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2017-04-05猫星往還記5 編集前

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第二章

树林绿得多了。四围的灰空气也正不冷不热,不多不少的合适。灰气绿树正有一种诗意的温美。潮气中,细闻,不是臭的了,是一种浓厚的香甜,象熟透了的甜瓜。“痛快”不足以形容出我的心境。“麻醉”,对,“麻醉”!那两片树叶给我心中一些灰的力量,然后如鱼得水的把全身浸渍在灰气之中。

木々はとても青々としている。周りの灰色の空気もまさに冷たくもなく熱くもなく、多くもなく少なくもなくちょうどよい。灰色の空気の中にある青々とした木々はまさに一種の暖かくて美しい詩の趣を帯びている。湿気の中耳をひそめていく。臭いはしない。この臭いは濃厚で甘くておいしい臭いだ。熟して食べ頃の、マクウリの臭いのようだ。“胸がスカッとした”というのでは、私の心境は形容しがたい程だ。“麻酔だ”、そう“麻酔だ”!あの二つの木の葉は私の心の中に一つの灰の力を与えた。それから水を得た魚の様に全身を灰色の空気の中に沈めた。

我蹲在树旁。向来不喜蹲着;现在只有蹲着才觉得舒坦。

僕は木の傍らでしゃがみこんだ。しゃがむのは好きではない。今しかたなくしゃがんでようやく心地よいと感じた。

开始细看那个猫人;厌恶他的心似乎减去很多,有点觉得他可爱了。

あのネコ人間を覗き見し始める。彼を嫌う感情は薄れていき、少し彼のことを可愛いと感じる程だ。

所谓猫人者,并不是立着走,穿着衣服的大猫。他没有衣服。我笑了,把我上身的碎布条也拉下去,反正不冷,何苦挂着些零七八碎的呢。下身的还留着,这倒不是害羞,因为我得留着腰带,好挂着我的手枪。其实赤身佩带挂手枪也未尝不可,可是我还舍不得那盒火柴;必须留着裤子,以便有小袋装着那个小盒,万一将来再被他们上了脚镣呢。把靴子也脱下来扔在一边。

いわゆるネコ人間というのは両足で立って歩く、服を着た大きなネコではない。彼は衣服を持っていない。僕は笑って、僕が上に着ていた布切れを引きちぎった。どのみち寒くはない。わざわざごちゃごちゃしたものを着る必要はない。下半身はまだ身に付けている。これは恥ずかしいからではない。なぜなら、僕は腰にピストルを身に付けているからこちらのほうが便利なのだ。実際には、まる裸で腰にピストルをさすなんて今までしたことがない。しかし、僕は依然としてマッチの箱は捨てない。小袋を装着しやすいようにスカートをはかなければならないのだ。万が一将来また彼らに足かせをされたときのために。ブーツをそこらへんに投げて脱ぎ捨てた。

往回说,猫人不穿衣服。腰很长,很细,手脚都很短。手指脚指也都很短。(怪不得跑得快而作事那么慢呢,我想起他们给我上锁镣时的情景。)脖子不短,头能弯到背上去。脸很大,两个极圆极圆的眼睛,长得很低,留出很宽的一个脑门。脑门上全长着细毛,一直的和头发——也是很细冗——联上。鼻子和嘴联到一块,可不是象猫的那样俊秀,似乎象猪的,耳朵在脑瓢上,很小。身上都是细毛,很光润,近看是灰色的,远看有点绿,象灰羽毛纱的闪光。身腔是圆的,大概很便于横滚。胸前有四对小乳,八个小黑点。

もう一度言うが、ネコ人間は服を着ない。腰が長く、とても細く、手足は全て短い。手足の指も全てとても短いのだ。(彼らは走ることが出来ない上に何をするのも遅い。僕は彼らが僕に足かせをした情景を思い浮かべ不思議に思う。)首は短くなく、頭は背中の上まで曲げられる。顔は大きく、両目は極めて丸く、背の高さは低い。とても広いおでこも持っている。おでこ全体には細い毛が頭と同じように生えていて余分に細く柔らかい。鼻と口は繋がっていて、もちろんネコのように知的で美しい。まるでイノシシのようで、脳の上にありとても小さい。全身には細い毛があり、つやが良くすべすべしている。近くで見ると灰色をしていて、遠くから見ると少し緑色に見えて、灰色の羽毛の織物のようにきらきら光っている。体が丸っこいのはだいたい寝転がるのに都合がよいからであろう。胸部には四組の乳房があり、八個の黒い小さな点がある。

他的内部构造怎样,我无从知道。

彼の内側の仕組みがどのようなものなのか、僕には知る手立てがない。

他的举动最奇怪的,据我看是他的慢中有快,快中有慢,使我猜不透他的立意何在;我只觉得他是非常的善疑。他的手脚永不安静着,脚与手一样的灵便;用手脚似乎较用其他感官的时候多,东摸摸,西摸摸,老动着;还不是摸,是触,好象蚂蚁的触角。

彼の言動は特に奇妙なのだ。僕が見たところによると、ゆっくりした動きの中に素早さがあったかと思えば、素早さの中にゆっくりした動きがあるのだ。なので、彼の考えがどこにあるのか僕に考えを見抜かせない。僕はただ彼が非常に疑い深いところがあると感じた。彼の手足はいつもせわしなく、足と手をよく使いこなしている。手を使ってまるで色々なところを撫でて、頻繁に動かしているようだ。いや、撫でるというのではない。触っている姿はまるでアリの触覚の様だ。

究竟他把我拉到此地,喂我树叶,是什么意思呢?我不由的,也许是那两片树叶的作用,要问了。可是怎样问呢?言语不通。

一体彼は僕をこの地に連れてきて、木の葉を食べさせて、何を考えているのだろうか。僕は従わない。もしかしたら、二枚の木の葉の作用があるのかもしれない、ぜひ尋ねてみたい。しかし、どのように尋ねたらよいだろうか。言葉が通じないのが難点だ。

三四个月的工夫,我学会了猫话。马来话是可以在半年内学会的,猫语还要简单的多。四五百字来回颠倒便可以讲说一切。自然许多事与道理是不能就这么讲明白的,猫人有办法:不讲。形容词与副词不多,名词也不富裕。凡是象迷树的全是迷树:大迷树,小迷树,圆迷树,尖迷树,洋迷树,大洋迷树……其实这是些决不相同的树。迷树的叶便是那能使人麻醉的宝贝。代名词是不大用的,根本没有关系代名词。一种极儿气的语言。其实只记住些名词便够谈话的了,动词是多半可以用手势帮忙的。他们也有文字,一些小楼小塔似的东西,很不好认;普通的猫人至多只能记得十来个。

  三、四か月の時間を費やしたかいあって、僕はネコ語をマスターした。マレー語は半年程でマスターできるが、ネコ語はやはり簡単なものが多い。4,5百の字を使いこなして一切の会話をする。自然と多くのことや理論はこのように話しを明白にするのは不可能であるが、ネコ人間にはそれを補う方法がある。それは、そのようなことについて話さないことだ。形容詞と副詞は多くなく、名詞も豊富ではない。ほとんど迷いの木のようなものはすべて迷いの木になるのだ。大きい迷いの木、小さい迷いの木、丸い迷いの木、尖った迷いの木、外国の迷いの木、大洋の迷いの木……実際これらは決して同じではないのだ。迷いの葉は人を酔わす貴重なものとしてネコ人間に使われている。代名詞はそんなに使わず、基本的に関係代名詞はない。一種の劣っている言語ともいえる。実際ただしっかり記憶したこれらの名詞はお互いに話すのに十分便利である。動詞は大半を占めており、せわしなく手振りを用いることができる。彼らは文字も使っている。小さい建物か小さい塔がどのようなものなのかを区別見分けられない。普通の猫人間多くてもせいぜい十個くらいの字しか書くことが出来ない。

大蝎——这是我的猫朋友的名字——认识许多字,还会作诗。把一些好听的名词堆在一处,不用有任何简单的思想,便可以成一首猫诗。宝贝叶宝贝花宝贝山宝贝猫宝贝肚子……这是大蝎的“读史有感”。猫人有历史,两万多年的文明。会讲话了,我明白过来一切。大蝎是猫国的重要人物,大地主兼政客、诗人与军官。大地主,因为他有一大片迷树,迷叶是猫人食物的食物。他为什么养着我,与这迷叶大有关系。据他说,他拿出几块历史来作证——书都是石头做的,二尺见方半寸来厚一块,每块上有十来个极复杂的字——五百年前,他们是种地收粮,不懂什么叫迷叶。忽然有个外国人把它带到猫国来。最初只有上等人吃得起,后来他们把迷树也搬运了来,于是大家全吃入了瘾。不到五十年的工夫,不吃它的人是例外了。吃迷叶是多么舒服,多么省事的;可是有一样,吃了之后虽然精神焕发,可是手脚不爱动,于是种地的不种了,作工的不作了,大家闲散起来。政府下了令:禁止再吃迷叶。下令的第一天午时,皇后瘾得打了皇帝三个嘴巴子——大蝎搬开一块历史——皇帝也瘾得直落泪。当天下午又下了令:定迷叶为“国食”。在猫史上没有比这件事再光荣再仁慈的,大蝎说。

 ダーシエ―これは僕のネコ人間の友達の名前である。多くの文字を知っていて、詩を作ることもできる。聞こえの良い名詞を連ねては、いかなる簡単な思想も用いず、一つのネコの詩をたやすく作ることが出来る。宝のような願い、宝のような花、宝のような山、宝のようなネコ、宝のようなお腹……これがダーシエの“歴史の感覚を身に付ける”である。ネコ人間には歴史があり、二万年あまりの文明がある。会話することが出来て、僕は一切がはっきりしてきた。ダーシエはネコの国の重要な人物で、大地の主であり、政客でもあり、詩人でもあり、将校でもある。大地の主、なぜなら、彼は一つの大きな迷いの木を持っていて、ミーイエはネコ人間の大事な食物であるからだ。彼はなぜ僕を保護するのか。このミーイエが大きく関係しているのか。彼の話に基づいて彼が出したいくつかの歴史の本をこの話の証拠としたのである――本の全ては石で造られ、二尺の半分ほどの厚みで、それらには十文字位ずつ極めて複雑な文字が記されている。――五百年前、彼らは食糧を得るために畑仕事をし、何をミーイエと呼んだのか分からなかったという。急に外国人がネコの国にやってきた。最初は上の人しか食べることができなかったミーイエを、彼らは森から持ち出すようになってしまった。そこで、みんなミーイエを食べることに夢中になった。五十年の月日が経たないうちに、ミーイエを食べない人が例外というくらいに広まった。ミーイエを食べることはなんと心地よいことか、そしてなんと手間の省けることか。しかし、同じようにミーイエを食べたあと精神が奮い起こされたにもかかわらず、手足はうまく動かない。そこで、畑仕事が出来なくなり、収穫も減り、みんなぶらぶらして何もしなくなった。そこで政府は命令を下した。これよりミーイエを食べることを禁止したのだ。命令が下った一日目のお昼位に、皇后は夢中になって皇帝の頬を三回びんたした。――ダーシエは歴史の本の置き場所を移した――皇帝も夢中でずっと涙を流した。その日の午後また命令が下った。ミーイエを“国の食物”と定めた。ネコ人間の歴史上他と比べられない程、この事件は栄誉があり、慈悲深いことであったとダーシエは語った。

自从迷叶定为国食以后的四百多年,猫国文明的进展比以前加速了好几倍。吃了迷叶不喜肉体的劳动,自然可以多作些精神事业。诗艺,举个例说,比以前进步多了;两万年来的诗人,没有一个用过“宝贝肚子”的。

 自らミーイエを国の食べ物と定めた後、四百年あまりは、ネコの国の文明の発展は依然と比べて何倍も加速した。ミーイエを食べると、体の動きは善くなくなる。すると自然に精神に異常をきたした動作が増えてくる。詩の技術は、例えを挙げて話せば、以前と比べてとても発展した。二万年来の詩人は“貴重なお腹”という言葉を使わない。

可是,这并不是说政治上与社会上便没有了纷争。在三百年前,迷树的种植是普遍的。可是人们越吃越懒,慢慢的连树也懒得种了。又恰巧遇上一年大水——大蝎的灰脸似乎有点发白,原来猫人最怕水——把树林冲去了很多。没有别的东西吃,猫人是可以忍着的;没有迷叶,可不能再懒了。到处起了抢劫。抢案太多了,于是政府又下了最合人道的命令:抢迷叶吃者无罪。这三百年来是抢劫的时代;并不是坏事,抢劫是最足以表现个人自由的,而自由又是猫人自有史以来的最高理想。

 しかし、三百年まえでは迷いの木の種をまくことは普通であった。しかし、人々は食べれば食べる程だるくなり、次第に木を植え続けることもなくなってきた。洪水は起きた一年――ダーシエの灰色の顔がまるで顔から血の気が引くように見えた。もともと、ネコ人間が最も恐れるのは水だ――林を水が押し流してしまった。食べるものが何もなくてもネコ人間は我慢できる。しかし、ミーイエがないとまただらけてしまう。そして、強盗が起きるようになった。強盗は増えた。そこで政府はまたもっとも人の道や理屈にかなった命令を下した。ミーイエを盗んで食べたものは無罪である。この三百年来で強盗の時代であった。しかし、悪いことではない。強盗は最も個人の自由を十分に表現できる。その上、この自由もまたネコ人間の持つ歴史上で最高に理想的であるのだ。

(按:猫语中的“自由”,并不与中国话中的相同。猫人所谓自由者是欺侮别人,不合作,捣乱……男男授受不亲即由此而来,一个自由人是不许别人接触他的,彼此见面不握手或互吻,而是把头向后扭一扭表示敬意。)

 (ネコ語の中の自由というのは、中国語で言う自由と同じではない。ネコ人間のいわゆる自由な人というのは、他人を侮ること、協力しあわない、騒動を起こすことを意味する……男は受け取りを親しくしないというのはこれに由来する。一人の自由な人が他人である彼に接触することを許さず、お互いに面と向かって握手や挨拶のキスをすることもない。ただ頭を後ろにして相手に敬意を示すくらいである。)

“那么,你为什么还种树呢?”我用猫语问——按着真正猫语的形式,这句话应当是:脖子一扭(表示“那么”),用手一指(你),眼球转两转(为什么),种(动词)树?“还”字没法表示。

 “あのようにあなたはなぜ依然として木を植えているのか?”

僕はネコ語を使って訪ねた――ネコ語の形式に基づいて、この言葉を話すのは当然だ。首をひねって(“あのような”を示して)、手の指一本を使って指さす(あなた)、目を二回まわす(どうして)、植える(動作を表す)、木を?“依然として”の字は表す方法がない。

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