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2017-02-23林語堂「翻訳を論ず」講義用レジュメ

翻訳を論ず[1]

An essay on translation

林 語堂[2]

Lin Yu tang

翻訳にルールはない

 翻訳は一種の芸術→個人の芸術的資質とその芸術の分野における十分な訓練が必要。

第一に原文の表現と内容への徹底した理解

第二に極めて高い母語能力にもとづく流麗な文章表現

第三に翻訳の訓練を通じて会得した翻訳の基準とスキルに対する適切な考え方

翻訳の基準

 翻訳のスキル、規範、翻訳者のとるべき態度

原文の構造を保った翻訳(「欧文脈」)

「一語対応」の翻訳は可能か

芸術(詩歌や戯曲)の翻訳に関わる問題

翻訳の基準とスキルについて適切な見解を持つこと

「一語対応」させた「欧文脈」が望ましいというのは馬鹿げた迷信

翻訳は二言語における高度な能力を前提とするもの

翻訳の三基準について

 第一は忠実さの基準:翻訳者の原文に対する問題(原著者への責任)

第二は読みやすさの基準:訳者の中国語文に対する問題(読者への責任)

第三は美しさの基準:翻訳と芸術の問題(表現の芸術性への責任)

翻訳論について

経験談の域をこえず、事実をあげて学術的に分析したものはない

翻訳者と翻訳の対象となっているテクストの相互関係を検討すべき

言語心理の分析を立論の根拠とすること

語義の性質を検討し語対応で翻訳できるかどうかを判断する

テクストの性質を検討し、いかなる態度で翻訳するべきかを決定

忠実さの基準――最優先すべき責任

著者の思想や意図を曲げずに訳出すること

一語一語を原文どおりに並べる

翻訳者に原文の語句を斟酌して読みやすい訳文を作る権利はあるか

忠実さの四段階

✖死訳(逐語訳):原文の語句や構造を崇め奉りそのまま訳文に移そうとする

?直訳:

?意訳:

✖胡訳(超訳):すらすら読める美しい訳文を作るためなら何をしても構わない

・原文を完全に理解したうえで書き換える

・原文を精緻に読み解くことなく単なる印象のみで訳す

「直訳」、「意訳」とは?

直訳と逐語訳の違いは何か、意訳と超訳の違いは何か

翻訳の手順を示していない誤解を招きやすい表現

翻訳に適用される二種類の基準がある?

翻訳の自由さあるいは忠実さの度合いとは?

訳者の個性による致し方のない差異の範囲内にとどめるべき

翻訳に全く異なる適用基準が同時に存在すべきではない

「語訳」[8]と「文訳」[9]

 翻訳者が原文を理解し、翻訳する二つのやり方

語を主体とする「語訳」、文を主体とする「文訳」

語訳は語の単位で解釈し、翻訳する

語義は文脈と離れて独立した意味を持っていると考える

断片的で独立した語義を順番に並べていけば、最終的に文の意味を獲得できる

文訳は語義を固定的に見ることを恐れる。

語の意味は文脈の中でそのつど変化し、語は文において組織的に結びついている

文のなかで、語義は互いに新たな「総体としての意義」を形成する

総体的意義は柔軟な語義判断と語の関連性から得られる

原文の総体的意義を明確かつ精確に理解し訳出語の統語習慣により表現する

語から語へ移し替えられる部分はそのまま逐語訳でよい

逐語訳では自国の言語習慣にそぐわない部分は個々の語を犠牲にし、相応するあるいは最も近似した表現法を探る

原文の語を逐一訳すことよりも、むしろ元の意味を再現することを優先する。

忠実は語から語への対訳の謂いにあらず

 語義は用いられ方によって様々に変化することで文脈に一貫性を持たせる

機械的に逐語訳すると辞書的意味にこだわり前後の意味を無視することになる

簡単な語ほど用法は多岐にわたり一語ずつ分解して翻訳する方法は通用できない

慣用表現における語義の変化

テクストにおける語義の変化

語義は文全体に求めるほかなく、字面にこだわり辞書の定義に頼ってもわからない

翻訳者は原文の語義に対して透徹した理解が必要

語義の理解が文の理解の前提となることは確か

だが語義を固定した独立したものと捉えるべきではない

生きた、関連性のある、むりに分解することのできないものであると見るべき

辞書、字典の役割

 辞書に掲載されている定義を絶対視しないこと

しかし意味が不明確、曖昧な語により明確で正確な解説をしてくれる役割

語の様々な用法と成句や複合語をその見出し語のもとに列挙

その用法に依拠して語用において生じる語義の変化を分析

忠実さは精神の伝達[10]にある

忠実さは語から語への移し替えを指すのではない:第一の結論

翻訳者は原文の一語一語を全て理解する必要はある

一語一語を全て訳す必要はない

忠実さの二番目の定義は、原文の精神を伝えること

原文に用いられた語の精神や文の勢い、そして言外の意味に忠実に翻訳する

「語の精神」:語の論理的な定義に情感的な色彩をも包括する、語の暗示力

ことば:指示対象の表示、情感の伝達

絶対的な忠実さはあり得ない

 翻訳者によって到達できる忠実さは、相対的な忠実で絶対的な忠実さではない

音・意味・精神の美しさ、語勢と語気の形式的な美しさ

語義に気をとられて精神を忘れる

精神を伝えてはいるがスタイルを忘れる

作品の意義、精神、気勢、スタイル、音声の美しさ

すべてを同時に完全に訳出することは全く不可能

外国語に移そうとすれば相対的に最も近い語を選ぶしかない

色合いも個性も全く等しい語は存在しない

翻訳者は原文の意義を100%理解する

翻訳者自身の筆力に頼り自国語の性質と習慣をできる限り生かし、最も適切な訳文を探して表現し、原文の意味をほぼ満足のいく正確さで翻訳する

翻訳は一種のやむを得ないが有益な事業であること

翻訳者が求めることをゆるされるのは相対的な成功でしかない

自国の読者に対する責任

 読みやすさの問題、忠実さの第四義

翻訳者は一方では原作者に責任を負い、もう一方では自国の読者に責任を負う

理解しがたい文章を読者に与え苦痛を強いるのは読者に対して無責任

文体の心理

 文章を書く時の心理的な手順

分析的なものでなければならず、構成的なものではない

総体的な意味があって、その後に各部分に分かれる

ばらばらの語句を構成して総体的な意味を形成するわけではない

筆を執って書き始める前に言いたいことが先にある

語を優先して構成的な態度で翻訳するとまとまりを欠く

漢字をを書くときは文字全体の印象が頭の中にあるはず

翻訳は文を単位とする

 翻訳と作文の違い

元となる思想が書き手自身の心中に生じたか否か

翻訳者は原文の全体の意義を詳細かつ精確に体得して吸収し、文全体の意義にしたがって、目標言語のルールに則って翻訳する

翻訳者は中国語の書き方に完全に依拠すべきである

 表現しようとしている思想が外国のものである以上、外国語の影響を受ける

翻訳者が元の姿を完全に消し去ってしまうべきではない

文法構造に何らの不備もないが、不自然な文章

目標言語として違和感のある訳文を「欧化」(欧文脈)として誤魔化してはならない

四 美しさの問題

 翻訳と芸術の問題

翻訳は実用に供する以外に美的な面も同時に配慮すべき

翻訳を一種の芸術として捉えること

内容を伝えるのみならず、ことばの美しさに注意を払う

芸術の翻訳不可能性について

 Croceの「真実の芸術作品は翻訳できない」

Croce:芸術は「翻訳」できない、「再創作」できるだけである

詩は最も翻訳できない

最も素晴らしい詩(とりわけ叙情詩)はすべて翻訳不可能

作品に用いられた固有の語を離れてしまえば、魂は肉体を失ってさまよう

魂を失った肉体もまた生きながらえることはできない

絶対的な忠実さは不可能

翻訳の成否と芸術作品の二つの種類

作者の経験や思想から書かれたもの

芸術の美がことばそれ自体にあるもの

前者は原作で用いている個別言語に比較的依存していない

後者は原作の語それ自体に作品の思想がかたく結びつき引き離すことはできない。

後者の翻訳は決して成し得ない

何を言うかとどう言うか

 芸術作品の翻訳:原文のスタイルと内容のどちらも重視すること

何を言っているのか、どのように言っているのか

言わんとする事は何かよりも、どのように言っていたかだけが印象に残る場合

スタイルゆえに尊ばれる作品

吟遊詩人ホメーロスの『イーリアス』内容だけで文学とするには不足

文学作品として成功した理由はスタイルにある

芸術的文章の美しさがその内容よりむしろスタイルにある時翻訳は至難

芸術作品の翻訳ではその作品のスタイルと風格を見極めること

翻訳の際にはそれを極力再現するよう努めること

外的形式と内的形式の問題

 外的形式と内的形式(outer form and inner form)

外的形式:文の長短、繁簡、詩の定型など

内的形式:作風、文体など作者の個性と直接に関係するもの

理想主義、リアリズム、ファンタジック、エキセントリック、オプティミスティック、ペシミスティック ユーモラス、スノッブ……、などの様々な特徴

外的形式:いかに処理するかの工夫

内的形式:翻訳者の長年にわたる日常的な文学の経験と学識に頼る

原作の文学的センスと価値を完璧に理解したという確信を得てから翻訳

Croceの「翻訳は創作」説

 芸術作品の翻訳は一種の芸術活動

Croce[15]:「翻訳は創作」、not reproduction, but production

 美しい文章表現、これ以上はないほどの適切な訳文、十分に原作の価値に迫ることができる翻訳は、翻訳者が自らの手で生み出す

翻訳には既製品のルールはない。

翻訳には絶対的に正しいものもない。

同じ文を訳しても、様々な訳文が生まれる

翻訳における個性と自由さ

まさにこの意味において翻訳が芸術であるとされる。

以上

訳注

[1] 「論翻訳」:1932年に上海光華書局発行の呉天曙編『翻訳論』所収

[2]  林語堂(1895~1976)文学者。原名は和楽。福建省の人。上海セント・ジョーンズ大学卒業後、米国とドイツに留学。帰国後、北京大学および北京女子師範大学で教鞭を取るかたわら、魯迅らの語糸社に参加し文学の旧勢力に対抗した。1936年に渡米後ほとんど国外で生活し、次第に反中共・国民党支持の立場を明確にして、晩年は台湾に定住。

[3] 「面白みに満ち満ちている」の意

[4] 禍を他人に転嫁する

[5] 子厚は柳宗元の字、『封建論』により古文復興を唱えた。

[6] 清朝の通俗小説、日本における江戸を舞台にした捕物帖に相当するような内容

[7] 怪談話や不思議な物語を集めた小説集

[8]  原文は「字訳」。一語一語の単位で対応させて翻訳する方法

[9]  原文は「句訳」。文または文章の単位で翻訳する方法

[10]  精神の伝達:原文は「傳神」。「神」は精神であり、根本的な意義である。

[11] 陸游「遊山西村」。全文は「莫笑農家臘酒渾 豊年留客足鶏豚 山重水複疑無路 柳暗花明又一村 簫鼓追随春社近 衣冠簡朴古風存 従今若許閑乗月 挂杖無時夜叩門」

[12]  『詩経』に収録。各地方の歌謡を集めたもの。

[13]  中国に古くから伝わる、夫婦の情愛を描いた民間伝承の物語。

[14]  1865-1953。日本留学後、1902年に蔡元培らと愛国学社を創設。1903年「蘇報」事件により渡欧、1905年パリで同盟会参加、1907年パリで李石曾・張継らと『新世紀』発刊、辛亥革命後帰国、1924年国民党中央監察委員。

[15] ベネデット・クローチェ(Benedetto Croce、1866年2月25日 - 1952年11月20日)は、イタリアの哲学者・歴史学者。ヘーゲル哲学と生の哲学を結びつけ、イタリア精神界のみならず、ヨーロッパ思想界に大きな影響を与えた。The clearest formulation of that tradition is perhaps to be found in the Italian aesthetician Benedetto Croce (1902: 73) when he describes

…the relative possibility of translations; not as reproductions of the same original expressions

(which it would be vain to attempt) but as productions of similar expressions more or less nearly

resembling the originals. The translation called good is an approximation which has original value

as work of art and can stand by itself.

“Estetica come scienza dell'espressione e linguistica generale.”

『美学綱要』ISBN-10: 4805505753


全文の翻訳はここ↓にあります。

http://nikka.3.pro.tok2.com/linyutanglunfanyi.htm

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