の本性です

达尔文《进化论》物竞天择 ダーウィンの進化論で適者生存説があります

只要人类存在 攀比之心就不会消亡 人類が存在するかぎり見栄はなくなりません

这本没有什么错 別に悪いことではないのです

如果非要比的话 もしどうしても比べたいなら

我们应该比的是什么 何を比べるべきでしょうか

医生 应该比的是谁救助的病人多 医者であれば受け取った謝礼の額ではなく

而不是谁收的红包多 救った患者の数を

明星 应该比较的是谁演的角色好 俳優であれば年収の多さではなく

而不是谁的收入好 演技のうまさを

企业家 应该比的是谁对社会的贡献大 企業家であれば会社の規模ではなく

而不是单纯的企业规模大 社会貢献の大きさを比べるべきです

我们要比的 つまり私たちは

是在一个正向的社会价值体系里该比的东西 積極的な社会価値において比較を行うべきなのです

那就是社会责任 个人奋斗 国家荣誉 社会的責任 個人の努力 国の名誉

精神的追求 丰富和自由 精神的な目標 豊かさと自由

这是我们该比的 これらが比較されるべきです

今天说这个话题 今日お話した

可能很多人都会觉得很好笑 人生ででくわす見栄の張り合いを

我们生活中都碰到各种攀比 滑稽だと思われた方も多いでしょう

但是我想说的是 私が訴えたいのは

我们不希望有一个相互恶性攀比的互害社会 人を害する見栄の張り合いの悪循環をストップし

我们应该共同努力建设一个 ともに努力して相互協力と相互扶助の

相互帮助相互扶持的互爱中国 思いやりのある社会を作り上げようということです

最后 在我演讲的最后 このスピーチの最後に

送给大家 昨天晚上我作的一句打油诗 昨夜作ったざれ歌を紹介します

那就是 聞いてください

五百里滇池 奔来眼底 一望千里の滇池の景色

他比任他比 笑看华夏数千年风雨 数千年の歴史の流れ 人と比べて何になる

活的靠自己 あてになるのは自分だけ

谢谢大家 ありがとうございました

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2018-12-25《我爱你 北京》 鲁豫 このエントリーを含むブックマーク

https://www.youtube.com/watch?v=KDthqkul33E&t=583s

我是演说家第四季了 この番組もシーズン4を迎えました

这个舞台熟悉又新鲜 慣れ親しんだステージですが

紧张 自由 残酷 纯粹 いま新たな思いに緊張しています

因为这里尊重最普通的生活 このステージにあるのはごく普通の生活です

拥抱理想 包容异样 宽容欲望 理想や異質さや欲望さえも懐深く受け入れ

形形色色的人们在这个舞台上 様々な人々がこのステージに立って

分享故事 感动 思想 自らの思いと感動を

每个人都带着浓浓的烟火气 力強く赤裸々に語ってくれます

生活气 人气 その生き生きとした物語は

很像一座城市 ひとつの都市を彷彿させます

这座我想跟大家聊一聊 今日は最愛の都市

我心中最爱的城市 北京 北京について話します。

和很多人一样 皆さんと同様に

我不是土生土长的北京人 私も地方から北京に来ました

我的妈妈爸爸祖籍是山东河南 母は山東 父は河南出身

所以我叫鲁豫 これが私の名前の由来です

我生在上海 生まれは上海ですが

但是在我心里 我是北京人 我的家在北京 自分は北京の人間だと思っています

那是1976年的年底 也是冬天很冷 1976年 厳寒の年末

我坐绿皮火车 从上海到北京读小学一年级 私は長距離列車で北京に向かいました

这一路我又兴奋又紧张 因为我很怕冷 不安を抱えた寒がりの小学校一年生が

当火车驶进北京站停下来 北京の駅に降り立った

我下了火车 その瞬間に

站在北京的站台上 自分が人生で最初の

那一瞬间 大人への階段を

我完成了人生第一次成长 一歩登ったと感じました

从那时开始 我不再讲上海话 これからは上海語ではなく

我说普通话 北京語を話すんだ と

那是一个小女孩 一人の少女が

一个在当时新北京人 新米の北京市民となり

第一次为了融入这个城市 この町に融け込むための

所做的最大的努力 最大の努力だったのです

对一个六岁半的小女孩来说 七歳に満たない少女にとって

北京给我的第一印象是很冷 北京の第一印象は とても寒く

有些苍老陈旧 古めかしいというもので

空气中弥漫的味道 あたりに漂う臭いは

和上海阴冷的冬天完全不同 陰鬱な上海の冬とは全く違いました

时间从1976年到2018年 1976年から2018年までに

北京发生了沧海桑田的变化 北京は劇的な変化をとげ

从当初在一个小女孩 当時の少女が感じた

眼中的苍老陈旧 古めかしさは

到如今是全世界最国际化 今では世界一国際化した

但也最中国的 しかし最も中国的で

充满活力的 活力に満ちた

现代化的大都市 近代都市となりました

这些变化仿佛是瞬间的 一瞬の出来事のようです

当我回过去头看 我发现 過去を振り返ってみると

原来这四十年里 この四十年間で

我参与见证了北京 目の当たりにしてきたのは

最快速发展的一段历史 急速な発展の歴史です

我和北京是一起成长的 私は北京と共に成長し

我们都知道成长包含的 成長にともない 複雑な

那种复杂 伤痛 阵痛 痛みや産みの苦しみがありました

而这就是成长的代价 これらは成長の代価です

而对于在新北京打拼的年轻人 新しい北京で生き抜こうとする

对于大家来说 若い皆さんにとって

北京意味着什么 北京は何を意味していますか

我团队有个小朋友 私のチームスタッフが

他曾经在我的《鲁豫有约》的 私が司会したトーク番組を見て

微信公共号里写过一篇文章 ウィチャット公式アカウントに

他说 在北京单身工作的两年里 北京での二年間について投稿しました

我远离了所有的高级趣味 独り暮らしで贅沢とは縁がない

我不吃大餐了 不打球了 外食もスポーツもやめた

我不爱说话了 不爱逛街了 也不恋爱了 無口になり 遊びにも行かず 恋人もいない

每天两点一线 从公司到出租房 毎日 会社とアパートの往復をするだけ

这一路我不会碰见任何熟人 途中で知り合いに会うこともない

因为除了公司的同事 我谁也不认识 会社の同僚以外には誰も知らないから

但是他又说只有北京能够让我跳出我的舒适圈 しかし北京だけが自分に挑戦する勇気を与え

只有北京能够让我直面我无知的那一面 ここにいるからこそ自分の無知がわかる

让我能够去掉我不需要的那些过多的自卑 自尊 北京は僕から余計な劣等感や自尊心を剥ぎ取ってくれる

不是我离不开北京 是我现在喜欢北京 離れられないのではない ここが好きだ

因为这里敬畏理想 这里泾渭分明 理想への畏敬と 鮮明な対比があり

充满了所有的可能性 すべての可能性がここにある

我记得2017年的春节 2017年の旧正月に

我看了央视有一档节目 CCTVである番組を見ました

记者在全国很多大城市就在街道随机采访当地居民 「この一年 苦労したこと」というテーマで

题目就是《这一年了你为谁辛苦为谁忙》 全国の都市で街頭インタビューを行いました

在北京以外的所有的城市 北京以外の都市では

老百姓的回答都特别地接地气 很淳朴 子どもや家庭のために頑張ったという

说 我这一年就为了我的孩子 为了我的家 庶民的で素朴な意見が聞かれました

而在北京南站 しかし北京南駅では

无论被采访的是年轻的学生 还是七八十岁的老者 若い学生も 七~八十歳のお年寄りも

所有人的回答都是 这一年我辛苦 例外なくこう答えました

因为我有理想 我有梦想 为了事业 为了祖国 夢をかなえるため 仕事のため 祖国のため

这些答案把我惊着了 それを聞いて驚きました

而最让我震惊的是当时 でももっとびっくりしたのは

我听着那些答案 热泪盈眶 自分が熱い涙を流していたことです

因为在北京 只有在北京 北京だからこそ 北京だけが

当一个人对你说着梦想理想的时候 自分の夢や理想を語る人々の

你不会嘲笑他眼睛当中的那一束光 輝く瞳をあざけ笑ったりしないのです

只有在北京 北京だけが

你身边经过的每一个行色匆匆的人他们的面前 目の前を忙しく行き過ぎる人々すべてに

都有一个目的地 或远或近 目的地がある 遠いか近いかは違っても

哪怕遥不可及 たとえ手が届かなくても

而你 生怕被他们落下 你生怕被这个时代落下 他人や時代に取り残されまいと必死なのです

只有北京 你会觉得 你时刻和世界连接 和整个时代连接 北京だかが 世界と そして時代と つながっています

你会成为历史的一部分 誰もが歴史を紡ぐ一人になれます

拿我举例 私の経験を話しましょう

我在想 1984年4月 时任美国总统里根夫妇访华 1984年4月 レーガン大統領夫妻が訪中しました

那是中美建交以后 在任的美国总统第一次访华 国交樹立以来 現職の大統領が初めやってきたのです

当年我还是个中学生 当時 私は中学生で

有一天放学回家 骑车路过长安街 ある日 自転車で帰宅途中 長安街で

正好里根夫妇车队经过 ちょうどレーガン夫妻の車列に出くわし

我能够看到车窗里的里根和南希夫妇向我们挥手 車の窓からレーガンとナンシーが手を振るのが見えました

1984年10月1号 建国三十五周年的大庆 1984年10月1日 建国三十五周年の日

那是改革开放之后 全国第一次最大规模的举国欢庆 改革開放後 全国初の大規模な祝賀パレードで

在少先队伍的方阵当中 少年先鋒隊の行進の列で

我记得很清楚 我是第一排第四个 私は最前列の四人目でした

当我们一群小朋友挥舞着花环走过天安门城楼的时候 花輪を手に天安門の前を通ったとき

我的内心有一种小女孩的兴奋 私は少女らしい高揚感と

还有远远超出 那个年纪的一种神圣感 その年齢に似合わない神聖な想いを抱きました

1990年9月22日 北京亚运会开幕 1990年9月22日 北京アジア大会の日

那是北京第一次真正意义上 この日こそ北京が本当の意味で

不仅仅和亚洲 是和整个世界拥抱 アジアのみならず世界と肩を組みました

而那时我是大学生 大学生になっていた私は

我在运动比赛的场馆做翻译 試合会場で通訳を務めました

这之后 北京经历了太多大大小小的事情 それからの北京はあらゆる経験をしました

让我们感动 让我们心疼 让我们骄傲 北京は感動と悲しみと誇りを我々に与えました

每次当我出差离开北京几天 仕事で北京を数日離れて

坐着飞机飞到北京 飛行機で帰ってくるとき

当飞机到北京上空 开始下降那一瞬间 北京の上空から地上に下降し始めた瞬間

我原本疲惫放松的身体 瞬间会紧张 疲れ果てた体が瞬時に覚醒し

每个毛孔张开 每根汗毛竖起 体中に鳥肌が立つ思いにとらわれます

我知道 我到北京了 我到家了 自分の家がある北京に着く

我回到我需要战斗的地方了 戦わなければならない場所に帰って来た

北京对我们来说 是家 北京は私たちの家であると同時に

也是你需要打战拼搏的地方 戦いの場所でもあるのです

所以对这样一个地方 そういった場所にたいしては

你会怀有一种特别复杂的情感 複雑な感情を抱くことでしょう

北京太大了 两千一百万人 二千百万人の都市はあまりに大きく

每个个体都如此的渺小 一人一人はあまりにちっぽけです

你会觉得 人与人之间你伸手 好像能够触碰得到 手を伸ばせば他人に触れてしまいそうなのに

但是又离得那么远 人と人の距離はこんなに遠い

完全不像那些小城镇 田舎の小さな町なら

好像谁都认识谁 誰もが知り合いで

你可以随便走到一家面前 推门就进 遠慮なく他人の家にも上がり込むでしょう

在北京 我们更加讲究人与人之间的边界 しかし北京では人間どうしの距離感を重視し

尊重每一个个体的隐私 プライバシーを尊重します

但是这样才恰恰使北京成为北京 これが北京を北京たらしめ

它更有包容性 包容力を与えています

在这里 不管你是成功的 失意的 ここでは成功した人も不遇の人も

你想哭 你想笑 泣いても 笑っても

你想奔跑 你想歌唱 走っても 歌ってもいい

在这里 你都可以按你的意愿找到你的生活方式 自分の望むライフスタイルを見つけることができ

你都可以找到你的同类 和你相似的灵魂 同じタイプの人や心の通じ合う相手が見つかります

此刻 我站在演说家的舞台上 今このステージに立って ここが

我想象就是在北京的街头 北京市内だと想像してみましょう

我前边是庄严肃穆的天安门 前は雄大で荘厳な天安門

背后是夜夜笙歌的三里屯 背後は眠らない街 三里屯

左边是永远人声鼎沸的簋街 左は賑わうグルメ街 簋街(グイジエ)

右边就是提笼架鸟的胡同 右は鳥かごを手に散策する昔ながらの横丁

往南就是高歌猛进的中关村 南に行けば先端産業を担う中関村

北边是默默无闻的博雅塔 北にはひっそりと佇む博雅塔

这就是北京 これが北京です

这里承载包容着两千一百万人的生活 ここに二千百万人の暮らしがあります

庞大又复杂 巨大で 複雑で

它有大都市的冷漠 但是也有市井的人情 都会の冷淡さと下町の人情を兼ね備え

它给你无限的希望 无限的可能性 無限の希望と可能性を与えてくれる場所

但是让每一个个体觉得那么的渺小 微不足道 誰もが取るに足らぬちっぽけな存在だと感じる場所

它飞速地向前发展 急速に発展しながら

又背负着厚厚的历史 悠久の歴史の重荷を背負い

但是永远永远满载着希望 永遠に希望を持ち続ける場所です

我爱北京 我那么爱它 北京をこんなにも愛していても

但是我知道 它并不完美 北京は完璧ではないこともわかっています

我特别希望北京的天能够再蓝一点 北京の空がもう少し青かったら

北京的道路 交通 可以再通畅一点 北京の道路がもう少しスムーズに流れれば

有的时候 我们的节奏可不可以稍微慢那么一点点 そしてときには生活のリズムがもう少し遅くてもいいと思います

我知道 北京有所有超级大都市的通有的城市病 北京にも巨大都市が共通に抱える病があります

因为在每一个城市 飞速发展的过程当中 どの都市でも急速な発展の課程で

都必须要经历的阵痛 経験する陣痛があるように

北京一样 不能够例外 北京も例外ではありません

我无法想象四十年前 四十年間の

一个六岁多 七岁的小女孩 まだ七つにもなっていなかった少女は

她根本不知道四十年后今天的北京是怎样的 四十年後の北京がどうなっていて何が起こるか

会发生一些什么 想像すらできませんでした

就像此时此刻我们在这里 いまこのとき この場所で

如果你问我 我问你 尋ね合ってみてください

十年以后 二十年以后 北京会是什么样子 十年後 二十年後の北京はどんな様子か

我不知道 私にはわかりません

但是我知道一点 ただ一つ確かなのは

未来北京的样子 那个决定权在今天我们每一个人的手中 未来の北京を決定するのは私たちだということです

我爱北京 私の愛する北京は

我知道北京会成为我们心目当中希望它的那个样子 公平で活力と包容力があり温もりのある理想の姿に

公平的 有活力的 包容的 温暖的 私たちが思い描くとおりになるでしょう

因为我爱北京 北京が好きだから

所以我会像它永远敞开怀抱包容我们每个人一样 両手を広げて私たちを迎え入れた北京のように

包容它 爱它 北京を受け入れ愛したいと思います

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2018-12-24《漫漫返乡路》 郎祖筠 このエントリーを含むブックマーク

https://www.youtube.com/watch?v=z0obM1g1tWk

《漫漫返乡路》 郎祖筠

1987年+A2:B173大陆跟台湾 1987年 中国は台湾と

开放了两岸探亲 親族訪問を自由化しました

我记得那年的母亲节 その年の母の日

在街头上有很多老兵伯伯们 街には多くの元軍人が

他们白着头发 すっかり白くなった頭で

身上穿着印有回家字样的T恤 帰郷という文字が書かれたTシャツを着て

手上拿着 手には

白发娘盼儿归 红妆守空帷 老いた母が息子を待ち 妻が家を守っている

我要回家 家に帰ろう

这样字样的标语 というプラカードをかかげ

吸引了大众的目光 人々の眼を引いていました

而我的父亲 私の父は

就在这样浩瀚的大潮当中 この大きな時代の流れの中で

他也踏上了他自己的寻亲旅程 彼自身の里帰りの旅に出ました

1949年 1949年

有上百万的人 百万を超える人々が

离开家乡来到台湾 故郷を離れ台湾に来ました

我的父亲就是其中的一员 父もその中の一人です

临行前 他不忍心告诉母亲真相 旅立ちのとき母に本当のことを言えず

他瞒着我奶奶跟她说 父は私の祖母にこう言いました

我出去买个东西 很快就回来 買い物に行く すぐに帰ると

然后他上了船 そして船に乗ったのです

心里还想着 应该是很短暂的分离 その時はしばしの別れにすぎない

我很快就可以回家了 すぐ帰れると考えていました

但是他从来都没想过 他这一走就是四十年 四十年の別離になるとは思いもよりませんでした

各位要知道在那个年代 当時は

两岸通信是完全不可能的事情 中台間の通信が完全に途絶えており

即便父亲时时刻刻心里面 たとえ父が常に

总惦念着她的母亲跟弟弟 家族のことを気にかけていても

但是他心里想说的只字片语 自分の想いを故郷に伝えることは

却始终没有能传达到他们的手中 決してかなわぬ望みだったのです

有一首诗是这样写着的 こんな詩があります

乡愁像一湾浅浅的海峡 郷愁は浅い海峡のよう

我在这一头 大陆在那一头 僕はここに 大陸は向こうに

这是余光中先生的诗作 余光中先生の詩です

恰好讲到了 この詩がまさに

我父亲心底最真实的写照 父の気持ちを代弁しています

两岸开放以后 親族訪問が開放され

台湾的红十字会忙着办理 台湾赤十字は忙しく

所有这些要返乡的手续 里帰りの手続きを始めました

而在前一天 申請受付の前日には

四面八方涌进了 全国各地から

各式各样的老人家 お年寄りが集まり

他们苦守了一夜 徹夜で行列に並びました

无非就是希望能够 それはもちろん

在第一时间办好返乡的手续 一刻も早く帰郷したいからに他なりません

我的父亲听到这个消息 父もこのニュースを聞き

他非常的兴奋 胸を高鳴らせました

平常很沉默的他 普段は無口な父が

那天却表现得像个小孩子 その日はまるで子供のように

他在餐桌上叨叨絮絮地 食卓で次から次へと

不停地叙说家乡的种种 故郷のことを話して聞かせたものです

可是那个时候 因为工作的关系 ですがそのときは仕事の関係で

他没有办法在第一时间离开 すぐには出発できませんでした

所以他就拜托第一次返乡 帰郷の第一陣に参加でき

马上要回去的表叔 出発間近だった自分のいとこに

回到家乡 去打听叔叔和奶奶的消息 叔父と祖母の消息を調べてほしいと頼みました

表叔带回来的消息是 返って来た知らせは

奶奶已经过世了 祖母はすでに亡く

而叔叔早就失踪了 叔父は行方不明とのことでした

这个讯息给我父亲的打击非常的大 父はそれを聞いて非常にショックを受け

他听完了之后 默默地点点头 ただ黙ってうなづいただけで

转身回到楼上的房间 二階に上がっていきました

一句话都不说 何も言わない

我们全家看着他的背影 父の後ろ姿を見ながら

居然连一句安慰的话都说不出来 私たちには慰めの言葉もありませんでした

我父亲回到房间 他痛哭了一夜 父は部屋で朝まで泣き明かしました

但他不知道我站在门口 私がドアのところに立って

陪着他默默地掉眼泪 涙ぐんでいたことを父は知りません

半年之后 我这位表叔 半年後 父のいとこが

他又再度地返乡探亲 再び里帰りしました

但是他这一次带回来的消息是 しかし彼が持ち帰った知らせは

原来当时我的叔叔把父亲送走了以后 私の叔父が父を見送った後

把奶奶送回东北的老家安置 祖母を東北の実家に帰し

然后他自己去加入了 叔父自身は

第一批接收云南的解放军 雲南を接収した解放軍に入隊し

五年以后 等一切都安顿好了 五年後に生活の基盤を整えて

他又把奶奶接到云南来奉养 祖母を雲南に連れ戻したというのです

所以我们南京的亲戚 それで南京の親戚は

才会不清楚叔叔的行踪 叔父の行方を知らなかったのです

我们听到这个消息好兴奋 この知らせに私たちは興奮し

赶快把它告诉父亲 すぐに父に知らせました

原来以为他会欣喜若狂的 大喜びしてくれると思っていたのに

我父亲听完了之后 父はこの話を聞いても

他只略略皱了皱眉头 少し眉を動かしただけで

哑着嗓子说了一声 是吗 かすれた声で「そうか」と言うと

一样转身回到他的房间里 自分の部屋に戻ってしまいました

我的母亲看着愕然的我们 母は父の態度に愕然とする私に向かって

她说 你们的父亲太伤心了 お父さんは前回あまりに悲しかったから

他很害怕万一这次来的又是个错误的讯息 今度も間違いだったらと心配なのよ

他又再失望一次 また失望したら

他会没有办法承受 精神的に耐えきれない と言いました

可是看着这样悲痛的父亲 悲嘆にくれる父を

我母亲于心不忍 見ていられなくて

所以她瞒着父亲 偷偷写信到云南去 母は父に隠れて雲南に手紙を出しました

一个月后 我们收到了回信了 一か月後 返事が来ました

我记得那个晚上 その夜

我们屏着气息 私たちは息を殺して

看着父亲戴上老花眼镜 父が老眼鏡をかけ

颤抖的双手 震える手で

读着那一封 手紙を読むのを見つめました

等了四十年之后 四十年も待ちに待った

终于看到的第一封家书 故郷からの手紙です

那个时候 空气凝结得好像非常的沉重 まるで空気が重く固まったように感じ

而整个家里面安静得只能听到 家中が静まり返り

挂在墙上挂钟的滴答声 時計の秒針の音だけが聞こえました

也不知道过了多久 どれだけ時間がたったのか

我父亲终于放下了那一封家书 父はやっと手紙を置くと

长长地嘘了一口气 長い溜息をつき

他说 我们回家 回家看妈妈 家に帰ろう 母に会おう と言いました

那时我这半年来 半年ぶりに

我第一次看见我父亲的眼睛里有了光 父の眼に光を見ることができました

1988年 2月17号 1988年2月17日

我跟母亲随着父亲 踏上了返乡的旅程 私と母は父とともに帰郷の旅に出ました

我想前一天晚上 我们谁都没睡好 前の晩は皆よく眠れませんでした

因为我母亲结婚了二十四年 母は結婚して二十四年目で

第一次见她的婆婆 初めて姑に会うのです

而我是第一次要见奶奶的长孙女 私は祖母にとっては初孫です

心中最忐忑的就是我的父亲 いちばん心が騒いでいたのは父です

因为他即将经历的是 父がこれから経験するのは

恍如隔世的重逢 時代を超えた再会なのですから

飞机飞到了香港转机 香港でいったん飛行機を降り

我们就站在长长的转机队伍里面 トランジットの長い行列に並びました

我这时候注意到身边有好多人跟我父亲一样 そこにいた多くの人は 父と同様に

都是急急忙忙想回家的人 帰郷を急ぐ人でした

我看着我父亲 看着他们 それを見て

我心里的感慨是 私は思いました

天哪 这些人离家的时候 ああこの人たちが家を離れたのは

是那样的青春年少 意气风发 まだ年若く意気盛んな頃だった

在四十年之后 四十年たった今

他们每一个人都是满头华发 一脸风霜 髪の毛も白くなり 皺も増えてしまった

飞机落了地 我下了阶梯 飛行機が着陸しタラップを降りて

当我第一脚踩到机场的时候 空港に最初の一歩を踏み入れ

我心里惊呼 私は心の中で叫びました

哎哟 我的天哪 这是大陆 ああ なんてことなの

这是我以前在课本上看到的大陆 ここが教科書で見た大陸なのね

我居然来到了大陆 私は大陸に来たんだ

我觉得很不可思议 信じられない思いでした

通过了安检 通関検査が終わり

我父亲拖着行李 父は荷物を牽きながら

用极快的速度往门口直奔 速足で出口に向かいました

我跟母亲几乎要小跑步 才能跟上他的速度 私と母は小走りで父を追いました

才到到达厅 才出去就听见了一个热切的呼唤 到着ロビーに入ると大きな呼び声が聞こえました

承林 承林 しょうりん しょうりん

我的父亲丢下行李 父は荷物を放り出し

冲上去抱住了那个面容跟身影 駆け足で その顔立ちも背格好も

跟父亲极为相似的叔叔 父にそっくりな叔父に抱き着きました

我在想 这对兄弟 この兄と弟は

大概一辈子都没有想过 再び会える日がくるとは

他们居然还有重逢的机会 思ってもいなかったでしょう

而在回去的这一路上 でも家に帰る途中

这两兄弟一句话都没说 二人は黙りこくったままでした

可能是因为分离的时间太久了 離れ離れの時間が長すぎて

纵然有千言万语 話したいことが山ほどあるのに

他们竟然不知道从何说起 何から話すべきかわからなかったのです

但是 这两兄弟 双手紧紧地握着 しかし兄弟二人は固く手を取り合って

这一路上始终没有放开 最後まで放そうとしませんでした

面包车一路开着 开到了小区 マイクロバスが住宅地に入り

叔叔说 就到了 叔父がもうすぐ着くといいました

妈今天一早天没亮就起来 祖母はまだ暗いうちに起きだして

在屋子里走来走去 她心急了 落ち着かない様子でうろうろしていたと

车才刚停好 我父亲立刻跳下车 車が停まると父はすぐに飛び降りました

把我们撇在身边 私たちにもかまわず

三步并作两步就往二楼冲 転がるように二階に向かいました

我们赶紧跟在他的身后 私たちも父の後を追いました

我看见了 那个昏暗的楼梯间里面 その薄暗い階段の途中に

站着一位颤颤巍巍消瘦的老人 体を震わせて立っていた老人こそ

那就是我从未谋面的奶奶 初めて会う私の祖母でした

父亲一看到奶奶 父は祖母を一目見ると

双膝一跪大声哭喊着 膝をついて号泣しながら言いました

妈 我是承林啊 我回来了 我回家了 母さん しょうりんだよ 帰って来たよ

虽然我和妈妈都没有见过奶奶跟叔叔 私と母は祖母や叔父とは初対面でしたが

可是血浓于水 血は水よりも濃いというように

我跟母亲双脚一软跪在地上 泪流满面 二人ともその場にくずおれ涙が止まりませんでした

我的奶奶哽咽着声音 伸出枯瘦的手 祖母は喉を詰まらせ

颤颤微微地指着我的父亲说 震える細い指で父を指さして言いました

你好啊你 お前という子は

你当年跟我说要出去买东西 買い物に行くと家を出て

四十年了 我盼了你四十年了 お前を四十年も待っていた

你倒是买了什么好东西回来 どれほど良いものを買ってきたんだ

我的父亲低着头 一味地哭 父は俯いてただ泣いていました

妈 对不起 母さん 済まなかった

妈 对不起 母さん 済まなかった

1988年 2月17日 1988年2月17日

刚好是农历年三十 この日は旧暦の年末で

那天晚上9点钟 夜9時半になって

我的奶奶 我的爸爸 我的叔叔 祖母 父 叔父の三人が

在分离四十年之后 四十年ぶりに

他们终于坐下来 食卓を囲み

一起吃了一顿团圆饭 家族水入らずで食事をしました

各位刚刚听到的 皆さんにお話したのは

也许只是我父亲和家人重逢的故事 父が家族と再会した物語ですが

但是 这背后 却是在那个宏远的时代里面 その後ろにはかつて時代に翻弄され

有数不尽的家庭 百万的家庭他们的分离 数え切れない家族が離れ離れになり

少小离家老大回 若くして家を離れ老いて帰る

乡音未改鬓毛衰 お国訛りはそのままで髪は薄くなった

这些离开了家乡 来到台湾的人 という詩のように故郷を離れ台湾に渡り

经过四十年 四十年を経て

他们每一个人都已经垂垂老矣 年老いた人々が大勢います

而他们的长辈都已经七老八十了 彼らの両親はすでに八十代となり

如果再不让他们见面 早急に再会できなければ

这辈子 恐怕就再也没有机会了 一生会う機会はないでしょう

这样的事情将会在历史上 その事が歴史に

留下一个极大的遗憾 極めて大きな遺恨を残すことになります

但是 这样想家 想团聚的心声 故郷に帰り家族と会いたいという声が

终于被听见了 ようやく聞き入れられて

两岸开放了 門戸が開かれました

我相信很多人还有印象 きっと皆さんも憶えているでしょう

在开放的那几年 親族訪問が実現してから数年間は

你只要经过车站机场码头 駅や空港や港に行けば

你随时都会被感染到 常に感じ取れる

一股激动而悲伤的氛围 激情と悲痛な雰囲気があったはずです

也常常都会看见人们 そしてしばしば

因为看见久违的家人 長く離れた家族と

抱头痛哭的场面 泣きながら抱き合う場面も目にしたでしょう

我们没有办法改变过去 過去は変えられません

时代造成了人们的分离 家族は時代によって引き裂かれました

海峡纵然再绵长 岁月就算再悠远 海峡に阻まれ 長い年月を経ても

都抵挡不了人们 人びとの

想回家想念亲人的眷恋 家族を想う気持ちは抑えられませんでした

我在这里只能衷心地期盼 私がただ一つ願うことは

在未来 我们下一代的年轻人 未来を担う若い人たちが

共同携手共建和平 手を携えて平和を築くことです

这样子我们才能宽慰 そうであってこそ

在历史的洪流当中 歴史に翻弄された人々を

那些千千万万家庭的守望跟期待 慰め 思いに応えることができるのです

我衷心这样期盼着 そうなることを心から願っています

谢谢 ありがとうございました

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2018-12-23《周总理的情书》 周秉徳 このエントリーを含むブックマーク

https://youtu.be/piVX0Knjxbs

我今天想给年轻的朋友们 今日 若い皆さんに

讲一讲我大伯周恩来 私のおじである周恩来の

年轻时候的几个故事 若い頃の話をしようと思います

一百年前就是1917年 百年前の1917年

那时候大伯是从南开中学毕业 おじは南開高校を卒業し

去日本留学 日本に留学しました

途中在沈阳给他的小学同学 旅の途中で瀋陽にいた小学校時代の友人に

写了一句话 手紙を出し

这句话就是 こう書いています

愿相会于中华腾飞世界时 中国が世界に羽ばたくときに再会しよう

弟翔宇临别预言 翔宇 ここに予言する

翔宇是大伯的字 翔宇というのは おじのあざなです

大家有没有注意 お気づきでしょうか

它是临别预言 別れに贈る言葉ではなく

而不是临别赠言 予言をしたのです

他预见到我们将来要腾飞世界 我々が世界に羽ばたく日がくることを

这句话是在他19岁的时候讲的 彼は十九歳のときに予見していました

而且也能够看到 この言葉には

他对于咱们国家的信念 おじの国に対する信念や

对国家的热爱 熱い愛国心もうかがえます

他在晚年的时候 晩年になってから

曾经说过一句话 こんなことを言っています

就是我这二十多年来的总理 二十年余り総理をつとめたが

主要抓两件事 自分がした事は二つだ

一个是上天 一个是水利 航空事業と水利事業である

我们现在看到 いま私たちは

我们国家发展是非常大的 我が国の目覚ましい発展を目にしています

我们不能够忘记 忘れてはならないことは

为咱们现在美好的时代 素晴らしい時代を築くため

付出了生命和鲜血的先烈们 生命をなげうち血を流した先人がいたこと

同时也不能够忘记的 そしてそれと同時に

就是为了我们 まさに我々のため

新中国的建设和发展 新中国の建設と発展に

做出了自己贡献的 それぞれの貢献を行った

默默无闻的 名もない人々

做了非常普通的工作的人 ごく普通の仕事をしてきた方々です

我在二十岁出头的时候 私が二十歳を少しすぎた頃

伯父跟我讲了 おじが私に話してくれた

他自己的恋爱故事 自分自身の恋愛の話は

好像是给我进行恋爱教育 私に対する教育の意味がありました

恋爱观的教育 恋愛に対する捉え方についてです

在他1920年 1920年

去了法国勤工俭学 おじはフランスに留学しました

那个时候也有一位女友 当時 おじには恋人がいました

这位女友跟他在天津的 その彼女は おじが天津で

五四运动的时候 五四運動に参加したとき

都是五四运动的领导者 ともに運動の指導者をしていました

而且到了法国之后 しかもフランス留学後は

又是一块儿加入了少年共产党 一緒に旅欧中国少年共産党に参加しました

但是不久 这位女士 しかし程なくしてこの女性は

思想有了变化 考え方を変え

她只想研究学问 学問研究の道を選び

不大想过问政治了 政治に興味を失いました

但是伯父那个时候 しかしおじは当時

已经是一个坚定的共产主义者 すでに共産主義者としての意志を固め

他就觉得他要找的终身伴侣 生涯の伴侶とするには

应该是一个 必ずや

能够在共同的革命征程中 同じ革命の道を歩み

可以克服一切的艰难险阻 あらゆる困難を乗り越え

勇敢面对 这样的人才可以 勇敢に戦う人でなければと考え

因此他跟这位女士分了手 その当時の恋人と別れました

然后写信给在天津五四运动当中的 そして天津の五四運動で

讲演队长 邓颖超 演説隊長であった鄧頴超に

他在这时候就告诉我 手紙を書いたのです

你要找一个终身伴侣 おじは私に言いました

你要找朋友 恋人や配偶者を選ぶのに

要有一条 别的都不重要 ただ一つだけ重要なことがある

重要的是要热爱国家 国家を愛し

热爱人民 国民を愛していることだ

全心全意地为咱们的国家奋斗 誠心誠意 国のために奮闘努力すること

有共同的志向 同じ志を持っていること

才是应该你找的终身伴侣 これこそが配偶者の条件だ

我听了以后 我当然是很感动 この言葉に私は心から感動し

我也是很接受他的教诲的 おじの教えを素直に受け入れました

他给我伯母邓颖超写了很多信 おじはおばの鄧頴超に頻繁に手紙を寄越しました

也有明信片 あるとき

在一个明信片上 おばに送った葉書には

有一个当时的油画 当時の油絵で

很著名的油画是 たいへん有名な絵画ですが

德国的两位革命家的情侣 ドイツの革命家のカップル

李卜克内西和卢森堡 カール・リープクネヒト ローザ・ルクセンブルクの

寄这个明信片的背后 肖像があり

我大伯给邓颖超写的是什么 おじはこう書いています

愿我们两个人 私たち二人も

和他们两个人一样 彼らと同じように

将来共同走向断头台 いつか二人で断頭台に登ろう

这是情书啊 孩子们 これが恋文なんですよ 皆さん

情书 是这样说的 ラブレターにこういうことを

我对这句话 書いたのです

我特别地感动 本当に感動しました

他们在年轻的时候 おじは若い頃

就是这样地献身于自己的事业 こんなふうに自分の仕事に献身しました

自己追求的共产主义 自分の追い求める共産主義という

这样一个事业 ひとつの事業に身を捧げました

所以我觉得我们是 ですから私は

必须要向他们学习的 彼らに学ぶべきこととは

因为有了这样的一个共同的 このような共通の

思想基础 思想的基盤があったから

所以他们两个人在今后的 二人はその後の

五十多年当中 五十年余りを

在革命的道路上 革命の道をともに歩めたのです

他们共同经历了 二人はともに

在白色恐怖气氛下丧子之痛 白色テロの恐怖と

他们两次没有孩子了 我が子を失う悲しみを

一起经历了 味わいました

两万五千里的长征路 二万五千里の長征では

他们确实是经历了 二人はまさに同じ道を歩き

各种各样的艰难险阻和惊涛骇浪 あらゆる苦難と危険と波乱を経験しました

但是他们一直 しかし二人はずっと

感情是始终不渝的 相手への想いを失わず

相亲相爱互相理解 互いを思いやり 深く理解し合い

互相支持 直到永远 互いを支え合いました

这就是他们的革命情谊 ふたりの革命を通じた友情

革命的爱情 革命を通じた愛だったのです

后来在1975年的6月15号 1975年 6月15日

伯父已经在医院里头 おじは病床にありました

住了一年多了 入院して一年余りのころ

有一天伯母就给我打电话 おばから電話がありました

说是伯伯要回家 おじが自宅に帰れるから

回到西花厅来 こっちに来て

你可以回来看一看 顔を見てやってくれと

那我当然是非常高兴 私はもちろん嬉しくて

也很想回去 ぜひ行きたかったのですが

但是非常不巧 あいにくなことに

那天我的先生有个老同学 夫の昔の同窓生で

几十年没见 数十年も会えなかった人が

第一次到北京 我的家 初めて北京の私の家に来るというのです

我的家在城郊 私の家は郊外にあり

郊外比较远的地方 市内から離れた場所です

我想我伯伯最近又可以回来了 おじは帰宅できるというのだから

以后还有机会 会う機会はまたあるだろうと思い

那天我就留在家里头 その日は自宅にいて

给那位同学做饭 食事のしたくをしていました

因为那个时候吃个饭很不容易的 当時は外食することは難しかったのです

我就留在那儿了 私は家にいることにし

就没有去到西花厅跟伯伯见面 おじの家には行きませんでした

这样其实我是错过了 そしてせっかくの機会を失ったのです

跟他最后一次见面的机会 おじと最後に会う機会だったのに

后来我才知道 その後わかったのですが

伯伯在给毛主席写的信当中 おじは毛主席にあてた手紙で

他曾经写的就是 こう書いていたそうです

膀胱出血还没有断 膀胱からの出血が止まらず

癌细胞还屡有发现 癌細胞が次々に見つかります

我现在的体重还有六十一斤 体重は30キロほどになりました

当我知道这样的情况 そのことを知ったとき

我真是觉得我懊悔懊悔又懊悔 私は後悔してもしきれませんでした

怎么那天就没有回去 どうしてあの日 おじの家に

再最后看他一眼 会いに行かなかったのか

所以很长时间 だからずいぶん長いこと

都不敢想这样的事 このことを考えたくもなかった

直到伯母去世之后 おばが亡くなって

我们手捧着鲜花 伴着她的骨灰 花束と遺骨を抱いて

洒向海河的时候 天津海河の河口に散骨したとき

我心里就特别希望 私の心からの願いは

伯母能够在天上看到他 おばが天国でおじと再会し

对他讲我的懊悔 私の心残りを伝え

我今后一定要做出更多的事情 これからもっと多くの貢献をし

要懂得珍惜 人生を無駄にせず

要承担起自己肩头的各种责任 自分の責任を果たすと伝えてくれることでした

我想小到我们每个人 国民一人一人から

大到我们整个的国家 国家全体に至るまで

只要每个人 都以建业兴邦为己任 誰もがみな産業振興と国家建設を自らの責務とし

对社会尽责任 对工作负责任 社会的責任と仕事への責任を果たし

对家庭也要尽到自己的义务 家庭においても自らの役割を果たす

这样做 こうすれば

做好自己每个人该做的事情 一人一人がすべきことをして

这就不辱使命 也不负时代 自分の使命を全うし時代の要請に応える

经过咱们几代人的努力 こうした何代にもわたる人々の努力のおかげで

我们现在可以非常兴奋地 いま非常に喜ばしい思いで

自豪地看到咱们国家的天宫号 宇宙ステーション「天宮」や

咱们的天眼 咱们的北斗 天眼電波望遠鏡 北斗衛星測位システム

咱们的航空母舰 航空母艦などを目にしています

一个一个的都在这个基础上 どれもその基礎があったからこそ

有了非常强烈的发展 目覚ましい発展を遂げたのです

我们可以非常强烈地感受到 私たちは非常に強く

我们国家的民族复兴 国家の民族の復興を感じることができます

真的是从来没有现在这样 いまだかつてなかったほど

令人感觉到如此之近 身近に感じることができます

而现在我觉得我们可以 そして今 私たちは

勇敢地大声地向伯伯说 声高らかにおじに対して報告できます

我们的国家正在崛起 我が国はまさに崛起し

我们的民族正在腾飞 我が民族はいまこそ羽ばたいている

这个中华盛世如你所愿 あなたの願いがかなったのだと

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